私立郁文学園 あつあつ 結花

7月26日(Mon)

匡輝 『困った時はお互い様』

 夏休みに入って一週間。相も変わらず天気は快晴、気温はどんどん上がって30度なんてとっくに越えている。雲一つない青空は気持ちよいが、同時に照りつける日光は容赦なく俺たちの肌を焼く。

 郁文学園の運動会準備にあたる男子の服装は決まっている。下は柔道着、上はTシャツだ。別にジャージでもなんでもいいのだが、特に看板作業は塗料で汚れるし柔な材質のものではあっという間に破れてしまう。作業服のズボンを穿いている奴もいるが、たいていの男子は授業でも使う柔道着を転用していた。

 Tシャツは何を着ていてもいいのだが、各軍ごとにブロックTシャツというものを作っているのでそれを着ている奴が多い。ちなみに大幹部には幹部用の特別なTシャツが別途作られておりちょうど良い目印になっているし、最近は俺みたいに自分で描いた絵をプリントして自分用の専用Tシャツを作る奴も多い。

 さて、今日は屋内作業の日だ。

 看板作業はほとんどが外で行われるのだが、ローテーションで一週間に一度だけ屋内作業ができる。もちろん雨の日は否応なしに屋内作業になるが、その時は空いている廊下とか教室とかになんとかパネルを運び込んでちまちまと作業するしかない。しかし屋内作業日には四つある体育館のうち三つのどれかが使えるのだ(一つはピロティーの二階にあるので作業場所に使えないし、そもそも屋内部活用になっている)。

 屋内作業の日は直射日光やホコリ、砂を気にしなくてもいい楽な作業の日と言える。

 ちなみに今日は第一体育館、通称一体を使える日である。一番広い体育館で、ここが使えるのは多分あと一回か二回しかないのでとても貴重な時間となる。俺としては今日中にパネルに木炭で下書きを終わらせる予定だった。

 そう言えば女子演舞は二体…つまり、第二体育館とか言っていた。

 武東とはあの笈阪に俺が殴られた日から少し仲良くなっていた。元々あの覗き事件の日までは喋った事もなかった(あれを会話といえるかどうかはともかく)のだが、会えば挨拶はするし、時々は天気と運動会の話くらいはする。友達とまでは言わないが、知り合いとは言えるだろう。

 で、さっきパネルを運んでいた時に今日の練習場所をちょっと聞いたわけだ。

「あれ?」

 そんな事を考えていたからか何気なく二体の方を見るとぞろぞろと袴姿の女子が出てきた。先頭に立っているのは武東…だな。何かすごく怒っている様子だ。

 俺は木炭と下書き用の紙を置くと、一体の外に出た。

「武東、どうしたんだ?今日は二体だろ?」

 武東は俺の姿を見ると一直線にこちらに向かって来る。そりゃもう走ってるような速度でズンズンズン!

「ど、どうした。俺は今日は何もしてないぞ」

「斉藤先輩!笈阪の陰謀よ!」

「はい?」

「あの陰湿野郎が、西軍の演舞長と組んだのよ!」

「何のことだ」

 怒りに我を忘れている。ついでにいつもの妙に丁寧な敬語も忘れているようだ。多分こちらが本来の武東の話し方なんだろう。

「私達、追い出されたの!あの男、こんな卑劣な事するなんて…!」

「まずは落ち着け」

 俺は武東の顔の前に人差し指をピシッと立てた。

「みんな驚いてる。地が出てるぞ?」

「うっ…」

 言われてやっと気づいたらしい。

 武東は恐る恐る周りを見渡した。二年のアイドルとして知られる武東のあまりの剣幕に、屋外看板作業をしている他のブロックの連中や通りすがりの生徒、あまつさえ南軍の女子演舞の連中まで見てはならないものを見た、という顔でこちらを見ている。

「とにかく話を聞く。こっちに来い」

 俺は武東を一体に誘った。

「演舞もこっちに入れ。外は暑いだろ」

 ただでさえ袴姿、見てる方が暑い。

 怒りのさめやらぬ武東に続いてぞろぞろと女子演舞も一体に入って来る。さすがに袴姿の女子がこれだけ揃うと壮観だ。看板の部員たちも何事かとこちらを見ている。

「で、何があったんだ」

 俺は武東を隅に連れていくと聞いた。武東はよくぞ聞いてくれた、とばかりに詰め寄ってきた。ただし声も口調もいつも通りに戻っている。

「二体に行ったら、今日は西軍の女子演舞が使う事になったって言われたんです。で、問いつめたんだけどもう運営に許可は取ってる、の一点張りで…確かめに行ったら今日の朝に割当て表が変更になってるし!あの副運営委員長の猿がこちらには何の相談もなしに変えたんですよ!」

 猿…というのはあいつだろう。溝渕という男で、確かに猿に似ている。しかし影で『猿』と呼ばれている理由はそれだけじゃなく、常に強いものに擦り寄るような態度を見せるからだ。仕事は出来るがその態度のせいで評判は悪い。

「何でだ?いくらなんでもそれは無茶だろう」

「運営に友達いるんですけど、その娘が教えてくれたんです。今日の朝、笈阪と輪口が猿に割当て表を書き換えろって言ってたって。あ、輪口っていうのは西軍の女子演舞長です。私を目の敵にしてて、時々当てこすりを言ってくるんですけど…ここまでするような人だとは思ってませんでした」

 二年生で大幹部だもんな。南軍でも特に三年女子の中では時々「生意気だ」とか言ってる奴を見ることがある。ましてや他ブロックの、それも演舞長となればライバル意識もあるんだろう。

「笈阪…ってことは、やっぱあの一件からか?」

「多分そうです。あの後おとなしくなったかと思ったんですけど…」

 話しているうちに少しは頭が冷えたのか、武東は今度はしょんぼりし始めた。

「…私のせいです。先輩の言うとおり、もう少し穏やかに話をしてればこんな事にならなかったのに。みんなに迷惑をかけて、やっぱり二年生が大幹部なんて」

「武東を選んだのは俺達南軍の生徒だし、二年が大幹部になっちゃいけないなんて決まりはない。それに武東に悪い所はまったくない。いくら何でも直前に割当て表を変更するなんて運営のやる事じゃない」

 この件は後で運営委員長の細谷にしっかり言っておこう。溝渕の動きを抑えられなかったのはあいつの責任でもある。

「とにかく今は怒っていても問題の解決にはならんだろう。何にしても練習場所を確保するのが先だな」

「今さら無理です。この時期に空いてる場所なんてないですもの」

「じゃあ困った時はお互い様だ」

「はい?」

 俺はゴッちんの姿を探した。背の高い奴はとても目立つ。

「おーい、ゴッちん。そちら半分のパネル、片づけてくれ」

「うん、わかったよ」

 どうやらゴッちんには俺が何を言うのかわかっていたらしい。すぐにまわりの部員に声をかけて一体の後半分のパネルを片づけはじめた。

「あの、何してるんですか?」

「練習場所。半分しかないけど足りるか?ちょっと狭いかもしれんが」

「え?あ、私たちの練習場所?」

「他に何があるんだ。ちなみに割当て時間は六時までだから」

「でも看板の作業場所は…」

「同じ南軍だろう。女子演舞が練習できなかったら困るのは俺達も同じ。遠慮は無用だ」

「……」

 武東は何故か俺を見つめている。その眼がちょっと潤んでいるのを見て、俺は慌てて目を逸らした。

 …何か、可愛いと思ってしまったじゃないか。いや、確かに武東は元々とても可愛いとは思うけど、俺はそう言う眼で後輩を見るつもりはないんだ…だけど、男は女の子の潤んだ目には弱いのだ。

 わかるだろう?

「ほら、結構時間を無駄にしただろ。練習してくれ」

「ありがとうございます」

 武東が深く、深く頭を下げた。いよいよ慌てる俺。

「いいんだって、そんな事しなくて。みんな見てるじゃないか」

「ふふっ…やっぱり先輩ってこんな時も表情は変わらないんですね。そんなだから誤解されるんですよ?」

 武東が微笑んで演舞の連中の方に行く。

 …わかってるわい。だけど動揺した時ほど鉄面皮になってしまうのはもはや自分ではどうしようもないんだから仕方ないじゃないか。

 俺は表情とは裏腹にドキドキしている心臓を感じながら作業に戻った。

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