私立郁文学園 あつあつ 結花

7月31日(Sat)

結香 『パネルを壊してしまった』

 ミーンミーンミーン…シュワシュワシュワ…

 台風がすぎると快晴というよりも凶悪な陽射しが襲いかかるような天気が続くようになった。気温は毎日簡単に30度を突破、湿度もあまり考えたくない数字になっている。武藤なんかは『天然のサウナー!』とか言ってダイエットに最適、と喜んでいるけれど、私はあまり体重とか気にしない方なのでそのありがたみも分からない。それよりもあまり強くない肌が陽に焼けて赤くなる方が嫌だ。

 とは言っても女子演舞は屋内でだけ練習しているわけではない。むしろ屋内で練習できる日は少なく、ほとんどの日は外で演舞刀を振り回す事になる。さらに本番までに胴着と袴に慣れておかないといけないから練習は体操服ではなくてなるべく本番と同じ服装でやることになっているのだが、これがまた暑い。結果として私達は運動靴に袴、胴着に帽子という珍妙な格好で練習する事になる。

「はーい、休憩!15分したら第三曲の演舞に入りまーす!」

 私は大幹部として舞員よりも先にへばるわけにはいかないので、精一杯の努力で平気な顔を作る。歓声をあげながら舞員たちが日陰に入り込んで行く。

「結香〜、今日もすごいねぇ」

 佳子がほっかむりを取った。この娘はほっかむりにサングラス、手袋ともう完全防御体勢で練習しているので全然日焼けはしていないけれど、かわりに練習中はまるでジェイソンだ。しかも汗だく。分厚い道着が汗でぐっしょりと濡れている。

「そうね、暑いわ。言っても仕方ないことは判ってるんだけど」

「でもあちらは朝から外にいるぞ。よく生きてるわ」

 こちらはほとんど日焼けには無頓着な武藤。言われて私は思わず看板の人達がいる方向を見た。今日は第三校舎の前が南軍看板の作業場所だ。

「…違うよ、そっちじゃなくて応援団の方」

「え?あ、ああそうね!」

 慌てて振り向く。確かに校庭の向こう側でどこかの応援団がこの暑いのに長い学ランを着込んで大声を張り上げている。確かに信じられない所業だ。

「もう、結香ったら〜。斉藤先輩が気になるのはわかるけど」

「ちっ、違うわよっ!何となく見ただけなんだから!」

「ほぉー」

「ふぅ〜ん」

 うう〜!二人とも半眼でニヤニヤしてる…!ああもう、何で私の頬はどんどん熱くなるのよぉ!

「まあこの前の台風の時も結局夕方まで帰ってきませんでしたしねぇ、佳子さん」

「そうですねぇ、睦月さん。一体倉庫で何をやっていたんでしょうねぇ」

「あらあらイヤですわ、佳子さん。二人でやる事と言えば一つしかないでしょうに」

「まあまあ睦月さん、はしたないですわ、そんな事おっしゃるなんてホホホ」

「…って、アンタらぁ!好き勝手言ってるんじゃなーい!」

 ガクガクと佳子と武藤の肩を揺さぶる。二人は頭をガクガクさせながらもまだニヤニヤ笑っている。

「その辺にしておいてさしあげたら、お二人とも」

 彩が近付いてきた。きちんとお盆に四つ、カルピス入りの紙コップを乗せている。

「のどが渇いたでしょう?お飲みになられませんこと」

「…ありがとう、彩」

「わぁい、彩ちゃんありがと〜」

「サンクス」

 めいめい紙コップを取ってクイ、と飲み干す。

 郁文学園運動会名物と言えば『バケツカルピス』だ。冷水器などもあるけれど、やはり休憩の時や練習が終わった後はただの水よりもこちらが良し。カルピスの原液は運営が夏休みが始まる前に問屋から大量に買い付け、各ブロックに均等に割り当ててくれる。一本まるごと、なんとバケツ─もちろん、ちゃんと新しいものを買ってきて綺麗に洗浄して使うけれど─に入れ、七分目くらいまで水を入れて近くの氷屋で買ってきたブロック氷を割りいれるとちょうど飲みごろの濃さになる。この野趣あふれると言うか野蛮そのものみたいな代物が私達、郁文学園生の夏の楽しみなのだ。

 甘味がすぅっと身体の奥に通っていく。私は小さくなった氷をついでに口の中に入れるところころと転がした。

「それで、もう告白はされたんですの?」

「ブウッ!?」

 思わず氷が噴き出る。氷の弾は真正面にいた武藤の顔面にヒットした。

「ウキャ!何す…」

「何言ってるの、彩ーっ!そんなわけないでしょう!」

 武藤が何か言おうとして私の剣幕に固まる。

「こ、この前は手伝っただけだって言ったじゃない!大体私と先輩はそんな関係じゃないし、私は何とも思ってないんだからーっ!」

「あらあら、落ち着いて、結香。皆驚かれてますわ」

 詰め寄る私を両手でいなしながら彩がまわりを見渡した。ハッと気づいて左右を見ると、演舞員のみならず、遠く離れた応援団の人達までがこちらを見ている。

「なな、何でもないの、何でも。ははは」

 手なんか振って誤魔化すが、どうにも格好がつかない。何やら一年がこちらをチラチラと見ながら話しているような気がする。気のせいかもしれないけど、「斉藤…」とか「ラブ…」とか言う言葉が聞こえたような…。

 

 夏の日は長いけれど、時計を見るともう五時。そろそろ練習時間も終了だ。

「はい、では今日はここまでにします。次回練習日は明々後日、一時からになります。場所は三体なので遅れない様に集合して下さい。お疲れ様でした」

 演舞員を並べてしめの挨拶をするのは当然私の仕事。ぞろぞろと更衣室代わりに使っている教室へと移動を始める。

「うう〜、汗びっしょりだよ。シャワーがあればねぇ〜」

 佳子が言うと武藤も頷く。

「私立なんだからその程度の設備はあってもいいよな。今度生徒会に要望出そうか」

「無理よ、そんなの。だいたいシャワールームが出来たらその前で順番待ちすることになるだけじゃない。どうせ帰る時にも汗かくんだから、さっさと着替えて帰ってからシャワー浴びた方が合理的よ」

「結香ってそう言うところ女の子っぽくないよね〜」

「まったく。見かけと中身がこれだけ違うと詐欺だよな」

 佳子と武藤は異星人を見るような眼で私を見た。彩はニコニコ笑っているが、内心では多分同じことを考えているに違いない。

「世の中の男共は騙されているっ!汗の匂いも気にしないような女が見かけだけでアイドル扱いされているのだ、これを不公平と言わずして何と言おう」

「余計なお世話よっ!」

 と、その時左の方で短い悲鳴が上がった。女の子の声。

「あれ、誰か転んだみたい」

 佳子がそう言うとトコトコと小走りにそちらに向かった。こういう事は放っておけないのが佳子のいいところだ。

「ねえねえ、結香!ちょっとマズイ事になってるよ!」

 佳子が私を見た。私のところからは誰かが転んだと思しき場所は木の陰になっていて見えない。けれど、見た感じ看板のパネルが広げてあるから作業場所になっているのだろう…って、南軍の作業場所じゃないの!

 私は佳子と一緒にそちらに向かった。

「あちゃぁ…」

 武藤が口を押さえた。私もそうしたいくらいだ…。

 演舞の一年生…高木さんが転んで、よりによってパネルの真ん中にダイブしたらしい。無残、パネルはぼっこり穴があいていて当然張った紙も破れている。まだ完成にはほど遠いのが救いと言えば救いかも知れないけれど、どちらにしてもこれは全部作りなおしだ。

「ごめんなさい!ごめんなさぁい…!」

 高木さんは半泣きで謝っているが、そのパネルにまわりにいる看板部員はどうしていいのかわからず、おろおろするばかり。

 とその時、斉藤先輩がやってきた。私達の方は見もせずに高木さんの側に駆け寄る…いや、別にこちらを見てほしいわけじゃないけどね。

「よしよし、確認するぞ。まず君、ケガはない?」

「はっ…はいぃ、大丈夫です、でもごめんなさぁい…ウワワワアン」

 いよいよ本格的に泣き出してしまう高木さん。

「あー、大丈夫だって。予備はあるんだし、下書きしただけなんだからすぐに代わりは作れるんだから。大したことじゃないんだ、本当に。ほら、立って」

 先輩はよしよし、と高木さんの頭を撫でた。だんだん落ち着いてきたのか、高木さんの泣き声が小さくなっていく。

「こういう事は毎年あるから、ちゃんと準備もしてあるんだ。だからそんなに気にしなくていいよ」

「は、はいぃ…」

「よし、じゃあ君…」

「あ、あの高木です。高木葉子って言います」

「高木さん、このパネルを倉庫まで持って行くから手伝ってくれる?それでこの件はチャラってことで」

「は…はい!お手伝いさせていただきますッ!」

 高木さんは妙に元気よく頷くと、斉藤先輩と二人でパネルを持ちあげて運びはじめた。

「ほほーう…奴め、下級生キラーか」

 何やら隣で武藤が呟いた。

「なかなか手が早くていらっしゃいますのね、斉藤先輩って。高木さんの眼をご覧になりまして?」

「ご覧になりました〜。あれこそ恋する乙女のそれ!これは結香も心配だね〜」

「な、なんでよっ!別に先輩が誰と仲良かろうとどうでもいいことでしょう!」

 言い返す声に何故か力が入らない。

「まあまあ、それはともかく」

 彩は余裕たっぷり、という風情で倉庫の方を指差した。…このエセお嬢、いつか決着をつけてあげないと。

「演舞長としてちゃんとお詫びしておかないといけませんわ。演舞員が迷惑をかけたのですから」

「そりゃ…そうだけど。何か彩の言い方はひっかかるわ」

「あら、そうですか?私、含むところはないつもりなのですけれど」

 嘘ばっかり。

 高木さんが戻ってきた。斉藤先輩にじゃれつかんばかりの様子に何故か胸の奥がチリチリと痛む。高木さんは大きく頭を下げると着替えに行くのだろう、心配そうな顔をして待っていた友達と一緒に校舎に入っていった。

「謝りに行かないのか?」

「行くわよ。あ、武藤達はもう着替えに行ってて」

「ほーい。行こう、佳子、彩」

「ではよろしくお願いいたしますわ」

「頑張ってねー、結香!」

 何をよ、佳子。

 私はまだちょっと疼く胸を無視すると、また倉庫の方に戻っていった斉藤先輩を追った。

匡輝 『実は予備なんかない』

 …やれやれ、どうしようか。

 俺は見事に壊れたパネルを前に途方に暮れていた。

 泣いていた女の子の手前『予備があるから』などと言ったが、実際にはそんなものはない。一応いくらの余分を見て発注していたが、予算にも限りがあるわけだからせいぜい板が三枚ほど余分にあっただけだ。それもパネルの製作が終わった時点で色々な道具入れとか仕切りとかに化けてしまい、現在予備の材木ははっきりいってゼロ。何にもない。

「しかしこれは…」

 幸い枠の棒は折れていないのだが、板の膝をついたと思われる部分は大きく割れているし、紙は破れて使い物にならない。

「斉藤先輩!」

「うわっ!」

 いきなり背後から切羽詰まった声で呼びかけられて驚いてふり返る。

「お、武東じゃないか」

 まったくコイツには驚かされてばかりいるような。

「ごめんなさい!うちの娘が迷惑をかけて!」

 ガバッと頭を下げる武東。

「いや、気にするな」

 とりあえずそう言ってみるが、武東はまったく聞いていなかった。

「何か手伝えることはありませんか?」

「あー…武東が謝る事じゃない。こういう事は仕方ないし」

 だが武東は何やら責任を感じているらしく、ずんずんと倉庫に入って来る。

「予備があるっておっしゃってましたけど、どこですか?」

「そんなものはない」

「…はい?」

「予備は、ない。何とかこれを修理しないと」

「え、ええーっ!」

 おお、珍しい。武東が大口をあけて固まっている。俺が見つめていると武東は我に返って慌てて口を押さえた。

「あ、あの…じゃあ」

「ああでも言わないとあの子の立場がないだろう。正直やっちまったもんは仕方ないわけで、気にされても困るしな。武東もあの娘に言うなよ」

 俺はそう言うと壊れたパネルを見た。

「裏からあまりの木切れを接着して補強して…表から紙を貼りなおせばなんとかなるだろ。明日には元どおりになる。武東ももういいから着替えに行けよ」

「そんなわけにいきません!私もお手伝いします」

「別にいいって。疲れてるだろう」

 あの炎天下で三時間も四時間も演舞刀を振り回していたんだから。

「…迷惑ですか?」

「そうじゃない。そりゃ一人でこれを修理するのは面倒だけど」

「ではお手伝いします。させてください」

 キリリ、と武東の大きな眼がまっすぐに俺を見た。

「わかった。じゃあ頼む」

 正直人手があるのは助かるし、武東と二人で作業するというのは悪い気分じゃない…いや、正直に言えば嬉しい。何しろ二年でアイドル扱いまでされる女の子が責任感からとは言え手伝ってくれると言うのだ。俺も正常な男なんだし、下心とかとは別にしても嬉しくないわけはないのだった。

笈阪 『嫉妬』

「あの野郎…!」

 笈阪は倉庫に入って行く結香を…正確には結香が会いに行った匡輝を、看板倉庫の隣に建つ弓道場の陰から壁越しに睨みつけた。

「結香は俺が先に目をつけていたのに、後から出てきていい格好しやがって…。ただの美術オタクかと思っていたのに、くそっ!」

 拳を握りしめる。あの時、もっとしっかりぶん殴っておけば良かった。思わず手が出てしまって、結香が避けないもんだから何とか止めようとしたところにちょうど出てきやがって。あのまま放っておいても別に結香を殴ったりはしなかったのに、斉藤はしっかり格好だけはつけやがった。

「畜生、このままじゃすまさないからな。必ず借りは返してやる。結香もいずれ俺がもらうしな…!」

 今の会話を聞くかぎりじゃ二人はまだただの先輩後輩だ。まだ結香をモノにするチャンスはいくらでもある。だがその前に斉藤に思い知らせておかないと…。

「結香、お前もだ。俺にあんな事言った罪はちゃんと償ってもらうからな。その後でしっかりと俺の魅力を教えこんでやる…」

 笈阪はグッと奥歯を噛み締めると飽きもせずに倉庫を睨みつけていた。

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