私立郁文学園 あつあつ 結花

7月28日(Wed)

結香 『台風の日』

 雨がだんだんと強くなってきているような気がする。豪雨ってわけじゃないけれど、外に出るなら合羽が欲しくなるくらいの雨だ。

 今日は台風が近付いてきているのだった。天気予報では直撃じゃなくてかする程度、雨も午前中に降り出して夕方にはある程度落ち着くだろうって言う話だったから、私は学校に出てきていた。

 もちろん演舞の練習はちょっと無理だ。台風の日は準備登校も自粛する事になっているし、第一演舞の練習っていうのは毎日あるわけじゃなく、大体三日にいっぺんくらいになっている。本番二週間前にでもなれば毎日だけど、夏休みの間はそこまでしない。

 だけど演舞の練習がないからと言ってやる事がないわけじゃない。本番では衣装も飾ってもっと見栄えのするものにするんだけど、もちろんどこかの店に頼むわけじゃなくて自分達で縫わなくちゃいけない。それに演舞自体もまだ半分くらいしか演目は決まっていないから残り半分を早く練り上げないといけない。もちろんそれは演舞長たる私の仕事。とにかくまだまだやる事はいくらでもあるのだった。

 と言うわけで私は自分の教室にもぐりこんでチクチクと縫い物をしていた。ちなみに一人ではない。

「でも意外だね〜」

 佳子がにやりと笑った。この娘がこう言う笑顔を見せる時はたいていろくな事を言わない。

「何が」

 警戒しながら返事をするが、多分…

「斉藤先輩と結香。結構仲いいじゃない」

 やっぱり。

「む…同じ南軍の大幹部だもの。ギスギスしてても仕方ないでしょ」

「へー…結香ったらこの前は『冷血』とか『嫌い』とか言ってたくせに」

「まあ…だって、あの時はあまり知らなかったし」

「今は知ってるの?」

「少なくともあの時よりはあの人がどんな人かはわかったわよ」

「ほほう…『あの人』と来たか」

 にや〜り。なんか横目で私を見る。

「佳子!そう言う意味じゃないの!」

「わかってるよ〜。『先輩と後輩』としてちょっと仲良くなっただけなんだよね〜」

「…そうよ。それだけ」

 絶対この娘、そう思ってないわ。

「へぇ、武東って斉藤さんと仲がいいんだ」

 武藤が達人クラスとして知られる運針を進めながら話に参加してきた。

「斉藤さんって結構人気あるんだよね。寡黙でさ、大人っぽいって」

「は?寡黙?」

 んー…まあ、確かに前は私もそう思ってたかも。でも

「斉藤先輩って口下手っていうか人見知りする方なんだと思うわよ。ああ見えて中山先輩とかとは良く喋るんだから」

「うん、藤堂先輩もそんな事言ってた。美術部じゃあれで結構バカ話もするんだってね〜」

 佳子が笑う。

「ふーん。本当に仲がいいんだ、結香って。ちょっと意外かも」

「仲がいいわけじゃないって言ってるでしょ。知り合いってくらい」

「でもこの前斉藤さんにえらく地で話してたじゃない。男相手にあんな喋り方する結香って初めて見たよ」

「あー、この前の練習の時?うん、まるっきり地だった」

「うっ…あ、あの時はちょっと頭に血が上ってたから…!いつもあんな喋り方してるわけじゃないんだから」

「それに斉藤さんだってわざわざ出てきてたし。そう言うタイプの人じゃないよな」

「たまたまよ。外を見てたら私が見えただけだって言ってたし」

 でも確かにわざわざ出てきてくれたのは…って、違うわよ。先輩はただ不審に思っただけなんだから。私が見えたから出てきたってわけじゃない。

「ほほ〜う」

「へーえ」

 …ダメだ、この娘たちったら何かを思いっきり期待してる。そんなんじゃないのにな、本当に。

 それは私もこの前のことには感謝してる。貴重な室内作業の日なのに一体の半分を演舞のために開けてくれたんだもの。だけどあれは斉藤先輩の言うとおり同じ南軍だからであって、それ以上の好意とかがあったわけじゃない。

 私だって先輩のことは今は嫌な人だとは思ってないけど、まあ悪い人じゃないなってくらいで。それだけなんだから。

 その時一人の女生徒が入ってきた。肩まである黒髪に淡いピンクのリボンを大きく飾っている、おっとりしたお嬢様っぽい娘だ。というかかなり大きな商社社長の令嬢なんだから本当のお嬢様なんだけどね。

「彩、お帰り〜」

「はい。これ、差し入れですわ」

 その娘…蓮馬彩は手にさげていた金属の箱を私達に差し出した。

「おお〜、クッキー詰めあわせだね。どうしたの、これ?」

「運営の方でいただきました」

 はて。確かに彩には運営に行ってもらったけど、それはクッキーをもらうためじゃなくて追加予算について相談するためだったはず。

 その事を聞くと彩は

「その件でしたら明日お返事するとの事ですわ」

 と言って席についた。

「それで、何か楽しそうなお話をされてたようですけれど」

「ああ、結香と斉藤さんって結構仲がいいねって話」

「もう、武藤!そんなんじゃないって言ってるでしょう」

「斉藤先輩って言えば、今日見ましたわよ?」

 さっそくクッキーの缶を開けはじめた佳子の隣から彩はこちらを見た。何やら目がキラリと光ったような気がしたけれど…気のせいかな。

「看板倉庫の方に行かれましたわ。お一人で作業されるのかとちょっと気になっていたんですけれど」

「雨、降ってるよ?」

 パコン、と缶が開く。

「ええ、でも先輩ならやっていそうではありませんこと?」

「そうだなー、美術バカって感じだもんなー」

 かちん。

「責任感が強いだけよ。美術バカっていう言い方は…」

 と、つい強い口調で言ってしまってから気がついた。…しまった。武藤ったら『してやったり』みたいな顔で私を見てる。

「ま、バカよね。斉藤先輩のことはいいから、作業しましょう」

「様子、見に行かないのか?」

「…何で私が?」

 睨みつけるが、武藤は気にもしない。

「差し入れに行くというのはいかがですか?」

「…どうして?」

「このクッキーは斉藤先輩のおかけで私たちの所に届いたんですもの」

「どう言う事?」

 彩の言うには運営委員長の細谷先輩が『先日の二体の件では迷惑をかけた。今後は二度とこんな事が起こらないようにするから』と彩に謝り、『武東さんにも後でちゃんと謝るから』とまで言って、さらにクッキーの缶を渡してくれたらしい。

「なんでも細谷先輩は斉藤先輩のご友人だとか。『斉藤にえらく怒られた』と言われてましたわ…あ、これは言わないでくれ、とおっしゃられていたのでした」

 ほほ、と笑う彩。…わざと言ったくせに。

 このお嬢は実はこの三人の中で一番質が悪いのだ。

「斉藤先輩ってば、そんな事一言も言ってなかったのにねぇ」

「やるな、斉藤さん。締めるべき所は締める、いい男じゃん」

 三人がニヤリ、と薄笑いを浮かべながら私を見る。

「……わかったわよ!行ってくるわ、あと、ちゃんとお礼も言ってくる!それでいいでしょ」

「いってらっしゃ〜い」「おう、ゆっくりしてきな」「よろしくお伝え下さい」

「すぐ帰ってくるわよ!」

 そう言うと私はクッキーの袋をいくつかハンカチに包んで教室を出た。…もう、あの娘達が変な事言うからさっきから胸はドキドキするし、顔は熱いし…えい、静まれ私!あの人はただの先輩!それだけなんだから!

匡輝 『差し入れに来た武東』

 かなりひどくなってきたな、雨。風も出てきたらしく、薄い扉がゴトゴト鳴っている。

 看板倉庫はプールの裏手にあり、大きく四つの区画に分けてある。もちろん東西南北の四つのブロックのためだ。用途はパネルや道具の置き場なのだが、他にも応コン…応援コンテストの時に使う手持ちの小型パネルやら演舞やダンスが使う衣装やら、とにかく運動会で使うものは全てここに置くことになっていた。

 二階建ほどの高さで、広さは教室二つか三つ分くらいはある。電灯もちゃんとついているし、コンセントもあるので電気器具も使える。去年までは有機溶剤系の塗料を使っていたから中で作業なんかしていると命に関ったが、今年からは塗料はすべて水性に切り替えたので酸欠になる心配もない。

 と言うわけで、俺は看板倉庫の空いているスペースにパネルを一枚ずつ出して下書きの訂正をしていた。ほとんど下書きも終わっているのだが、やはり全部俺が手がけたわけではないからどうしても上手い下手がある。かと言って皆の前であまり上手くない一年などを注意するなんて可哀想なので、こういう時に人知れず手直ししておくのが看板長の役目の一つだ。

(とは言え、今年の看板委員はかなり上出来だな)

 わかってはいたが、あまり手直しをする所はない。この調子だと夕方には訂正も終わって、明日からは予定通り色塗りに入れるだろう。いっそ手直しなんかしなくてもいいのかもしれないが、せっかく出てきたんだし第一この雨の中帰るなんて馬鹿馬鹿しい。どうせ夕方までは動きがとれないんだからやれる事をやっておこう。

 俺は線の訂正ついでに色指定も書き込みはじめた。結構複雑な塗り分けをするからちゃんと指定しておいた方が間違わなくていいだろう。

 水性塗料は安全で溶剤に水が使えて経済的といい事が多いのだが、乾きが遅いのが欠点だ。つまり塗り間違えると直すのが難しい。たいてい一日乾かして翌日塗りなおさなくてはならない。それに透明性がちょっと高いので上から塗りなおすと色が濁ってしまう。だから最初にしっかり色指定をした方が結局は楽なのだ。

 ゴトゴトとまた扉が揺れた。しかも勝手に開きだす。

(おいおい、いくらなんでもそこまで立てつけ悪いとヤバいだろ)

 一応鍵をかけることにはなっているけど、しょっちゅうかけ忘れていることがある扉だ。勝手に開くようなものだと下手したら朝来ると中は水びたしということになりかねない。俺は立ち上がると扉を閉めようと近付いた。

「ちょ、ちょっと!せっかく開けたのに閉めないで下さい!」

「うわ!」

 誰もいないと思っていたら急に女の子の声がして、俺は驚いて手を止めた。あれ?この声は。

「武東?」

「…そうです。入っていいですか」

「そりゃ構わんが…っていうかここは俺の部屋じゃない」

 だいたい何でコイツは扉の影に隠れてるんだ。

 武東は傘をたたむと倉庫の中に入ってきた。

「どうしたんだ、こんな雨の中。濡れてるじゃないか」

「もう、ひどい雨ですもの。でもそれ言うなら先輩だってここにいるでしょう」

「まあ俺は仕事だからな。武東も何か必要なものを取りに来たのか?」

「えっ!…ええ、まあその。そんな所…です」

 はて。何をうろたえてるんだろう。

「うう…もうあの娘達ったら…先輩、これをどうぞ」

 はて。

「クッキーか。ああ、ありがとう」

「これもどうぞ」

 350mlの缶入り紅茶まで出てきた。礼を言って受けとる。

「ありがたいが…いったいどうしたんだ」

「見ての通り、差し入れです」

 どういう風の吹き回しだろう。わざわざこんな雨の中、看板倉庫まで武東が俺に差し入れに来るなんて。そんな事をしてもらうほどの関係じゃないはずなんだが…。

「俺がここにいるって良く知ってたな」

「友達から聞きました。あの、失礼しますね」

「ん」

 出て行くのかな、と思ったら武東は積んであるマットに腰掛けた。

「先輩も休憩されませんか?」

「…じゃあ、そうさせてもらうか」

 俺は武東の隣、とは言ってもちゃんと1mは距離をとって腰掛けた。一応男女が倉庫の中で二人っきりという状況はちゃんと意識して行動しないといけない。どうも武東にはそう言う警戒感とでも言うべきものがないようだが。

 プシッと紅茶を開ける。

「先輩は紅茶で良かったですか?コーヒーとどちらにしようかと思ったんですけど」

「どちらも好きだ。まあコーヒー党とか紅茶党とか言えるほど味に敏感なわけでもないし」

 ちょっと糖分が欲しかったところでもあるし、ありがたくクッキーの袋を開けてかじる。武東も一つ開けるとカリッと音を立てながらかじりはじめた。

 しばらく黙ってクッキーをかじる。

「…先輩、あの」

「ん?」

「ありがとうございました」

 いきなり礼を言われる。何のことか分からなくて困る。

「運営委員長にこの前の体育館の事、言ってもらったそうで」

「…あ、ああ…細谷の奴、わざわざそんな事言ってたのか」

 黙ってろって言ったのに。

「私が直接聞いたわけじゃありませんけど。元はと言えば私のせいなのに先輩には色々とご迷惑をおかけします。改めてお礼申しあげます」

 ぺこり、とこちらを向いて頭を下げる。

「そんな事しなくていいって言っただろう。南軍の幹部なんだから当たり前の事をしただけだ」

 つい突き放したような言い方になる。真っ正面からの好意にすぐこういう無愛想な反応をしてしまうのが悪い癖だとは判っているが、こればかりは…

「……」

 武東は案の定、俺の言葉を聞いて眉をしかめた。

「先輩」

「…はい」

「……照れてます?」

「うっ!あ、その…うん」

 ここで『別に』などと答えたら武東は二度と近付いてこないだろう、という予感がした。だから今日は素直に思ったままを口に出す。ゴッちんも『つまらない格好つけが多いもんね、匡輝は』と言っていたじゃないか。

「クククッ…」

 武東は俺を見ると何やら嬉しそうに笑いだした。

「何故笑う」

「ご、ごめんなさい。フフ、なんでだろ私、とても嬉しくって」

 幸せそうに笑う武東は…何だかすごく可愛くて、俺は思わず見とれていた。

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