第九段 皇座の変

猷示[ユウシ]

「そういえば去年、棉紗[ミアンシャ]達を護衛してここに来たんだろう。その時、あいつには会えたのか」

 俺は混雑のなか、ラティアの隣に立って前へ行こうと努力しながら聞いてみた。俺は菊花[チーファ]の手を、ラティアは棉紗[ミアンシャ]の手を引いている。この混雑ではそうでもしておかないとあっという間にはぐれそうだ。武さんは目の前で群衆を押し分け、閃さんは多分後ろにいる。まあこの二人に関してはなんの問題もないだろう。

「まさか、会えるはずがない。この子の祖父殿は拝謁を許されたが、私達は皇宮に入る事も許されなかった」

 ラティアも固有名詞を出さないように気をつけて答える。この群衆の中にも警備の人間が紛れているはずだ。下手に互いの名前や皇帝の事などを喋っていては誰に聞かれるかもわからなかった。

「ただ顔を見た事はあるぞ。なんだ、影武者の心配でもしておるのか」

「普通するだろう」

「だがそんな話は聞いた事がない。それにここは皇都だ、そこまで用心する事もないだろう」

 まあそれはそうだ。燎帝[リアンティ]には俺個人として少々言いたい事があり、決して好きな男ではない。だが影武者などを使って公式の場を誤魔化すような男でない事はまあ信じている。

「それよりもこの人出はなんなのだ!」

 懸命に棉紗[ミアンシャ]を護りながらラティアが口を尖らせた。

「皇都というのはそんなに娯楽が少ないのか」

「あの方はとても人気がありますから。特にここでは」

 棉紗[ミアンシャ]がほとんどラティアの腕にすがるようにしながらラティアをなだめた。この子はつい最近、一族をその人気のある皇帝陛下に皆殺しにされたのだ。自分の父が反逆を企てたとは言え、燎帝[リアンティ]に好意を持つ謂われはない。内心は複雑だろう。

菊花[チーファ]、大丈夫か」

 昨日倒れたと聞いた時は俺も倒れるかと思った。あの臨樹という少年が二刻もの間、菊花[チーファ]を背負って歩いてくれたと聞いた時は、思わず臨樹に抱きついてしまうかと思ったくらいだ。あの少年にはいずれちゃんと礼を言わねばならん。

 まあだからといって菊花[チーファ]に必要以上に近づくような事があった場合は覚悟してもらわねばならんが。どうもあの少年は菊花[チーファ]に対して憧れに近い気持ちを持っていると、そう兄の勘が告げている。

 この気持ちは多分閃さんが俺に対して持っている気持ちと同じものだ。

「うん、大丈夫。一晩ちゃんと寝たし、ご飯も食べたもの。昨日みたいな事にはならないわ」

 菊花[チーファ]棉紗[ミアンシャ]と手を握りあっている。俺は横からぶつかってきた男にさりげなく肘を入れて距離を取り、さらに前に進んだ。

紬袙安[チュウバツアン]

 陛下の演説が終わった。

「以上である」

 その言葉と同時にしわぶき一つなく陛下のお言葉を拝聴していた観客達が一斉に歓声を上げた。

「陛下、万歳!」「万歳!」

 一万人以上の観客が上げる歓声はほとんど鉄の壁のような圧力だ。頑丈に設営されたはずの演壇が揺れる。

 だがその時、その音の壁をはるかに凌駕する凄まじい轟音がとどろいた。

 祝砲と勘違いしたのか、群衆の声がひときわ大きくなる。だが、この俺がその音を聞き間違える事はない。これは、なにかが爆発した時の音だ。戦場でいやというほどに聞いた音だ。

 反射的に俺は陛下の方へ振り向いた。だが事前にこの演壇だけでなく、会場およびその周辺は徹底的に調査をされている。爆弾など仕掛けられているはずはない。

 となると……。

 さらにもう一度、爆音が大地を揺らす。歓声が消えていく。

「中央市場で爆発がありました!青大路でも爆発です!」

 走り込んできた兵が叫んだ。

「事故か、攻撃か」

「わかりません、しかし砲撃音はありませんでした。おそらくは爆弾かと」

 この兵も実戦経験の豊富な男だ。だからこそ皇都で物見を任されている。その男が言う事は間違いはない。

「陛下!」

 陛下の声が静まりかえった会場に響いた。

「警備の者はこの会場の民を赤錨門より都外へ逃がせ!袙安、十人連れて俺に続け、皇宮へ戻る。残りは各所の応援に当たらせろ!爆弾のみで終わるとは限らんぞ」

 陛下の判断はいつもながら非常に速く、そして的確であられる。だが

 ドオオォォォン……!

 さらに、さらに爆発音が響いた。ひとつ、ふたつ、

 ズウゥン……!

 三つ!

「南門付近で爆発!皇宮近くでも爆発を確認しました!」

 臨時に設けられた見張り台から走り出てきた兵が叫んだ。その声に大衆の一部が反応してしまう。

「爆発……!」「戦争かっ」「逃げろ、逃げなくちゃ!」

 静寂はやがて悲鳴と怒号に取って代わられようとしていた。今まではまがりなりにも整然と並んでいた観客達が次第に四方八方へと散り散りになろうとしているのが壇上からはわかる。

 いかん。このままでは大変な事になる。

「警備!観客を門の外へ……!」

 そこまで言いかけて、俺はさらに厄介な事に気がついた。なぜ、恐慌状態に陥ろうとしている観客の中に剣を抜いている奴がいる?なぜそいつらがこちらに近付いてくる?

 どうしてそんなに数が多い!?

「やはり狙いは陛下かっ!」

 俺は前に出た。

「巴氾、輔凪、佯漣[ヨウレン]!陛下をお守りし皇宮へ退け!残りの者は俺と共に盾となれ!敵だっ!」

ラティア

「いよいよですぞ」

 周囲でわき上がる歓声の中、武の励ましに緊張しながらも頷いた。その瞬間だった。

 連続した爆発音が会場を揺るがした。一瞬礼砲かと思ったが、あまりにも強烈すぎる。同じように思ったか一瞬さらに大きくなった歓声だが、何かがおかしいと悟ったのか、その歓声がじわりと小さくなっていく。

 その瞬間を狙ったかのように、もう一度、爆発音が響いた。壇上では兵が走り込み、燎帝[リアンティ]の前にひざまずいて何事かを傍らの黄鋭[ファンルイ]衛士に報告している。

 残響音が消えた時には会場の歓声も同じく消えていた。みな何が起こったのか薄々は悟っていながら、わかりたくないというように黙って立っている。そんな事はないだろう、まさかそんな事はないだろう、という心の声が聞こえてくるようだ。

「……!」

 皇帝が何事かを叫んだ。周りの兵や衛士が素早く反応し、走り始める。だがその時、さらに爆発音が三度連続した。私の視界にも高く上がる黒煙が見える。

「ラティア!」

 叫びと共に私は猷示[ユウシ]に引き寄せられた。何事!と思った時にはすでに菊花[チーファ]棉紗[ミアンシャ]、そして私は猷示[ユウシ]に抱きかかえられている。

「武さん閃さん!俺達に抱きついて固まれ!」

 何事かはわからないが、少なくとも猷示[ユウシ]が錯乱しているわけでない事だけは確かだ。だとすればこの行動には意味がある。はっきり言って猷示[ユウシ]の手甲と鎖子が痛いが、私はとにかく二人の少女を守るように猷示[ユウシ]と共に抱きついた。

 一果でもそれが遅れていたらどうなっていたかわからない。

 なにを考える暇もなく、私達は恐慌状態に陥った群衆のただ中にいた。悲鳴、怒号、そして絶叫。ひとかたまりになった私達に群衆がぶつかり、弾かれ、押し流されていく。

「耐えろ!」「任せい!」「問題なし!」

 猷示[ユウシ]の言葉に武と閃兄が応える。私は二人の少女を抱きかかえて、三人の頼れる男達に守られ、嵐のような人の洪水に耐えた。

 その恐慌はすぐに遠ざかった。私達は集団の最前列に近いところ、言い換えれば出口から一番遠いところに居たのだ。逃げ始めた群衆はいっせいに出口に向かったのだから、私達のいる場所からはまず始めに人がいなくなる。後に残されたのは群衆に踏まれてうめいている……あるいはすでに踏み殺された人々だけだ。

 だが、目を上げるとそこには百人以上の剣を抜いた男達がいた。

「動くな」

 猷示[ユウシ]が小さな声でささやいた。私は猷示[ユウシ]達の腕の中に抱きかかえられながら、その隙間から外の様子をうかがった。剣を抜いた男達は脇目もふらず、ただ一直線に演壇の方へ……燎帝[リアンティ]の方へと走っていく。

「陛下をお守りせよ!一歩も退くな!」

 叫びながら壇上から飛び降りた大男が、異様に長い剣を振り回して襲撃者の一人を斬った。返す刀でさらに一人、また一人。恐ろしい手練だが、襲撃者達は斬られた仲間に目もくれずに壇上へと駆け上がる。

「どうする」

 猷示[ユウシ]が閃兄、武と肩を組んだままで訊いた。どうする。

 状況ははっきりしていた。あの男達は暗殺者だ。目標はもちろん燎帝[リアンティ]である。

 燎帝[リアンティ]は逃れる事は出来ないだろう。いかに手練の黄鋭[ファンルイ]衛士でも数が少なすぎる。ならば我々の取るべき行動はなんだ。

「助けるべきでしょう」「不肖もそう思いもうす」

 閃兄と武は即座に答えた。それは当然だ。ここで皇帝に恩を売れば直訴どころの話ではない、確実に棉紗[ミアンシャ]の命も[リャン]の罪も消えるだろう。

 だが猷示[ユウシ]はどうだ。

 猷示[ユウシ]ははっきりとは言ってはいないが、稜曄[ロンファ]燎帝[リアンティ]、そして黄鋭[ファンルイ]になにか含むところがあるのは確実だ。その猷示[ユウシ]燎帝[リアンティ]を助ける事を承知させられるのか……。

「どうした。俺はラティアの指示に従うぞ」

「だが猷示[ユウシ]、そなたは」

「俺はラティアの保刃[バオレン]だ」

 猷示[ユウシ]は私の肩をつかむと言い切った。

「では助ける。我らでは力不足かも知れぬが」

「何を言ってる。全員、揃っているぞ」

 言われて私は気がついた。あの混乱の中、てっきり群衆と共に散り散りになっているとばかり思っていた私の隊員達がどうやってか、私達の周りに立っていた。椅薙、苗勇、曽票、そして部下の剣士達。一人も欠けることなく。

「では[リャン]武装商隊隊長として命令する!皇帝陛下をお救いせよ!突撃!」

佯漣[ヨウレン]

 この男っ、かなりの遣い手だ!

 私は滝のように叩きつけられる斬撃を二本の剣でひたすらに受けた。刃渡り五十米ほどの剣特有の凄まじい速度は私に一切の反撃を許さない。

「チョオオーーッ!」

 鳥のような叫びと共に首、頭、肩、腰と様々な軌道を描く斬撃が襲ってくる。どれも受け損なえば致命傷となる一撃だ。必死に受けるがわずかずつ、反応が遅れていく。このままでは受けきれなくなる未来が見え、私はそれでも受けに回らざるを得ない。

 私の後ろ、四米のところには陛下がいらっしゃるのだ!ここで一か八か攻勢に出て、もし通用しなかった場合、もはやこの敵と陛下の間に立ちふさがる者はいない。

 だが限界だった。受けきれるのは後一撃、いや、二撃……!

「ヤッ!」

 だが陛下を前にして焦りが出たのか、敵はわずかに上滑りした斬撃を私の右手首に送り込んできた。

 考える前に身体は動いた。瞬時に逆手に持ち替えた剣の柄を敵の刃筋に重ねる。

 ガキン!

 深々と柄に食い込む敵の剣。だが私の拳までは届かない。どちらにしても敵の剣はもう死んでいた。

「セイッ!」

 あと二手ほどを惜しんだ強敵は、額をもう一本の私の剣に深々と割られていた。

 だがそれまでだ。倒れた男の向こうにもう一人の長剣を構えた細身の、だが背の高い剣士がいた。大上段に振りかぶられたその剣から逃れることはできない。それがわかっていながら、それでも私は必死に剣を構えようとした。

 ドドドン!

 長剣を振り下ろそうとした剣士の顔面に何か黒いものが突き立った。

「な……」

 剣士が振り返ろうとしてさらにもう一本の隠剣を顔面に受ける。その隠剣は剣士の左目を脳まで貫いていた。

 背の高い敵が倒れる。私が隠剣が撃ち込まれた方を見ると、そこには一人の少女と数人の男達がいた。いずれも隙のない精悍な男達だ。

[リャン]武装商隊、ラティアレーム・[リャン]!陛下、御助勢させて頂く!」

 その声と同時に左頬に炎の入れ墨を入れた男が動いた。左右から斬りかかった敵兵をほとんど一挙動で切り払う。

 その切っ先諸刃の芦葉刀……鉄盾[ティエジュン]だ!

「貴様等ッ!」

「話は後だ!そなたもまだ戦えるならまずは自分の努めを果たせ!」

 少女が叫ぶ。

「言われずとも!」

 私は両手に持った卍剣を構え直し、陛下の前に立ちふさがった。だがもう自分の出番はない、ということもわかっていた。

 [リャン]武装商隊の名を名乗った少女と彼女に率いられた男達はいずれも素晴らしい遣い手達だった。私達黄鋭[ファンルイ]衛士に劣らぬ剣力を敵兵に叩きつける。瞬く間に襲撃者達は数を減らしていく。

「ウオオオッ!」

 今や十名ほどに減った敵兵が、それでも諦めずに突進してくる。その闘志は驚嘆すべきものだったが、しかしもはや勝負は見えていた。

 最後の一人が鉄盾[ティエジュン]と向き合っていた。どうやって持ち込んだものか、二米ほどの長さの手槍を構えてジリジリと間合いを詰めていく。鉄盾[ティエジュン]は八双に構えた芦葉刀をそよとも動かさず、その槍兵の前に立っていた。

 剣は槍に対して不利だと言われる。槍は剣よりも間合いが広く、突き、薙ぎ、払いと様々に変化する。従って剣士が槍使いに勝つには数段上の実力が必要だとされる。ましてこの槍兵は相当の熟練者だった。

「ハアッ!」

 気合いと共に槍が繰り出される。瞬時に突きこまれた槍は、だがそれこそ目にもとまらぬほどの速さで横に移動した鉄盾[ティエジュン]に躱された。槍は突き出された速度以上の速さで手繰り込まれる。

 しかし鉄盾[ティエジュン]の踏み込みはその練達の槍捌きを上回っていた。槍使いが二度目の突きを放つ間もあらばこそ、一瞬で間合いを詰めた鉄盾[ティエジュン]は袈裟掛けに槍使いを斬り倒していた。

丁峰[チンフェン]

「くそっ、しっかりしろ!」

 私はぐったりとした青年を引きずりながら火を噴く建物から遠ざかった。青年の右腕は肩から千切れ、血止めの代わりにきつく巻き付けた私の上着をドクドクと血で染めていく。

「その男をこちらに!」

 煤と返り血で赤黒くなった救護兵が私に叫ぶ。私は彼に気を失った青年を託すと、また建物の方へ戻ろうとした。

「隊長っ、もう無理です!隊長の方が危険ですっ!」

 曜明が必死に私の袖をつかむ。だが私はその手を振り払った。

「まだ何人も取り残されている!一人でも助けなくてはならんのだ!」

「いけませんっ!ああっ」

 叫ぶ曜明の声に振り向くと、今、青年を助け出してきた建物が燃え崩れた。ゴオオッという風が凄まじい熱と、そしてその中で焼け死んでいく人々の悲鳴を私に叩きつける。

「……畜生っ!!」

 私は自分の無力さを呪った。上志の報告から何者かの反乱が企まれているのではないかと言う事に推測が至ったのが昨日の事だ。だがまさかその次の日に反乱が決行されるとは!

 そう、これは反乱だ。北市場、榊市場、青大路と黄大路、とどめに緑舵門での連続爆破はただでさえ多くはない皇都の治安戦力をおおきく損なっている。敵はこの混乱に乗じて陛下を弑し奉り、皇宮を占領するだろう。わかってはいるが、私には何も出来ない。今から動いてももう遅い。せめてこの場で出来る事をするしかない。

「ひいっ、助けて、助けてくれええっ!」

 悲鳴の方向へ目を向けると、そこには一人の男がいた。燃えさかる三階建ての建物の窓から身を乗り出している。見たところ怪我はしているがそれほどの重傷ではない。だがその建物はすでに火に包まれ、どうやってももう助ける事など出来る状態ではなかった。

 男は咳き込みながらも必死にこちらに手を振る。渦巻く風に悲鳴はかき消されていくが、何を叫んでいるかは嫌になるほど聞こえてきた。

 助けてくれ!死にたくない!助けて……!

 見てはいられなかった。私は駆け出した。曜明が伸ばした手を振り切り、後の事は考えずに今にも崩れ落ちそうな建物へと走る。

 パン

 その音は妙に軽くその場に響いた。もちろん銃声を聞き間違える私ではない。

「な……」

 何が起きたか、私は不思議と悟っていた。見上げたその先で、銃弾に額を打ち抜かれた男が崩れていく。火の海の中に落ち込んでいく。

 そして、その建物は焼け落ちた。

 振り向いた私の眼に、短銃を構えて立ちつくす曜明の姿が映った。

「曜明……ッ!」

 燃え上がる怒りに身を震わせ、私は曜明へと迫る。周りの火勢にも負けぬ、凄まじいまでの怒りが私の身を焼いていた。

「お待ち下さいッ!」

 何人かの男達が私に組み付いてきた。

「参謀殿は一番辛い、一番正しい事をされたのですッ!あなたにそれを責める権利はありません!」

「……なんだと!?正しいだとッ!?」

 私は男の一人を殴りつけた。だが彼は一歩も退かない。

「そうです!彼を助ける事は出来ませんでした!参謀殿は彼に慈悲を下さったのですよ!」

「うるさいっ、助けられたはずだ、私が彼を……」

 ゴキッ!

 視界が揺れる。その男に殴られたと知ったのは地面に転がってからだった。

「あなたは何様のつもりですか!そうやってあの中で焼け死ねば満足でしたかッ!?参謀殿の気持ちをなんだと思っておられるのですか!」

 頭がグラグラする。なにか温かくて柔らかいもの……ああ、曜明か……に支えられて私は、私を殴ったその男が上志であることに気がついた。

「上官を思いきり殴るとは……いい覚悟だな」

 負け惜しみだ。わかっていたが、言わずに居られなかった。

「ええ、あのような馬鹿な事をする上官を諫めるのは部下の役目です。悪いですか」

「……いや、悪くない。済まない、上志」

 そして私は、私を支えてくれている大切な人へと顔を向けた。

「済まない。そしてありがとう、曜明」

「……私、私は……」

 曜明は蒼白になって震えていた。無理もない。曜明は今まで人を殺した事がなかったはずだ。それが初めて殺したのが無実の、助けを求めていた市民なのだ。私を助ける為に、彼女は一番やりたくなかったはずの事をやってくれた。

「いいんだ。私が間違っていた。君のやった事は私がやるべきことだった。辛い事をさせた」

 わあっ、と私に抱きついて泣き出す曜明。まるで子供のように震える彼女の肩を抱きながら、私はその場を後にした。

紬袙安[チュウバツアン]

 黄鋭[ファンルイ]衛士の死者は十四名。重傷九名、軽傷十九名という大損害だ。だが敵兵は百六十二名の死者を出していた。[リャン]の死者は無し。二人ほどが手傷を負ったようだが、ほとんど無傷と言って良い。まあこれは敵兵の後ろから襲いかかったのも同然であるから不思議ではない。

 そしてその働きのおかげで我らが生き残り、なによりも大切な事に陛下の命をお守り出来たのは間違いのないことだった。

「面を上げい」

 陛下の声に従い、[リャン]の者達が立ち上がる。各自様々な服装ではあったが、その行動は凛々しいものだった。

 一人の美しい少女が進み出る。

「お目にかかる事ができ、光栄でございます、陛下。[リャン]武装商隊隊長、ラティアレーム・[リャン]と申します。田舎者ゆえ礼儀を知らぬのはご容赦下さい」

 そう言いながらなかなかに洗練された姿勢で礼をした。

「多少の混乱があったようですが、お怪我が無いようでなによりです」

「おう、お前等のおかげだ。助かったぞ」

「いえ、黄鋭[ファンルイ]の衛士様方が一歩も退かずに陛下をお守りされたからです。私達はわずかにお手伝いしたに過ぎません」

 非の打ち所のない答えだが、俺の目にはその少女の頭の上に巨大な猫が見える。

「ほう……俺の聞いた話だと聳庚[ソンゲン]の孫娘はなかなか活発な娘だということだったが、そういう話し方も出来るのだな。だがこの際だ、普通の話し方でかまわん。第一俺はそんなクソ丁寧な話し方は嫌いなんだ」

「ではお望みのままにさせてもらおう」

 少女の様子は一変した。さきほどまでの楚々とした美少女はどこかに消え、代わりに凛として覇気に溢れた、それでいて可憐な少女が現れる。

「だが実際のところ、陛下が怪我一つされなかったのは幸いであった。我らも少しは役に立てたと見える」

「そうだなあ。だがお前等、なんで皇都に居るんだ。まさか俺がお前等のやった事を大目に見るとでも思っていたのか」

「まさか。陛下がそのような寛大な方だとは思っておらぬ。むしろ地の果てまで我らを追うだろう。ゆえに我らは直接話をつけに来たのだ」

 この蒼昌大陸の大半を支配する稜曄[ロンファ]皇国、その皇帝陛下にして武神とまで呼ばれる陛下を目の前にして、少女はまったく物怖じせず、対等に口をきいていた。無礼にもほどがあるが、我が皇帝陛下はあまりそのような事を気になさらぬ。

「いいな!率直にして勇敢だ。いいだろう、俺の命を救ったのも確かだし、多少の事なら聞いてやる。なにが望みだ」

「今はそんな事を言っている場合ではあるまい。これは反乱であろ。まずはそれを収めてからの話だ」

「おう、そうだな。ラティアレームと言ったな、物事の順序ってもんをわかってるじゃないか。では稜曄[ロンファ]皇帝として[リャン]武装商隊に依頼しよう。しばし俺の兵となれ。見てのとおり手駒が足りん」

「我らは傭兵でも保刃[バオレン]でもない」

「だがその力はあるし、何よりもここで俺に恩を売っておけば後々損にはならん。俺はこう見えても受けた恩を忘れるような男じゃねえぞ」

 少女はほんの少し考えた。だが脇に立っているいかにも経験豊かと見える中年男にも、異様な服を着ている、だが才気があふれ出ている青年にも、そして鉄盾[ティエジュン]にも振り返らない。この場での決定権とその責任はすべて自分にあることを自覚している。まだ二十歳にもならない小娘のくせに見事な態度だった。そして[リャン]の隊員達も誰一人として余計な口を挟まない。この少女を隊長として認めている証だ。

 少女は頷いた。

「よかろう。[リャン]武装商隊は微力ながら陛下に力を貸そう」

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