私立郁文学園 あつあつ 結花

8月5日(Thu)

結香 『陰険女』

「結香、斉藤さんが来てるぞ」

 武藤に呼ばれて私は振り向いた。

「よ、お疲れ」

「どうしたんです、先輩。看板は一休みですか?」

「ん。とりあえず俺の持ち場が一段落ついてな。少し様子を見にきたんだが、いいかな」

「はい。ちょうど今から一曲から四曲まで通してみるので評価お願いします。多分まだまだ変わるんですけど、色んな人に見てもらわないとわからないことも多いから」

 私は先輩に「椅子をどうぞ」とすすめたが、先輩は座ると見にくいから、と言ってその椅子の上に立った。確かにそうした方が全体が見える。

「まだみんな覚えてないから少しずつ止めながら演舞します。何か気がついた事があったら教えて下さい」

「言っとくけど本当に、だからね。アンタも看板長ならそれなりに美的感覚があるだろうから、頼りにしてるよ」

 填龍先輩が斉藤先輩に声をかけた。そうか、当然知り合いだよね。

「おう。とは言っても演舞は素人だからな」

「その素人が見て採点するんだから。私達だけがいいと思ったって仕方ないさ」

 なるほど。さすがはこの道三年の填龍先輩、いい事を言う。

「それじゃ、まずは第一曲!ゆっくり行きまーす!」

 

「どうぞ、先輩」

「お、ありがとう」

 私はバケツカルピスを先輩に渡して隣に座った。いったん休憩にしたのでみんな思い思いにカルピスを手にしてそこらに座っている。佳子達は何を考えているのか…いや、わかってる、多分気を使って別の場所にいった。

 本来五分かそこらで終る演舞だけど、まだみんな基本的な動きも習得していないからゆっくりと二十分くらいかけて第四曲まで終わらせた。そもそもまだこれから何日もかけてあちこちを変えて行かなくちゃいけないわけで、人に見せるようなものじゃないんだけどね。

「どうでした?」

「全体的な流れは面白いと思う。けどまだよくわからないな」

「…ですよね。あ、流れは填龍先輩が考えてくれたんです。で、私が一つ一つの動きを考えたんですけど、結構難しいって言われます」

「最後の方の、演舞刀を身体の後ろ側から回すっての、のきなみ落としてたじゃないか」

「そうなんですよ…。でもアレ、みんなが出来たら格好いいと思いませんか?」

「そうだな、確かに」

 先輩が言っているのはラスト、みんなが大きな円陣を作った状態で左手に持った演舞刀を背中からぐるりと回して右手に持ち替える、武東流では『コマドリ』と呼ばれる技法の事だ。確かに難しいみたいだけれど、練習すればちゃんとできるようになると思う。

「おや、こちらの演舞長さんはずいぶんと余裕じゃない。彼氏とご休憩なんていいご身分ね」

 不愉快な声が聞こえてきた。私はそちらを見ないようにして答える。

「こちらになんの御用ですか、西軍演舞長。今日はそちらは練習はお休みでしょう」

「ヒサのところを見学に来ただけよ。武東の古臭い演舞なんかに興味はないわ」

 ヒサというのは北軍演舞長の楠波妃佐子先輩のこと。私にも良くしてくれる人だけど、なぜかこの不愉快な女とも仲がいい。

「曲芸まがいの演舞よりはるかにマシです。どうせ見学なんて口実で、東軍団長でも見にきたんでしょう。そちらこそいいご身分ですね」

「…なんですって!それが上級生に対する口の聞き方?」

「あら、すみません。私どうも正直者で」

「こちら向きなさいよっ!人と話してるのに失礼でしょう!」

 あまり見たくないが、こんな所でこの女と余計な言い争いはしたくない。私は右側、斉藤先輩の向かい側に立っている女生徒を見た。

 背が高く眼の鋭い三年生。名前は輪口澄…そう、前に二体から私達を追い出す陰謀の片棒を担いだ女だ。どう言う趣味をしているのかあの笈阪が好きらしく、従って笈阪が追い回していた私が気に食わないらしい。はっきり言ってとても迷惑な話だ。

 斉藤先輩はどうやら事情を素早く察したらしく、黙っている。これは女の問題だから、先輩が口を出すとややこしくなると言うのをすぐに悟ったみたい。この人は鈍感なようでいてこういう所妙に鋭いからあなどれない。

 その先輩をこんな事に巻き込みたくないからさっさとこの女を追い返そうと思った時、西軍演舞長は見過ごしにできない事を言った。

「まったく、礼儀を知らないんだから。知ってるのは男の引っかけ方だけとはね」

「……!」

 この女が誰の事をさしてそうあてこすってるのかくらいさすがにわかる。わかるから、先輩に申し訳なくって私は猛然と立ち上がった。

「私だけならともかく、他の人まで馬鹿にするなんて最低です!だいたいあの勘違い男と組んで人の練習場所をすり替えるくらいしか能のない人に礼儀とか何とか言われる筋合いはありません!」

「なっ…!何の事よっ!」

「知ってるんですよ。笈阪と一緒になって猿に二体の使用許可を変更させたって。あなたも演舞長ならもう少しプライドを持ったらどうですか」

「知らないわよっ!何、言いがかりをつけるつもり?カビの生えた武術もどきしか能のないくせに人を疑うのだけは一人前ね!」

 ぐしゃ

 手の中で紙コップが潰れた。もう許さない。三年だろうが人前だろうが頬の一つもはり飛ばしてやる!

「はーい、そこまで」

 輪口に向かって一歩踏み出した時、私の肩を誰かが押さえた。

「結香ちゃんも澄もストップ。みんな見てるんだからね、それ以上やると色々と面倒な事になるよー?」

「楠波先輩…」

 いつのまにか、楠波先輩が私の後ろに立っていた。その困った顔を見るとあっというまに頭が冷えていく。私は振り上げた手をおろした。輪口もばつの悪そうな顔をしている。

「もう、澄ったらこんなところで何してるの?アタシのところに来るって言ってたじゃないのー」

「あ…、ごめん」

「結香ちゃん、あなたも仮にも大幹部なんだからもーう少し落ち着きなさい。ほら、斉藤君も困ってるじゃないの」

 言われて斉藤先輩の方を見るとなるほど、私を止めようとしたのか前に出そうとした腕を引っ込める所だった。視線があうと黙って笑ってくれる。その微笑みをみたとたん、輪口などと掴み合いをするのが馬鹿馬鹿しくなった。

「すみません、輪口先輩。暑さのせいか、イライラしてたみたいです。どうぞ楠波先輩の方へ行かれて下さい」

「あ、ああ…」

 急に下手に出た私に面食らったのか、輪口もそれ以上なにも言わない。私はつづいて楠波先輩にも頭を下げた。

「楠波先輩、ありがとうございました」

「いいんだよ、斉藤君と仲良くねー」

「く、楠波先輩っ!」

「にゃはは、それじゃ!ほら、澄」

 楠波先輩は輪口の手を取ると手を小さく振りながら向こうの方へと歩いていった。

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