私立郁文学園 あつあつ 結花

7月22日(Thu)

匡輝 『資材の受け取り』

「匡輝、そろそろ」

「おお」

 俺はゴッちんに肩を叩かれて壁の時計を見た。腕時計をしない俺は時間を知るためには携帯を見るかどこかの時計を当てにするしかない。実際電話が嫌いだから携帯なぞ時計代わりにしか使っていないのだ。その俺が携帯を何故持ってるかと言うと出かけた時の無線機代わりとしては確かに便利だからと言う理由に尽きる。

 まあそんなことはどうでもいい。俺と豪造…通称ゴッちんは今から看板倉庫まで資材の受取りに行かなくてはならないのだった。そろそろ業者のトラックが来る時間だ。先に行っておかないとさすがに失礼だろう。

 この郁文学園では他の学園などと同じく運動会と言うものがある。ただし(多分)少し違うのはその運営方針だ。

 基本的に運動会の運営には教師は関らない。スケジュール・企画・安全管理・機材の使用、そして予算と資材の調達までとにかくすべてを生徒自身が行わなくてはならないのだ。そもそもそれが郁文学園の、運動会に限らず多くの行事に共通する特徴だった。

 もちろん裏で動いてくれている教師もいるし、第一資材を売ってくれる会社のほとんどはこの学園のOBか関係者だから全て生徒が行っていると言うと語弊があるのだが、それでも目につく所は生徒自身が運営するというこの方針は守られていた。

 と言うことは、もちろん大看板に使う板、塗料、紙から釘の一本にいたるまで調達するのは俺の役目ということになる。予算は7万ほど割り振られてはいたが、毎年そんなもんで足りるわけはないので残りはカンパとその時の大看板長の懐、つまりは俺の財布から出る事になっていた。このためにこの半年俺は頑張って貯金までしていたのだ。

 基本的な木材や紙、塗料などはすでに運営が一括して発注してくれている。今日はその資材が届く日であり、これを各軍団間で平等に分配しなくてはならない。ちなみにゴッちんは俺の親友で、今年は副看板長として働いてもらっている。名前の通り185cmの長身と95kgの体重という堂々たる体格のゴッちんだが、温和・寛大で『僕』と言う一人称の似合う気弱とすら言える性格でも知られている。腕っぷしはそりゃあ凄いもんだからその気になればどこの格闘系部活でも主将を張れるだろうが、本人が争い事が大嫌いだから一年のころから毎年の勧誘を退け続けている。

「んじゃあ行ってくるわ。あとよろしく」

 すぐ前で時々団扇を使いながら油絵を描いている的音に声をかけると俺は立ち上がった。的音がショートカットを揺らしながら首だけふり返る。

「斉藤、帰りにジュースでも買ってきて。ペット三本くらい。領収取ってきてくれれば後で部費からお金だすから」

「おいおい、この暑い中三本もか…っていうか、俺達は倉庫に行くんだが」

「裏門から出れば目の前がコンビニじゃない。豪造、いいよね」

「お、おう。わかった」

 ゴッちんは素直に頷いた。的音は「よろしく〜」と手を振って俺達を送り出した。

 

「ゴッちん、相変わらずあいつの尻に敷かれてるなぁ」

「でもついでだし」

「まーな。今日はいいけど、時々はしっかりしないとあいつは調子に乗るぞ」

「大丈夫だよ、的音はちゃんと押していい時と悪い時をわかってるから」

「そうか」

 この俺の隣で大きな身体をなんとか日陰に押し込もうとしているゴッちんは、美術部部長にして全校美人コンテストAクラスに輝くあの藤堂的音の彼氏なのである。美女と野獣、郁文学園第八の謎などと言われる二人だが、俺には的音がなぜゴッちんを選んだかはよくわかる。

 的音は男を見る眼があるのだ。

 暑さの苦手なゴッちんが校舎の日陰に入ってふう、と息をついた。と、俺に視線を向ける。

「そう言えば的音から聞いたんだけど」

「ん?」

「匡輝、この前武東さんの着替えを覗いたんだって?」

「ぶっ!」

 思わず咳き込む俺。

「って!なんで的音がそんな事知ってるんだよ!」

「…本当なんだ。匡輝がそんな事するなんてねぇ」

「違う!事故だ事故!わざとそんな事するか!」

 必死に釈明する。こいつは的音の言うことならすぐに信じるからそのままにしておくと誤解したままになりかねない。覗きなんて真似はこいつの趣味じゃないから、放っておくと俺たちの友情の危機ですらある。

 だがゴッちんは「冗談だよ」と笑った。どうやら俺をからかっていたらしい。ゴッちんは普段あまり人をからかったりしないからこちらも焦るんだ。

「で、どこからそんな話が的音にもれたんだ。まさか武東が触れ回っているわけじゃあるまいし」

「んー…なんでも武東さんの親友が的音の知り合いらしいよ?その娘が『結香がキツい事言ったかもしれないけど許してあげてください』って匡輝に伝えてくれって的音に伝言したらしい」

「でそれを的音がゴッちんに伝言したわけか。まったくまどろっこしい」

「そうだね。でも的音も気を使ったんじゃないかな。的音から覗きがどうのって話し、聞きたくないでしょ」

「……確かに」

 特に的音からは聞きたくないかもしれん。

 今だから平静に思えるが、一年のころ俺は的音が好きだった。正確には憧れていただけで的音の人格が好きとかいう話じゃなかったと思うが、可愛くて社交的な同学年の娘に淡い想いって奴があったのだ。今じゃそう言う気持ちはないけれど、それでも好きだった女の子から「匡輝、覗きを働いたんだって?」みたいに言われるのはちょっとダメージがある。

 的音も俺の気持ちはうすうす感づいていたらしいからその辺でちょっと気を使った…のかな?

 ちなみにゴッちんも俺の気持ちは知っている。昔はやたらにその事を気にしていたものだ。

「その親友とやらが的音に言った言葉から考えるに…武東は俺にまだ腹を立ててるらしいな」

「……みたいだね。武東さんがそこまで怒るなんてあまりないと思うけど、何やったの、匡輝」

「わからん。ちゃんと謝ったし、一度は向こうも『忘れる』って言ってたぞ」

「ふぅん」

「相性が悪いのかな。一方的に嫌われているような気もする」

 自意識過剰かもしれないが。

 武東というのは俺がこの前着替えを覗いてしまった娘で、武東結香という二年生の女子の事だ。長い真っ直ぐな黒髪と大きな眼が目立つ女の子で、二年生のアイドル的存在として知られている。何でも家が有名な薙刀の道場と言う事で、武東自身もかなりの遣い手らしい。その腕と人気を買われて二年生ながら女子演舞長として大幹部の一角を担っているわけだ。

 性格は明朗快活、さっぱりした姐御肌で男子だけではなく女子からも人気があるという話だ。的音も一種はっきりした性格とその毒舌で一部の連中から慕われている…というよりも崇拝されているが、武東は憧れられているという方が正しいだろう。三年の、それもあまり人の話に興味のない俺でもそのくらいは知っている、いわば有名人なのである。

 その武東の着替えを覗いてしまってさらにどうやら嫌われているらしいとなると…

「ちょっと問題かな」

「かなり、ね」

 ゴッちんはやれやれ、という眼で俺を見た。

「匡輝はただでさえ無表情で誤解されやすいんだから。武東さんとケンカなんかしたら間違いなくみんな武東さんの味方につくよ。早めに仲直りしてね」

「はっきり言うな」

「匡輝には柔らかく言ってもこたえないからね。いいかい、今度機会があったらとにかく正直に何もかも一気に言うんだよ。どうせ匡輝には話術なんかないんだから言うことは全部言ってしまって後は武東さんの審判を待つしかないでしょ」

「…厳しいぞ、ゴッちん」

「厳しく言ってるんだって。南軍の大幹部同士が仲が悪いなんて良い事じゃないからね」

「わかってるって。何とかする」

 俺はこの話はここで終わり、という気持ちを込めて約束した。ゴッちんもわかった、と頷くと話を変えてきた。まあ今後武東と話す事もそうないだろうから、大したことでもないのだ。

「まあこれで資材が揃うし…いよいよ本番だな」

「うん、そうだね」

 俺達はかんかんと照りつける陽射しの中、にじむ汗を拭いながらもこれから始まる夏に心を弾ませていた。多分、楽しい夏になるだろう。

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