私立郁文学園 あつあつ 結花

9月10日(Fri)

匡輝 『許せない犯罪』

 何事だろうか。

 金曜日、朝の九時。久しぶりに家で睡眠を取り…と言っても待ち構えていた弟二人につきまとわれて結局奴らの部屋で雑魚寝という羽目になったのでなんだか合宿所とそれほど状況は違わなかったような気もするが、とにかく家で寝てから学校に登校というまともな事をしたわけだが…。

「なんでこんな所に溜まってるんだ」

 南軍の奴だけではない。北軍の看板長やら演舞長、西軍応コン長に東軍の応援団長までが看板倉庫の南軍の扉の前に立ってざわざわとしている。

「斉藤!やっと来たか」

「何だ一体。まだ時間は」

「いいから!ちょっと中に来てくれ」

 俺は南軍団長の坂崎に引っ張られるようにして看板倉庫の中に連れ込まれた。

「気を落ち着けてくれ。頼むから」

「お前が落ち着け。何の話だ」

「これだ、これ!」

「……なんだ…?」

 妙なものが見えた。たしかここには昨日までは完成した大看板が置いてあったはずだ。原色を多めに使った色とりどりの派手なパネル。しかし、俺の眼の前に置かれたパネルには…。

「黒い塗料?」

 べったりと真っ黒な塗料がぶっかけられていた。缶ごと投げつけたような乱暴なかけかたで、床にまで黒塗料がこぼれている。

「そうだ。明らかに誰かの嫌がらせだ!全部出してみないとわからんが、被害にあったのは何枚かだけだと思う。けど、これは…!」

「落ち着け」

「落ちついていられるかっ!お前は腹が立たないのか、こんな事をされてっ!前代未聞だぞ、この前は演舞の演舞刀、今度は看板!これだけふざけた事を許せるか、ああっ!?」

 坂崎の拳は音を立てそうなくらい力一杯に握られていた。

「だから落ち着け。何枚かだけなら描き直せる。それよりもこの事が大ごとになる方が問題だ。明後日本番なのに犯人探しだのなんだのでごたつかれちゃかなわん。坂崎、外の連中に口止めしておけ」

「斉藤…」

 坂崎はそうか、という顔で頷いた。戸口の方に身体を回し、そこで止まって首だけ振り向く。

「お前、すごいな。なんでそんなに冷静なんだ」

「そりゃ俺だって内心穏やかじゃないけどな。坂崎がそこまでヒートアップしたらこちらとしてはかえって落ち着いちゃうもんなんだ。そう言うことってあるだろう」

「ああ…そうだな。確かにそんなもんかもしれん」

「とにかく大したことはないって事にして外の連中を散らしてくれ。幹部連中が集まっていたら何か起こったって宣伝してるようなもんだ」

「OK」

 表に出ようとした坂崎を俺はよびとめた。

「俺はパネルの点検をしてみるから、ちょっと倉庫を使わせてくれ。十時ごろまでこちらに誰も来ないようにしてもらえるか」

「ああ、応コンとかの連中から話が広まると困るしな。わかった、橋本達に話を通しておく」

「なるべく早くチェックする」

 坂崎が表に出ていく。

 それを確認してからなんとか十数え…俺はギリギリと歯を食いしばった。『内心穏やかじゃない』どころではない。自分を落ち着かせるためにあんな事を言ったが、どうやら全然役には立っていないようだった。

 …畜生!!誰が…誰がこんな事をしやがった!!

 怒りが胸の中を荒れ狂う。俺の看板を、皆の看板を汚しやがって…!許さん、絶対に許さん。必ず犯人をあぶり出して報いを受けさせてやる…!

結香 『今度は私の番』

「匡輝っ!」

 私は看板倉庫へ走った。

「クソオッ!」

 怒声とドスン!という音が扉を開けた途端に耳を叩く。

「…匡輝」

 匡輝は壁に立てかけたマットを思いきり殴っていた。隣にはパネルが何枚も立てかけてある。そのパネルはどれも黒く汚れていた。

 匡輝が振り向く。

「結香…どうしてここに」

「中川先輩から聞いた。ひどい事になってるって」

「もう間に合わない。八枚はほとんど全滅、十一枚が汚れてる。どう頑張ってももう一日じゃどうしようもない」

「…そんな」

「絶対にこんな事をした奴を許さん。俺たちの夏を何だと思ってやがる…!」

 匡輝は悔しさに拳を震わせ、歯を噛み締めていた。

「なおそう」

「無理だ」

 言下に否定される。

「でもなおさなくちゃ」

「間に合わないんだ。俺だって考えた。でも人手も足りない」

「手伝うよ、演舞も。応コンだって、他の人だって」

「心得のない人間が何人来ても無駄だ。それに予備の塗料もない」

「そ、それは…」

「時間もかかる。徹夜しても三日はかかる。明日には取りつけなんだ、絶対無理だ」

「馬鹿!」

 怒鳴る。

「匡輝の馬鹿!」

「…結香。泣くな」

「泣きたくもなるよ、匡輝の大馬鹿!」

 私はぽろぽろと涙をこぼしながらまた「馬鹿!」と怒鳴った。

「何よ、そんなに簡単に諦めて!塗料がない?なら他のブロックから借りればいいじゃない、全部かき集めれば少しはあるわよ!なかったら私達が走り回って買ってくる!」

「物があっても、人は…」

「助けてもらえばいいでしょ!」

 詰め寄る。匡輝は一歩下がった。でも何とか抵抗する。

「だから、経験者はあまりいないんだ。とても足りない」

「他のブロックの看板部員がいるじゃない!」

 もう一歩詰め寄る。また匡輝が一歩下がる。

「おいおい、他の看板が手伝ってくれるわけが」

「手伝ってくれるわよ!事情が事情なんだからやってくれないわけない。私達、別に殺しあいしてるんじゃないんだから、頭を下げればいいだけでしょう!」

 また一歩。今度は匡輝は下がらなかった。互いの身体がほとんどくっつく。

「……」

「……」

 睨みつける私と黙って私をみつめかえす匡輝。

 やがて、匡輝は「ふう」と息をはいた。

「…そうだよな。まだやれる事を全部やってはいないもんな」

「匡輝」

「すまん、結香。泣き言を言うのには早すぎた。まったく、俺もまだまだだな」

「そうよ、まだまだよ…勝手に諦めるなんて情けないんだから」

 口ではそう言うけれど、笑みがこぼれるのをとめられない。匡輝がやる気になってくれたのが嬉しくてたまらない。

「この前は私が喝を入れられたからね。今度は私の番」

「まったく…」

 匡輝の腕が私の肩にかかる。そのまま互いの顔が近付いて…

「あー、ゴホン」

「わっ!?」

「キャッ!?」

 後ろでわざとらしいせき払いの音がして、私達は慌てて飛び退いた。

「…的音ー…」

「アンタ達ね、時と場所を弁えなさい。まったく」

「それはこちらのセリフだ、馬鹿者。何でこんな所にお前がいるんだよ」

「ほほー…何か偉そうな事言うのねぇ。いいのかな、この私にそんなこと言って」

「何かあるんですか、藤堂先輩?」

「そゆこと」

 藤堂先輩は可愛らしく笑うと扉の外を手招きした。ぞろぞろと人が入ってくる。

「あ…」

 匡輝が口をぽかん、と開けた。

 そこには北軍、西軍、東軍の看板長と副看板長、それにたくさんの看板部員がいた。もちろん南軍の看板部員もいる。

「話は聞いたわ。北軍はもう看板はとっくに終わってるから手は空いてる」

「西軍はまだちっと残ってるけど何人かまわすくらいは出来るし、塗料も結構残ってる。この際だからタダでいい、もってけ」

「俺んとこはもうやる事ないんでー。手伝うぞー」

 一応ライバルのはずの他軍の看板長たちが口々にいう。

「お前ら…」

「そう言うわけで、時間ないんでしょ。すぐに作業にかかるわよ」

 何で藤堂先輩が仕切ってるのかよくわからないけれど、とにかく彼女がそう言うと入ってきた人達が次々にパネルを運びだし始めた。

匡輝 『修復』

 運営まで動いてくれたらしく、一体が南軍看板の修復作業の為に空けてあった。

「で、どうするの?」

 ゴッちんが俺の隣に立って壁に身体を持たせかけた。

「紙を貼りなおす方が一番いいんだけど…」

「無理だよな。時間がない」

 パネルに紙を貼るためにはたっぷりと紙に水を含ませて伸ばしてから貼らないと、水糊を付けた時、また塗料を塗った時に紙がたわんで波打つ事になる。しかしそんな手間のかかる事をしていると、パネルが乾くのは日曜日だ。

「結局上から下書きをやりなおして塗料を塗るしかあるまい?」

「でも、黒の上からじゃいくらなんでも…」

「ああ。不透明塗料とはいっても明らかに色が変わるもんな。だから黒の上にまず白を塗る。その上からざっと下書きして塗りなおそう」

「それで大丈夫かな」

「違いは分かっちまうだろうな。ま、それでも遠目ならそれなりに見れるさ。少なくともこのままよりずっといい」

 俺は目の前に広げられていくパネルの惨状を見た。手前の八枚は半分以上に黒い塗料がべったりとかかり、元々の絵がなんだったのかもよくわからない。向こう側の二列、十一枚は程度の差こそあれ、どれも黒塗料に汚れている。一応元の絵はわかるが、どちらにしてもこのままでは使えない。

「とにかくまずは白塗料の確保だな。問屋に連絡しなくちゃならん」

 

 幸いにも問屋の方に水性塗料の在庫はあった。しかも速乾水性のものがあったのでそれを取っておいてくれるように頼み、バイクを持っている奴に取りに行ってもらう。

 昼過ぎにはとにかく黒塗料の上から白塗料を塗るまでは終わっていた。

「でも結構見えるよね」

 結香が言うとおり、一度塗っただけでは黒が透けている。一度乾かしてからまた塗るしかない。

「今、一時半。乾くのに一時間、それから塗って乾くのは…夕方になるわ」

 北軍看板長の田近が時計を見た。

「描線取るのにどのくらいかかりそう?」

「一時間もあればなんとかなる」

「なら、それから塗り始めて…明日の朝にはなんとかなるかしら」

「徹夜で手伝ってくれるつもりか?」

「当たり前じゃない」

 田近は何を言ってるの?といいたげな眼で俺を見た。

「すまん。恩に着る」

「斉藤がそう言ってくれるのは悪くない気分だけどね」

 田近は笑った。派手な美人だから笑顔も華やかだ。栗色の髪がふわりとなびく。

「だいたい運動会だってのに南軍だけ看板なしなんてみっともないことこの上ないわ。これは私達のためでもあるんだから、恩になんか着なくていいわよ」

「そうは行くか。必ず恩は返す」

「ま…期待しておきましょうか。ああ、私なら斉藤とデートってことでも」

「え?」

「…やめとくわ。あちらで睨んでるこわい娘がいるから」

 田近はいたずらっぽく片目をつぶると手を振って俺から離れた。代わりに『あちらで睨んで』いた、結香が俺の前に立つ。

「匡輝、結構人気者だよね」

「…今のはあいつの冗談だと思うが」

 田近とは今まで通り一遍の話しかしたことはない。看板長同士だから知らないわけじゃないが、それだけの仲だ。

「美人じゃない、田近先輩。匡輝もまんざらじゃないんじゃないの?」

「まあ確かに田近は綺麗だとは思うけど」

 ギロリ

「俺は結香一筋だから」

「ふーん…」

 結香は途端に顔を背けた。でも必死に嬉しくて笑いそうになるのをこらえているのはすぐわかる。まったく、このお嬢さんは冷静なようでいて感情の起伏が激しいし、頭がいいのに素直なんだから。

笈阪 『後悔』

 屋上のすみに縮こまる。

「くそっ…俺は…何で」

 拳をざらざらした壁に押しつける。その痛みが何か気晴らしになるかと期待したが、やっぱり何の役にも立たない。罪悪感が胸を締めつける。

 笈阪は、彼が全部切り折ったはずの演舞刀が何事もなかったかの様に元どおりになっていた時には驚いたが、同時にホッとしていた。さんざん悩んだ揚げ句にあんなことをしてしまったけれど、正直やりすぎたと思っていたのだ。

 だがその後、彼は結香と斉藤がキスしているのを見てしまった。やってしまった事に悶々としながら運動会の練習もサボって屋上で煙草を吸っていた彼は、どうしても看板倉庫から目が離せなかった。そして結香が呼ばれ、斉藤が呼ばれ、やがて切り折られた演舞刀と思われるものが布に包まれて美術室に運び込まれるまでを屋上からずっと見ていたのだ。そして最後に美術室の前の廊下で、結香が斉藤にのびあがってキスする所まで。

 二人がそう言う関係になっているのはもうとっくにわかっていたけれど、それでも嫉妬は彼の胸を焼いた。

 今までは女に執着する事なんてなかった。彼が何を言わなくとも女の子はいつもまわりにいたし、声をかければほとんどは成功した。たまに誘いに乗らない女の子もいたが、それはそれでかまわなかったし第一すぐにそんな事は忘れた。寝る相手には不自由しなかったし、誰と付き合っても誰と別れても何も感じなかった。

 でも結香は違った。彼は初めて見た時から結香に惹かれた。しなやかな身のこなし、輝く眼。武術をしているというのも新鮮だった。二段まで取るほどに空手に打ち込んだ彼は武術に興味のある女の子と付き合いたいと思っていた。それに結香は容姿も良かったが、性格も彼の好みだった。たぶん本気で惚れたはじめての女の子だった。

 だが結香は彼を選ばなかった。よりによって斉藤なんて男を選んだ。いつもムスッとしていて表舞台に出ることはあまりなく、それでいて教師や生徒になぜか知られている男だ。冷静ぶって人をバカにしたような口の聞き方をする嫌な男。

 あんな男に俺の結香を盗られるなんて我慢できない。その苛立ちを直接ぶつけようと呼び出したのに、何と言う事か、結香に演舞刀を突きつけられて犬のように追い払われた。屈辱、怒り、嫉妬。それらは笈阪を追い詰めていった。なまじ今まで惨めな目に遭ったことがなく、そう言う時に相談できるような友人もいないことが災いした。

 だから斉藤が一番大切にしているものを汚してやったのだ。夏休みの前からかかりきりになり、この二週間は泊まり込んでまで製作している大看板。結香が毎日のように手伝っているあれを無茶苦茶にしてやる事が最大の嫌がらせになると思った。

 でも違った。

 気は晴れなかった。かわりに自分の卑小さがどんどんのしかかってきた。こんな事をするくらいなら結香に何と言われようと演舞刀で叩きのめされようと、あの時斉藤をぶちのめしておくべきだった。つまらない男の嫉妬を理不尽にぶつけて、それで徹底的に嫌われればよかった。

「クッ!」

 ガスッ!と壁を殴る。もちろんコンクリートの壁はびくともせず、拳には血が滲んだ。骨まで響く痛みはそれでも胸のむかつきを誤魔化してはくれない。

「そのくらいにしておいたら?」

「誰だ!」

 パコッ

「こら、先生に対してその口の聞き方はないだろ?」

 振り向いた彼を手に持った本で叩いたのは…

「康邦…先生」

「や、悩める少年」

 そこに立っていたのは美術教師の康邦だった。いつも通り着くずした和服で、どことなく堅気っぽくない雰囲気がある。『姐さん』などと呼ばれているが、実際に康邦の父親が有名な組の幹部だと知っている人間はあまりいないだろう。

「俺、失礼します」

「アタシ知ってるんだけど」

 笈阪は心臓を掴みあげられたような気がした。

「な、何をですか」

「昨日アンタが万場ホームセンターで買った黒塗料の使い道って言えばわかるかな」

「何のことだか」

 声が震えていた。

「夜の二時くらいだったかねぇ。正直私ももう若くないんだからさ、夜中につれ回すのは勘弁してほしいわけよ」

 二時くらいだった。間違いない。

「な…何が、望みですか?」

「別に」

 康邦は本当にどうでもいい、といった感じで言うと煙草を取り出した。

「火」

 当然のように要求され、しかたなくポケットからライターを取り出して火をつける。ライターを持っているということは学生のくせに煙草を吸っているということを白状するようなものだったが、今さらそんなことは大したことじゃない。

「アタシはどうでもいいんだけど、アンタはキツそうだったからさ。ちっとアドバイスをね」

「先生にアドバイスを受ける理由はありません」

「はは、若いねぇ」

 ぷはぁ、と煙をはく。康邦はもう四捨五入すると四十だが、見た目はまだ三十そこそこ。アンニュイな雰囲気とキツめの美貌で隠れファンも多い。だが煙草のすいかたはどう見ても親父そのものだった。

「何か今、失礼な事を思ったね」

 笈阪は必死にブンブン、と首を振る。正直に答えると命が危険だと本能が告げていた。

「ま、ね。品行方正、いつも正しく真面目な人間なんてつまらんから色々やっていいんだけどさ。人には向き不向きってもんがあんの。アンタは悪ぶってるけど心根はそれほど曲がってない」

「……」

「でもね」

 康邦は何の前ぶれもなく笈阪の襟首を掴みあげた。予想外の力の強さに何もできずに一気に引き寄せられる。

「謝るべき時に謝れなかったらアンタ、本当の屑になるよ。悪いことをするのは仕方ない、だけどその責任もとらなくちゃいけないよ」

「は、はい」

 思わず素直に答えていた。

「いい子だ。自分のやったことは自分で片を付けないとね。それがいい男ッてもんさ」

 襟首が解放される。

「よし、まあ吸いな」

 康邦が煙草を一本くれたので笈阪は受取って口にくわえた。火をつけて吸い込…

「ゲホゲホッ!…な、なんですかこれはっ…ゴホッ」

 物凄くキツかった。いつも笈阪が吸っているのがタール1mgというのもあるかもしれないが、しかしこれは彼がこの前吸ったショッポよりはるかにキツい。だがどこか甘い香りがする不思議な味の煙草だった。

「あー、そっか。あまりこういうのには慣れてないか。ほれ、こういうの」

 差し出された煙草の箱は茶褐色に金の文字で『GARAM』と記してあった。

「ガ…ラム?」

「そ、ガラム。インドネシアの煙草さ。ちっとキツいけど旨いだろ」

「はあ」

 もう一度吸い込む。頭がグラリグラリと揺れる。

「うわ…」

 笈阪は思わず座り込んでいた。

「ははは、ちとキツかったか?まあたまにはいいだろ」

 康邦は笈阪の隣にしゃがみこむとぷはぁ、とまたおっさんくさい仕草で煙をはいた。

「でも…先生」

「ん」

「何で黙ってみてたんですか。普通とめるでしょう」

「そっかねぇ」

 康邦は「んー?」と首をかしげた。

「あたしゃ生徒のやる事には基本的に口を出さない事にしててね。まあ人死にが出るとか、無理矢理手込めにするとかそう言う話じゃない限りは放っとくことにしてるのさ」

「それは、教師として無責任じゃ…」

「いいじゃんか。現に今回も斉藤達は頑張って看板を描きなおしてるし、アンタだってちゃんと反省したし」

「先生、今なんて」

「アンタが反省」

「その前!斉藤達が描きなおしてるって…!」

「当たり前だろ。運動会は明後日なんだ、今さら『看板汚れました、出せません』で話がすむわけないじゃないか。一体で何やら全軍の看板長まで総出で描きなおししてるよ」

「俺、行ってきます!」

 笈阪は立ち上がった。途端に例の煙草のせいでふらつくけれど頭をゴン、と自分で殴って首を振る。

「ま、頑張りな」

「先生!ありがとうございました!」

 笈阪は大きく頭を下げると駈けだした。

結香 『謝罪』

「すまなかった!」

 ずかずかと一体に入ってきた笈阪は、怪訝そうに見る皆の前でいきなり土下座した。

「お前の看板にペンキを掛けたのはボクだ。後悔も反省もしているが、取り返しの付かない事をしたこともわかっている。好きなようにしてくれてかまわない」

 ちょうど白塗料が乾くのを待っている時だったので、一体には私と匡輝、中川先輩とあと数人だけが残っていた。全員が唖然として床にはいつくばっている笈阪を見つめていた。

「お…笈阪だったのか?」

 匡輝もさすがに動揺を隠せない。

「…誰かをかばっているとか」

「違う。ボクがやった。この際だから言っておくが、南軍演舞の演舞刀を折ったのもボクだ」

 顔を上げて笈阪は、匡輝をしっかりと見た。

「な、何でそんな事を…」

 中川先輩が呟いた。

「それは」

「わかった。もういい」

 答えようとした笈阪を匡輝がさえぎった。

「ちょっと笈阪、こちらで話を聞く。来てくれ」

 立ち上がった匡輝と笈阪が一体奥のボール倉庫へ歩いていく。私は後を追った。

「結香。すまん、二人で話をさせてくれ」

「何で!私だって関係あるわ」

「その通りだ。だが男同士の話というものがある。すまんがここは我慢してくれないか」

 そこまで言われると強くは出られない。私は

「…わかった。後で話をさせてね」

 と答えるしかなかった。

「あと皆にお願いがある」

 匡輝は集まってきた中川先輩達に話しかけた。

「この話は誰にもしないでもらえないか。とにかくここにいる連中だけで止めておきたい」

「何でよ」

 田近先輩が匡輝と笈阪を睨みつけた。

「そいつがこんな事したんだったら、きっちり責任取らせるべきでしょう。ここだけの話で終るはずがないわ」

「わかってる。だけど、この時期にこんな話が公になったら運動会が大荒れになる。俺達だけで解決できるならそれで済ませたいんだ」

「……言いたいことはわかるけど」

 田近先輩は腕を組んでうなった。確かに東軍団長が南軍の看板を故意に汚したなんてことが生徒に伝われば大騒ぎになるだろう。明後日が運動会本番だというのにそんな事でもめている場合じゃない。それはわかるけど…やっぱり感情は収まらない。

「ボクは責任を取るつもりだ。全校の前で土下座してもかまわない」

「笈阪、やめとけ」

 匡輝が首を振った。

「そんな事しても意味がない。笈阪の誠意はわかったからここは俺の言うとおりにしてくれ」

「……匡輝がいいなら僕はだまっておくけど」

「頼む、ゴッちん」

「やーれやれ、仕方ないわね」

 田近先輩も首を振った。他の人達も頷く。

「じゃあ笈阪、こっちに来てくれ」

 笈阪と匡輝はボール倉庫に入るとドアを閉めた。

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