私立郁文学園 あつあつ 結花

8月6日(Fri)

匡輝 『笈阪と戦う』

 俺は笈阪と一緒に特別教室棟の裏に来ていた。少し休憩しようかと思っていた時に呼び出されたのだ。なにやら目つきが険しかったのが気になったが、まあコイツとは一度話をしないといかんとは思っていた。

「おい、斉藤。お前どう言うつもりだよ」

 特教棟の角を曲がると待ちきれなかったかの様に笈阪は振り向いた。

「何の話だ」

「とぼけるな、結香の事だ。あれは昔からボクの女だ、知ってるだろう!」

 詰め寄ってくる。あっという間に俺は壁際に追い詰められた。

「そんな事は知らん。第一俺に何の関係がある」

「ふざけるなぁっ!」

 グイッと襟首を掴みあげられる。笈阪はそのまま俺をドン、と壁に押しつけた。

「人の女とイチャイチャしやがって、手前ェ一発殴られたくらいじゃ足りないらしいな!なんなら運動会なんか出来ないくらいにぶん殴ってやろうか」

「遠慮する。だいたいお前だって軍団長だろうが。こんな事をしていいと思っているのか」

「ケッ、ずいぶんと常識ぶるな斉藤!手前ェみたいなチンピラが偉そうな事を言える立場か、ああ?」

 笈阪はどんどんヤクザみたいな口調になっていく。普段の好青年っぽい喋り方はどうやら猫被りというやつらしい。もう俺の呼び方も「お前」から「手前ェ」になってしまった。

「だいたいな、手前ェみたいな根暗野郎が結香に手を出そうなんて千年早いんだよ!アイツは口では何と言っていても結局ボクに惚れてるんだからな!」

「…うるせぇ!」

 俺は急に湧き上がってきた怒りと共に襟首をつかんでいる笈阪の左拳を両手で掴むと一気に右にひねった。

「ウガアッ!」

 外に腕を捻られた笈阪が抵抗も出来ずに体勢を崩す。俺は容赦なく笈阪を地面に叩きつけた。だが笈阪はすぐに立ち上がる。

「手前ェ…ボクに敵うとでも思ってるのか。殺すぞコラ」

 あー…しまった。まともにケンカになればコイツはなんと言っても空手の段持ちだ。多少ケンカ慣れしている程度の俺が敵う相手じゃなかったんだから話し合いで何とかするつもりだったのに。

『アイツは口では何と言っていても結局ボクに惚れてるんだからな!』

 とか言うふざけた口上になぜか一気に頭に血が上ってしまった。

 だがもうここで後に引くことはできない。今さら土下座でもして許しを乞うか?武東にはもう近付かないとでも言うつもりか?

 まさかな。

 俺は見よう見まねの構えを取った。武術は素人だがケンカにはそれなりに慣れている。ゴッちんと殴りあったこともあるんだし、少しは相手が出来るだろう。

 とんでもない思い違いだと言う事をすぐに俺は知った。

「ほう。少しは心得があるのか、斉藤!」

 笈阪が間合いを詰めてくる。

 シュ!ゴグッ!バン!ドスン!

 ほとんど反応できないままに笈阪の拳と蹴りが俺に襲いかかる。直撃は何とか避けるが、速くて重い攻撃はガードに意味を持たせない。

 あっという間に俺は腹に正拳を食らって膝をついた。

「ガフッ…」

 息が出来ない。

「ふん、素人が。死ねよ」

 かなり狭くなった視界の隅で笈阪の片足が上がる。動けない俺の頭に回し蹴りを撃つつもりだというのはわかるが、身体が動かない。

 畜生。

 なんとかガードだけでもしようと腕を上げる。少なくともそう努力する。しかし腕は腹を押さえたまま動かず、少しだけ諦めの気持ちが湧いた。

 だが…いつまでたっても衝撃も痛みも来ない。

「ゆ、結香…何だよ、何だよそれは」

 笈阪のうろたえる声がした。だんだんと息が出来るようになり、身体が動くようになる。俺はやっと頭を上げて笈阪を見た。

 笈阪は俺を…いや、俺の背後を見て驚きか怒りか、目を吊り上げていた。その視線を追って俺も背後を振り向く。

 鬼がいた。

「よくも…斉藤先輩に手を出したわね、笈阪」

 武東が演舞刀を手に近付いてくる。表情は平静そのものだが、吹き出す怒りのオーラが俺にも見えるくらいだった。

「かかってきなさい、笈阪。自慢の空手で向かってくるといいわ」

 いや、演舞刀…早い話、模造薙刀を構えていてそれは無茶だろう。

 よく薙刀は女性の使うもの、と考えている人がいるが大きな誤解だ。むしろ腕力に劣る女性でも剣や槍を持った男性に立ち向かうことができるほどに優れた武器と言うべきで、実際剣道の達人と呼ばれるくらいの人でも素人に毛がはえた程度の薙刀使いに簡単に負ける事はよくある。ましてや薙刀をきっちり修行した武東のようなレベルになるといくら笈阪が空手の段持ちでも素手で敵うはずはない。

「お、おい…結香、冗談はやめろよ…。コイツが先に手を出してきたんだぞ」

「見てたのよ。くだらない戯言言いながら襟首つかんで、あっさり倒されたもんで逆上して先輩を殴ったでしょう。最低よ、笈阪」

 演舞刀を構えたままドンドン近付く武東とジリジリと下がっていく笈阪。やがて

「くっ、くそぉっ!後悔するからなっ!」

 何やら叫ぶと笈阪はくるりと後ろを向いて走っていった。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

 武東が戻ってきた。

「ああ、正直助かった。武東が来てくれなかったら今ごろのされてた」

「ダメですよ、先輩。あれでもあの男は空手二段なんですから、先輩じゃ敵いません」

「俺も殴りあうつもりなんかなかったんだけどな」

 顔面へのパンチは受けたんだが、まともに腹に食らったからまだ痛い。

「でも笈阪もそれなりに手加減はしたみたいだ。痛いくらいですんだんだし」

「もう、お人好しなんだから。あの男が手加減なんかするわけがないじゃないですか。先輩が普通の人より頑丈なだけですよ」

「そうか?」

 そうです、と武東は頷いた。

「保健室に行きましょう」

「それは勘弁してくれ。ケンカしたなんて緑さんに知れたらどんな目に遭わされるか。それにまともに入ったのは腹だけだし、もう大したことはない」

「…まあそう言うんなら」

 武東は看板作業に戻ろうとする俺と並んで歩きだした。

「しかしまたタイミング良く現れたもんだな。悪漢からヒロインを守る正義の味方って所だ」

「たまたま看板の所に来たら中川先輩がこっちにいるって教えてくれたから」

「物陰から覗いてた、と」

「ちち違うんです!あの、何話してるかわかんなくて、ちょっと様子を見ようかななんて」

 そのわりにはしっかりと会話の内容も聞いていたみたいだったが…これはつっ込まない方がいいよな。

「で、でも!あの男の言うことは嘘ですからね!?私、あの男に惚れてなんかいません!」

「知ってるよ」

「あの、昔つきあってたとかそう言うこともないですからね?わかってます?」

「ああ。…何でそんなこと言うんだ?」

 俺が聞くと武東は虚を衝かれたような顔をした。

「そ…そうですよね。何でだろう。とにかく先輩にはそんな誤解してほしくないんです…って、あはは、何言ってるんだろう私」

「いやまあ…誤解されたくないのは誰しも同じだしな」

 あはは、と笑いあう。何となく…何となく、武東が言ってる意味がわかっているような気もしたけれど、俺はそのことに気づかないフリをして笑いに誤魔化した。

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