私立郁文学園 あつあつ 結花

8月22日(Sun)

匡輝 『刀剣展示会』

「おおおー……」

 的音が一つのガラスケースの前で動かなくなった。ケースの中には一振りの打ち刀、プレートには『源清麿』と書いてある。銀の砂が蒔き散らされたような地沸が美しい、新々刀…つまり江戸末期の名刀だ。

「ね、ねぇ…豪造、これ買って」

 無茶な事を言い出す的音。確かお値段は安くても1800万円あたりからだったはずだ。

「ふぅ…」

 こちらでは結香が動かなくなった。プレートには『堀川国広』という文字が見える。新選組の近藤勇の佩刀として有名な虎徹(ただし実際は清麿だったらしい)と並んで、新刀の中でも最高の評価が与えられている名刀中の名刀だ。ちなみにこちらもお値段は2000万近い。

「結香まで『これ買って』とか言い出すんじゃなかろうな…」

「ううん…そこまでは言わないけど…」

 綺麗だね、と小さく呟く。俺は雰囲気を壊さないように小さく頷いた。

 プレートの説明によると国広の晩年の作品だそうだ。焼刃の線がゆったりとした曲線を描いていて美しい。人を斬るために作られたまぎれもない武器だが、そこには本当に精魂こめて鍛えられた道具に共通する美が存在した。

 

「凄かったねぇ…」

 的音が呟くと、結香もふう、とため息をついた。

「何か眼福って言葉が分かるわ…」

「と女性陣は言っておられるが」

「普通、逆だよね…」

 男が刀に魅入り、女があきれると言うのが相場だと思うのだが。

「匡輝はつまらなかった?」

「いや。実は負けず劣らず魅入ってた。ゴッちん、俺にはあの井上真改でいいわ」

「どれも無理。家が買えるよ…」

 この中で唯一それほど刀剣に興味のないゴッちんは、それでも的音が喜んでいるだけで嬉しそうだった。

 それにしても比較的小さな展示会なのにえらく良い刀が集まっているものだ。現代刀もいくつかあったが、いずれも見事なものばかり。古刀は正宗の短刀と一文字吉房が一振りだけだったが、新刀、新々刀が七振りもあり、見ごたえがあった。美術館に入ったのが昼ごろだったが、出てきたのは閉館の五時近くなってからだ。

 結香がアイスティーをコクリ、と飲む。実は結香はコーヒーが苦手らしい。コーヒーを飲む時は最低でも砂糖を三つは入れないとダメだとか。

 的音はその隣でコーヒーをブラックで飲んでいる。店内は弱冷房だが『コーヒーはブラックでホットに限る』と言ういつもの主張の通り、的音は夏場にホットコーヒーを注文した。結果として少々暑そうで、時々ぱたぱたと襟元を開いて扇いでいる。その度にブラの肩ひもが見えるような気がするのだが…。

「匡輝、目がイヤらしい」

「そんな事はないぞ。結香の見間違いだ」

「だいたい匡輝が即答する時って図星をつかれた時なのよね」

 的音がニヤリ、と笑った。

「匡輝、本当にイヤらしい眼なんかしてないよね。ね」

「い、痛いぞゴッちん。本当だ、本当にしてない」

 ギリギリと俺の肩に食い込み始めていたゴッちんの指の力が緩む。

「まったく…ゴッちんもそんなに心配なら的音に頭からコートでもかぶせておけ。もともとコイツは暑けりゃ平気で下着姿になるような奴なんだから」

「出来るならそうしてるよ…」

「て言うか。私はそんな事はし・ま・せ・ん」

 グリグリグリ、とストローが俺の手のひらに食い込んだ。

「まあそれはそれとしてだ」

 俺はなんとか的音の攻撃から手を守ると心持ち椅子を引いた。

「これからどうする?食事にはちょっと早いんだが」

「あ、私達はちょっと別行動」

 的音が「ね」とゴッちんを見た。

「うん。ちょっと買わなくちゃならないものがあって」

「付き合うが」

「ごめん、二人だけで選びたいものなんだ。だから匡輝達もここからは二人ってことでどうかな?」

 つまりなんだ、二人きりにしてあげるとそう言うわけか。まあゴッちん達も二人だけになりたいと言うのもあるのかもしれんが。

「結香はまだ大丈夫か?」

「…あ、うん。大丈夫!」

 何だか結香は妙に気合のこもった声で返事をした。

結香 『はじめての…』

 何ともいえない緊張が二人の間に張り詰めていた。時刻はまだ六時前。ついさっき藤堂先輩達と分かれたばかりの私達は二人だけで街を歩いていた。

 ちらり、と匡輝を見る。見慣れたTシャツと柔道着じゃなく、当たり前だけど私服だ。ちょっと高価そうな灰色のシャツに、多分花火大会の時に穿いてた黒のスラックス。若者の服装としてはどうかなーとも思うけど、元々落ち着いた感じの匡輝にはよく似合う。その顔はいつものように内心が読みにくい。

「結香はこのへん、良く来るのか?」

 匡輝がこちらを向いた。少しドキドキが速くなる。

「街の方には行くけど、こちらの公園までは滅多に来ないわ。美術館に入ったのも一度か二度くらいだし。匡輝は?」

「まあ、それなりに来てはいる。このへんまともな美術館って言ったらこことあとは市立美術館くらいしかないからな」

「へえ…まるで美術部員みたいじゃない」

「俺は美術部員だ」

 匡輝が笑う。その笑顔にまた鼓動が速くなる。

 今日、帰り遅くなっちゃうかな…。お姉ちゃんの言葉を思い出す。

『帰りが遅くなりそうな時はお姉ちゃんに連絡なさい。何とかしてあげるから』

 そ、それって…そう言うことだよね。

 でも匡輝も若い男の子だもの、そう言うことに対する興味はないはずがない。前のプールの時も彩の胸とかを熱心に見てたし、今日だって藤堂先輩の胸元に目が行っていたのは間違いない。

 そして今、私達は二人きりでデート中。こんな時、ほら良くあるじゃない。

『結香…君の全てを知りたい…』

『匡輝…私、あなたになら…』

 そして、二人はついっとホテルの中に…!

「…結香?」

「はっ!う、ううん。何でもないの」

 別の世界に入りこみかけていたらしい。もう、お姉ちゃんが変な事ばかり吹き込むから妙に意識しちゃうじゃない…!

 私達は何となく公園を散歩していった。ここの公園は街中にあるにしてはそれなりに広く、小さいながらも池もある。池の中央には噴水が仕掛けてあって、時々水流を調節して少し凝った演出を見せていた。

 ベンチに二人で腰掛けてそれを見る。ちょっとだけ勇気を出して肩を押しつけてみたら匡輝はそっと手を握ってくれた。

 小さな水のショーが終わった後も何となく手を離せなくて、私は匡輝と手を繋いだまま公園を歩く。匡輝の大きな手の平は少し冷たいけれど、私の手は汗ばんでいる。もしかしたら嫌がられるかな、と思ったけど匡輝は照れながらもしっかりと私の手を握ってくれた。

 まだまだ夏の日は高いけれど、それでもどこか夕闇の気配が近付いてくる。

「結香」

 …ついにこの時が。私はドキドキしながらもちゃんと返事をする覚悟を決めた。

「そろそろ」

 うん。匡輝にならあげる。好きだもの。

「帰ろうか」

 ええ、帰…

「……帰るの?」

「ん、ああ。そろそろ陽が落ちてきたし、いきなり遅く帰したりしたらお父さんに殺される」

 そ、そうだよね。やだ、私ったら何を一人で先走ってたんだろう。匡輝はしっかり考えてエスコートしてくれてたのに、私は一人でいやらしい事ばかり考えてた。

「ゆ、結香。どうした、何で泣いてる?」

「え?あ…やだ私」

 ぽろぽろぽろと涙がこぼれる。匡輝がおろおろしているけれど、違うの、

「匡輝が悪いんじゃないの。わ、私が勝手に…ごめんなさい、ごめんなさい」

 自分が情けない。

「こっちに」

 匡輝が手を引いて木の陰に連れてきてくれる。それから涙が止まらない私を優しく抱きしめてくれた。何も言わないけれど、トクントクンという匡輝の鼓動が伝わってきて私は安心してその胸に顔を埋めた。

 しばらくすると涙は止まった。匡輝の腕の中から彼を見上げる。だんだん薄闇が濃くなって行く中で、匡輝の顔が夕日に照らされて私のすぐ側にある。

「あのね…」

 私はとても素直に自分の気持ちを打ち明ける気になっていた。

「私、とてもいやらしい娘なの。今日も朝会った時から手を繋ぎたかったし、腕を組みたかったし、抱きつきたかったの。匡輝の肌に触りたかったし、キスもしたかった」

「結香」

 優しい声。でも次の言葉を言ったら匡輝はどう思うだろう。私をエッチな娘だと軽蔑するだろうか。

「今日はね、最後まで行くつもりだったの。もし匡輝が求めてきたら全部受入れるつもりだった。だからさっきまでそんな事ばっかり考えてて、私…」

 また涙がぽろりと落ちた。自分の浅ましさと…そして、匡輝に嫌われる事への恐怖から。だけど本当の気持ちを言って嫌われるのなら、それはもうどうしようもないことだから。

「ごめんね、清楚で綺麗な女の子じゃなくて。でも私も好きな人にはキスしたいし、その先だって」

「結香」

 気がつくと匡輝の唇が私の口をふさいでいた。

「んっ…」

 ちゅ、ちゅ、とついばむようなキス。それから

「あっ…」

 温かい柔らかいものが私の口の中に入ってきた。それが匡輝の舌だってわかる前に私は本能的に自分の舌をそれにからめていた。

 すごい快感が襲ってきた。ゾクゾクゾクッと背筋が震える。身体がピン、と硬直してそれからクタリ、と力が抜けた。必死に匡輝につかまりながら私は一所懸命に舌をからめる。匡輝の舌が唇を触り歯ぐきを舐めるたびに私はおおきく震えた。

「はぁ、はぁ…はぁ」

 唇が離れる。互いの吐息が熱い。

「匡輝…えっちだ」

「結香もな。可愛いよ」

 匡輝は力の抜けた私をその両手でしっかりと支えてくれた。

「ちょっと座ろうか」

 匡輝が木の根本に座り、私はその膝の間に入り込むようにして腰を下ろした。匡輝の肩に手を回して身体を支えると、匡輝が左手で肩を抱いてくれた。匡輝の方が私よりかなり背が高いからやっぱり見上げるような形になる。

「結香。さっき清楚じゃないとか言ってただろ?」

「…うん。私、いやらしい娘だから」

 目を逸らす。匡輝はそんな私をのぞきこんで目をあわせた。

「そんな事はない。好きな人に触りたい、キスしたい、抱きたいって思うのは当たり前だ。それが悪い事だなんて言われたら、俺なんて大悪人だ」

「そう…かな」

「ああ。俺なんか今日だけじゃない、結香と付き合う前からずっとそんな事ばっかり考えてた。もちろん今日も結香が何と言おうとホテルにつれ込もうって思わなかったわけじゃないんだぞ?」

「そ…そうなんだ。貞操の危機…!」

「つーか男ってのは狼なんだ。覚えとけ」

 まあその狼さんにすすんで身を投げだそうとしていたのは私なんだけど。

「今だって本当は結香を押し倒したくて仕方ない。…怖くなった?」

「ううん。匡輝が怖いなんてことはない。そりゃ…ここで押し倒されたら困るけど」

 ホントだよ、という意思を込めて匡輝のシャツを握る右手に力を入れる。

「さすがに俺もそこまで強くないぞ」

 匡輝は困ったように笑った。

「でもさ。俺達はまだ付き合い始めて一週間だ。キスだってまだ三回目だし、デートだって今日が初めてだ。だから」

「…だから?」

「その…あまり、急ぐ事もないかなって思ったんだ。そりゃ俺だって今すぐにでも結香を抱きたいけど、うう」

 匡輝は顔を真っ赤にして、見上げる私から目を逸らした。

「匡輝?」

「…取り繕っても仕方ないか!」

「…はい?」

「だから、男にだって、心の準備は必要なんだっ!」

「……」

「……」

「…ぷっ」

 可愛い。

「あはははははっ!ま、匡輝ったら…!もう、それは女の子のせりふーっ!」

「だから言うのは嫌だったんだ…」

 匡輝が憮然とした顔で呟く。

「ごめん、でも、あはははっ、だってぇ」

「まあ好きなだけ笑うといい。俺は不甲斐ない男さ」

 チュ

 首を伸ばして唇が触れるだけのキスをする。

「そんな事ないよ。私、そんな匡輝が大好き」

 力まずに本当に自然にそう言えた。

「私も気持ちばっかり前に出すぎてたかも。そうだよね、急ぐことはないよね」

 正直、予定通りホテルに連れて行かれてたら入り口で固まっちゃったと思う。覚悟は出来てたけど…よく考えれば覚悟してするようなことじゃないんだよね。

 このまま付き合って行けば自然になるようになるはず…なんだから。

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