私立郁文学園 あつあつ 結花

8月14日(Sat)

結香 『色ボケ?』

「おう、今日は朝早いんだな」

「うん。ちょっとやる事があるんだ」

 私は食堂に入ってきた父さんと入れ違うように立ち上がった。

「ごちそうさま」

 父さんのためにコーヒーを入れ始めた母さんに声をかけて自分の皿とカップを台所に運んでおく。ちなみに家はでっかい道場まである純和風な屋敷だけど、朝ごはんはたいていトーストと卵、ベーコン、サラダという洋風だ。何でも父さんと母さんは海外(カナダだという話)留学している時に出会ったとの事で、食事の習慣もそこで洋風になってしまったらしい。

「それじゃ行ってきます」

「今日も遅くなるの?」

「うん、ちょっと。忙しいんだ、今」

「明日はお墓参りなんだから今日はあまり疲れないようにしておきなさいよ」

「はぁい」

 私はとりあえず大人しく返事をして食堂を出た。いつもはこの時間にはパジャマで朝ごはんを食べているはずなのに、今日はもうしっかりと制服に着替えている。

 私は知らず知らずのうちに早足になりながら玄関に向かった。

「ふふっ…」

 いけない、まだ家にいるんだからへにゃへにゃ笑ってる場合じゃない。

 昨日家に帰ってくる途中のバスの中、部屋の中、そして夢の中でさえも私は照れ笑いしっぱなしだった。だって昨日の夜、私とせんぱ…ううん、匡輝は二回もキスしちゃったんだもん!

 もう幸せすぎてどうにかなってしまいそう。

「行ってきまーす!」

 私は元気よく挨拶すると小走りにバス停へと向かった。

 

 バスを下りる。まだ周辺に生徒の数はほとんどいない。何しろまだ朝の九時前なんだから当たり前だ。いくら運動会の準備中とは言えだいたいは昼ごろから始まるし、そもそも今はお盆中だから応コンも応援団も創作ダンスも幹部くらいしか来ない。実は女子演舞も今日から17日までは休みになっている。

 なのに何で私が学園に来ているかと言うと…

(あ、いた!)

 もちろん匡輝がいるからだ。看板はお盆休みの間も有志が出てきて作業をすると聞いていたから、匡輝がいないわけがない。そしてほんの半日前に想いを伝えあった恋人たちが逢いたくならないわけもない。

 少なくとも私はそうだもの。

(匡輝はどうなのかな…)

 ちょっとだけ不安になる。あの後、家に帰ってから「今着いた」っていうメールはしたし、「おやすみ」っていう返事ももらったけれど向こうでパネルを運んでいる匡輝は私のことを待っているようには見えない。

 ええい、結香!こんな物陰から覗いてる場合じゃないでしょうがっ!

 私はえい、と気合いを入れると何気ないフリで匡輝の方に歩いていった。

「お、おはよう、匡輝」

 匡輝が振り向いた。私を見る。

「…結香?」

「うん。匡輝、早いね」

「女子演舞は休みじゃなかったのか?」

「休みだよ。でも…その…匡輝は、迷惑?」

 ううっ…何で「逢いたかったから」の一言が言えないのよ、私は!

 でも匡輝は私の言いたい事をわかってくれたらしい。パタン、と持っていたパネルを置くと私の方に近付いてきてくれた。ニッコリ笑う。

「おはよう、結香。その…来てくれて、嬉しい」

「匡輝…」

 もう世界には二人だけ。私と匡輝は互いに一歩近付いて…

「あ、やっぱりいたーっ!」

「わわっ、急接近中だ!」

「まあ、こんなところで…破廉恥ですわ」

 振り向くと佳子と武藤、そして彩が制服姿で立っていた。

「って、あなた達!どうしてここにいるのよ!」

「何、やっぱお邪魔だった?」

「そうなの、結香〜」

「じゃ、邪魔ってわけじゃなくて、女子演舞は今日は休みじゃない」

「しかし結香は来ている」

「しかも『結香』『匡輝』と呼び合う仲に」

「いやっ!不潔よ、結香!」

「私達のことなんてもうどうでもいいのねっ!」

「佳子!」

「睦月!」

 わーん、とわざとらしい声をあげて手を取り合う武藤と佳子。照れたり怒ったりする前に脱力してしまう。

「アンタ達ねぇ…何考えて生きてるのよ…」

「と言うわけで、今日はお二人の関係がどうなったかを確認に参ったのですわ。でもどうやら心配はいらなかったようですわね」

 彩がふふ、と笑った。冷やかしじゃなくて、本当に良かった、という気持ちの笑い。だから私は照れ隠しに言い返す事もできない。

「ん…まあ、ね」

 匡輝を見る。平然とした顔をしているけれど、多分内心では照れまくっているんじゃないだろうか。

「それではちゃんとお付き合いする事になったのですか?」

「ああ。俺は結香と付き合う事になった。これからもよろしく」

 彩が匡輝をまっすぐ見て問うと、匡輝も彩をちゃんと見てそう答えてくれた。

「結香をよろしくね」

「泣かせたら許しませんからねー」

 武藤も佳子もふざけるのをやめて匡輝を見る。

「努力する。君達にも色々と世話になると思うけど、よろしくな」

「はぁい」

「了解」

 うわ、もう!何か看板の人達もこっちを見てるよぉ…。あの怖いくらい微笑ましい雰囲気、明らかに私達の話の内容がわかってる。は、恥ずかしい…でも嬉しい…!

「て、結香。顔が溶けすぎ」

「え、ええっ!?そう?」

「もうふにゃふにゃですわ。気持ちは分からなくもありませんけど」

「わ、私、顔洗ってくる!」

 私は火照った顔を押さえて水道がある方に駈けだした。

匡輝 『どこまで行ったの?』

「というわけで私達の関心は今そのただ一点にあるのだけれど」

「いや待て。なんで的音がここにいる」

 昼飯時。さすがに学食もお盆の間は休業しているし、外食しようにも他の店ものきなみ休みということで、俺達はコンビニでパンやおにぎりを買ってきて昼食を取っていた。看板部員もそれぞれ仲良しのグループ同士でそこらに散って昼にしている。

 俺達は第三校舎の屋上に集まっていた。この校舎の前は看板作業場所の一つであり、広げたパネルをここの屋上から見る事によって全体の作業監督をしたりバランスを調整したりするため、常に開放されている。

 俺とゴッちん、結香とその友達三人。そして看板の幹部の一人である岩神とその彼氏の賢木がいるのはわかる。だが。

「やだな匡輝。アンタ達が上手くいったのはこの私のおかげでもあるんだから、その後の経過を知りたいのは当たり前じゃない」

「プライバシーに関る問題については発言を拒否する」

 俺はきっぱりと的音の要求を却下した。結香は表面上冷静を保ってオニギリを食べている。少なくとも本人はそのつもりらしい。

 目は明後日の方を向いているし、頬はピンクに染まっているが。

「私達も多大なる関心を持っていますわ」

 蓮馬がニコニコと微笑みながら的音に同調する。最初見た時は大人しいお嬢様かと思ったが、どうもこの娘は的音と同じ匂いがする。表面は優しく笑いながら人の秘密を暴いてからかって楽しむ趣味を持つとみた。

「私も気になるな」

「二人で消えちゃいましたものね〜」

 武藤と寺西もサンドイッチをもぐもぐしながら興味津々と言った眼で俺達を見る。

「わざとはぐれたくせに」

「あら、なんの事でしょうか」

「よく考えたらおかしいと思ったんだ。いくら何でも都合が良すぎた」

「つまり二人きりの方が都合が良い事があった、と」

 岩神がボソリ、と呟いた。

「大知、どう思う?」

「斉藤もこれでなかなかのムッツリ野郎だからな。やる事はやったと見るべきだろう。中川も見習え」

「ぼ、僕はその」

 ついでにからかわれてうろたえるゴッちん。

「岩神も賢木もこいつらの仲間か」

 眼鏡に三つ編みのお下げというもうどこから見ても『委員長』と言う雰囲気の岩神は見かけどおり俺達のクラスの委員長でもあり、さらに生徒会のなにかの委員会の委員長でもあったはずだ。だがその一見固い印象とはうらはらに、実は的音に負けず劣らずのゴシップ好きでもある。

「告白はどっちから?やっぱり男らしく匡輝が?」

「ノーコメントだ。お前ら趣味が悪いぞ」

「君のことを愛しているんだ、結香!」

「私もあなたを愛しているの、匡輝!」

「見つめあい、そして草むらに倒れ込む二人…」

「結香…」

「匡輝…」

「やがて斉藤さんの手は結香のショーツに…」

「って、あなた達いい加減にしなさーいっ!」

 熱く見つめあって寸劇を始めた武藤と寺西(ナレーションは蓮馬)に、一所懸命に平静を装っていた(つもりの)結香が爆発する。

「そんな事してませんっ!ただ私達、その、あの」

「キスしたの?」

「え、えええッ!」

 唐突に的音に詰め寄られた結香があからさまにうろたえる。しまった、結香は的音に慣れていなかったか!

「ふふーん、その反応。的音さんのアンテナにピピンと来たわ。したわね」

「したのね」

「よくやった、斉藤」

「まあ、私の結香を…お恨み申しあげますわ、斉藤先輩」

「やったか、斉藤さん」

「もう私恥ずかしい〜」

「〜〜〜!!」

 これ以上ないくらい結香が真っ赤になる。何かいいたげに口をぱくぱくさせるが、結局何も言えないままストン、と座って…俺の胸に頭をもたせかけた。右手で俺のTシャツをつかんで少し見上げてくる。

「お、おお…」

「大胆ですわね」

「って、どうした?」

 結香の真っ赤な顔をのぞき込む。何やら眼で訴えかけて来るが、言葉にならないらしい。

「よし、お前ら後ろ向け。ちょっとやりすぎ」

「あはは、ゴメンゴメン。はい、皆。ちょっと二人だけにしてあげましょう」

 的音が率先して立ち上がり、ちょっと離れた所に座りなおした。皆もそれに習って座る場所を変えた。ちゃんと俺達が見えないように座ってくれている。背中が耳になっているのはわかるが、それには目をつぶろう。

 まあ・・・正直少し悪ふざけが過ぎるとは思うけれど、これも本当に俺達のことを思ってくれていたからこそだと言うのはわかるし、そもそもコイツ等がこのくらいお節介でノリのいい連中じゃなければ俺達はまだ想いを伝えあっていなかっただろう。

「ほら、しっかりしろ結香。もう皆見てないから」

「うう…もう…」

 何となく肩を抱く。そうしてしまってからその細さと柔らかさにドキッとするが、あくまで平静を装う。ここで俺まで照れてしまっては結香が一層ゆだってしまう。

「ほら、深呼吸」

 すー…はー…

 結香が言われるままに深く息を吸う。

「少しは落ち着いたか?」

「……恥ずかしくって死ぬかと思ったよ…。ひどいんだから」

「あいつらなりに喜んでくれてるんだろう。多分」

「八割は冷やかしよ…後で覚えてなさいよー」

「とか言いながら何で笑ってるんだよ」

「え?…いや、えへへ。やっぱ幸せだなって思って」

 ちょっと照れながらも結香が俺のシャツを掴む手にちょっと力を入れた。心なしか体の密着具合が上がっているような気がする。ふわり、と甘い香りがしてそれが結香のものだと気づくと同時に何やら俺の身体の一部が元気になり始める。

 …って、まずいって!

「あー、結香。何と言うか今はまずい。ちょっと前を見ろ」

「え…と、あっ…!」

 やっと意識がはっきりしたのか目を開けて、途端にバッ!と姿勢を正す。的音たちがそろって肩ごしにこちらをチラチラと見ていた。

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