第五段 [リャン]武装商隊との旅

猷示[ユウシ]

 俺は事切れた珀皙[ハクシ]から刀を引き抜いた。どう、と音を立てて倒れる珀皙[ハクシ]から三歩下がり、右膝をつくと刀身から珀皙[ハクシ]の血を左人差し指でぬぐい取り、顔の炎の入れ墨に塗り込んだ。刀身を水平に持ち、その向こうに倒れる勇者に軽く頭を下げる。

 天軌流での戦った相手に対する礼だ。戦場ではともかく、果たし合いでは死者には礼を尽くさねばならない。

 俺は懐紙で刀身の血を拭うと鞘に収めた。あの剛剣を受け止めた七代実克は曲がりも歪みもせず、吸い込まれるように鞘に収まった。

 一息つき、それから俺は十米ほど先で静かに立っている男達に声を掛けた。

珀皙[ハクシ]殿は見事に戦われた。君たちはどうする。彼の言葉に従うか、それとも斬り合うか」

「……」

 二人の特務剣士は真っ直ぐに俺を見つめた。

珀皙[ハクシ]殿のお言葉は陛下のお言葉だ」

「では珀皙[ハクシ]殿の遺体を頼む」

「わかった。我らは町へ戻る。お前達への追撃は隊長殿にご報告した後に再検討するということになろう」

「そうだな」

 俺はそう言いながらも珀皙[ハクシ]の遺体に駆け寄る特務の二人から目を離さない。ここで背を向けた瞬間に特務の連中が心変わりしないという保証はない。そしてそこで討たれでもしたら俺は不覚者として人々の記憶に残る事になる。口でなんと約束しようと、戦場では油断した者の負けなのだ。

猷示[ユウシ]

「まだ来るな。二人を頼む」

 俺はラティア達に背中を向けたまま指示をする。彼らが立ち去るまでは油断はできない。

 やがて彼らは珀皙[ハクシ]の遺体を馬に乗せると町の方角へと走っていった。

「兄様」

 菊花[チーファ]が抱きついてきた。肩を抱き、頭をなでてやると菊花[チーファ]は涙を隠すように俺の胸に顔をこすりつけた。普段は気丈な娘だが、先ほどの戦いは俺が斬られていても何もおかしくない戦いだった。さすがの菊花[チーファ]も不安を抑えきれなかったのだろう。

「肩は大丈夫ですか」

 棉紗[ミアンシャ]が俺の肩を心配そうに見る。菊花[チーファ]もはっ、と飛び退くと慌てて俺をしゃがませようとした。俺は逆らわずに膝をつくと胴衣を脱いだ。すぐに菊花[チーファ]が脇を留めている革紐をほどき出す。俺は菊花[チーファ]に礼を言うと鎖子を脱ぎ、その下の肌胴衣も脱ぎ捨てた。

「ふむ。筋や腱には異常はないようだな。これならすぐ治るだろう」

 ラティアが肩の傷をじっとみてから、菊花[チーファ]に頷いた。

「問題はこちらの方だな」

 左の肩胛骨の下、珀皙[ハクシ]の一刀に打ち据えられた所だ。どうなってる?

「かなり痣になっておる。痛むか」

「そうだな。正直かなり痛む。左腕が上がらなくなってきた」

 戦いの時には無理も利くが、終わると次第に痛みが響いてくる。肋骨にヒビが入っているかもしれない。

「後で[リャン]の医者に診せよう。顔は山賊だが腕はいい」

 菊花[チーファ]棉紗[ミアンシャ]と協力して俺の肩に包帯を巻く。こちらも後でその医者に診てもらった方がいいだろうな。

「では急ごう。特務の連中が帰ってこないうちに[リャン]のお迎えに合流しないとな」

 俺は肌胴衣、鎖子、胴衣を全て元通りに身につけた。もちろん隠剣なども仕込んでおく。

「さて猷示[ユウシ]

 歩き出して数寸、言い出そうか言い出すまいか迷っていたらしいラティアが、ついに我慢できなくなったらしく話しかけてきた。

「こういう事を聞くのは礼儀知らずだとわかっておるが尋ねたい」

「さっきの技か」

「そうだ」

 珀皙[ハクシ]を倒した技の事だ。あの時、珀皙[ハクシ]の斬撃は圧倒的なものだった。あのまま受け止めようとしていたら、俺は珀皙[ハクシ]の膂力の前に抗しきれず、受けた刀ごと袈裟に両断されていたはずだ。

 だが俺は勝った。圧倒的な力に対抗するのは技。それもあの場面、絶体絶命と言って良い場面で使い逆転するほどの技だ。つまりは奥義という事になる。それを護る対象とはいえ、他人にペラペラしゃべるような事はあり得ない。護衛対象がいつ敵になるかもしれず、奥義を知られている事は弱点にこそなれ、利点には絶対にならないのだ。

 実戦ではあれこれと多彩な技を身につける事にはあまり意味はない。それよりも「絶対に勝てる」技を一つだけ磨き抜く方がはるかに役に立つ。何しろ実戦では二度目はまずないのだ。逆に言えばその必殺技を見られた場合、生かして返してはならない。

 棉紗[ミアンシャ]のような武術の素人ならばまだいい。しかしラティアは達人と言って良い遣い手だ。これが護衛対象でなかったら俺はラティアを斬らねばならないくらいの事なのだ。当然こんな話は「馬鹿野郎」の一言の元に終わらせるべきだった。

「見当はついているんだろう」

 だが俺はそうしなかった。理由は……よくわからん。

「折ったな」

「そうだ」

「だがそなたの刀はそのような特殊な形はしていない。確かに素晴らしい刀だが、あれほどの剣を枯れ枝のように折るなどできるはずもない」

「それができるから、技なのさ」

 俺は柄を軽く叩いた。

「これ以上は話せんぞ」

「……そうだな。すまぬ、無礼な事をした」

 そう言いながらもラティアは嬉しそうに微笑んだ。

菊花[チーファ]

 私達は十八刻をいくらか過ぎた時刻に[リャン]の部隊と合流し、そこで団員を紹介された。

 長身白皙の美青年、ただし服の趣味は最悪というのがラティアのお兄さんで、[リャン]閃さんと言う。ラティアとはお父さんが違うらしい。私と兄様の場合とは逆ね。恐ろしく頭の切れる人で、監察方の隊長を務めているとのこと。頭がよい事はすぐにわかったけれど、この服の趣味だと監察は難しいんじゃないかしら……。

 右眼を眼帯で覆った渋めの男の人が釧銘さん。槍使いだという事だけど、町の中に槍を持っては入れないから、今は棒をもっている。兄様によると相当な遣い手だということだったわ。性格は頼りがいのある常識人って感じだったけど。

 一見无頼[ウーライ]みたいな見かけと口調だけど、しゃべっている事をよく聞くと実は優しい人だと思える……でも柄の悪い男の人が笙錘さん。あとでラティアが教えてくれたところによると動物好きで、[リャン]で飼っている馬や犬の世話をよくしているとのこと。

 背の低い、穏やかな顔つきの人が太甫さん。笙錘さんよりもいくつか若いように見えるわね。誰に対しても丁寧な口調で、実際に性格も優しいらしい。とは言っても戦いとなれば相当の遣い手だそうだ。

 腰も頭も軽そうな青年は壬諷さん。だけどちょっと話してみたら確かに口が軽くて落ち着きのないところはあるけれど、頭の回転はかなり速いみたい。知識もかなりのものだし、決してただ軽いだけの人じゃないみたいだ。

 あまり喋らないどっしりした青年が債碩さん。今までの団員の中では一番若い。体つきは細いんだけど、印象が重いわね。でもよく見ていると、きちんと考えて必要な事をちゃんと言うようにしているからそんな印象があるみたい。壬諷さんみたいに目から鼻に抜けるって感じじゃないけれど、言う事は的確だわ。

 どう見ても二十代の前半、下手すると十代後半にも見えるのに実は……という女の人が萄希[タオシ]さん。結婚してて子供も二人いるということ。そして監察方副長。どうやらかなり凄い人らしく、釧銘さんも萄希[タオシ]さんに対しては下手に出ているみたいだった。

 で、なぜか一人だけ子供がいた。

「あの、臨樹といいます。父が[リャン]武装商隊お抱えの医者をしていまして、僕も見習いとして修行中です」

 そういえば旅館でもこの子、他の剣士達の後ろに立っていたような気がするわ。考えてみればあの場にこんな子がいることを不審に思わなかったのはどうしてかしら。いくら存在感がないにしても軍師たるもの、細部にまで目が届かなくてはならないのに。

「さっそくですけど、鉄盾[ティエジュン]さんの傷を見せてもらえないでしょうか。僕でも多少の治療は出来ると思いますので」

「……大丈夫なの?」

 私はちょっと難色を示した。だってこの子、私とあまり歳が違わないように見えるわ。

「その点は問題ないぞ。小樹[シャオシュ]はこう見えて腕は確かだ。そこらの町医者なぞより遙かに頼りになる」

 ラティアがそう言うならまあそうなんだろうけど。

 兄様は小樹[シャオシュ]の歳になんの感慨も持たなかったみたい。さっさと胴衣を脱いで傷口を見せていた。

 小樹[シャオシュ]の手当は確かに堂に入ったものだった。手際よく消毒し、包帯を巻き直す。兄様の背中の打ち身も何カ所かを押さえて質問し、すぐに「二本、ヒビが入っていますね。でも安静にしていれば十日もすれば落ち着きますよ」と診断していた。どうやらそれなりの腕っていうのは間違いないみたい。

「さて、君達の今後ですが」

 どこから手に入れたのか、閃さん達は馬車を一台引いてきていた。荷車に幌を付けただけ、というような馬車だけど、おかげで私達は馬の背に揺られる事もなく、これ以上歩く必要もない。正直言ってもうクタクタだったのよ。

 私と兄様、ラティアに棉紗[ミアンシャ]、閃さん、そして小樹[シャオシュ]はその馬車に乗っていた。御者席に太甫さんと債碩さんが座り、他の人たちは馬で周辺警戒をしながらついてきている。

「何か特別に希望がありますか」

「いや。俺達は[リャン]の姫様に雇われた身だ。まだ馘首とは言われてないからな、ラティアの言葉に従うよ」

「では[リャン]武装商隊監察方の長として、ラティア隊長に提案があります」

「聞こう」

「彼らをこのまま雇いましょう。というよりも雇わなければなりません」

「どういうことだ」

「彼らを解雇する事は死ね、ということと同義だからです」

 それは穏やかではないわね。

「まず現実問題として、隊長達はこの数日で二人の黄鋭[ファンルイ]剣士を斬っています。しかもそのうちの一人は『白狼』です。黄鋭[ファンルイ]、そして皇帝がこれをそのままにしておくはずがありません。ですが、実際に手を下したのは『鉄盾[ティエジュン]』殿です」

猷示[ユウシ]は私の剣となって役目を果たしただけだ。その責は私が負う」

「彼らにその理屈は通用しません」

 閃さんは首を振った。

「もちろん我々もこのまま見逃されるわけはありませんが、『鉄盾[ティエジュン]』殿もその妹君も決して許される事はありません。ここで我々と別れればいずれ斬られます」

[リャン]に雇われていれば助かるわけでもないでしょう?」

 私は閃さんに問うた。確かに閃さんの言うとおりだけど、だからといって[リャン]が私達を護ってくれる理由はない。むしろ実行犯として私達を差し出して手打ちにする駒にするのが自然だわ。閃さんは取引材料を逃がさないようにしているだけじゃないかしら。

 閃さんはそんな私の懸念を否定した。

[リャン]は仲間の危難を救ってくれた者に必ず報います。どんな事があっても、です」

「立派な心がけですけど、相手は稜曄[ロンファ]、そして黄鋭[ファンルイ]です。全滅する事になるかもしれませんよ」

「例え全滅してもです。それができずして誰が[リャン]を信用しますか。その信用を失えばどちらにしても[リャン]は終わりです。ならば筋を通して全滅する方がいくらかマシです」

 ごく当たり前のことを言う口調で閃さんは私に答えた。なるほどね。確かにそう言われればそうだ。ここで私達を売って稜曄[ロンファ]と手打ちなどすれば、[リャン]の評判は地に落ちる。それは商隊が全滅するよりも強烈な打撃となるわね。

「わかった。猷示[ユウシ]菊花[チーファ]は私と棉紗[ミアンシャ]を護ってくれた。今度は[リャン]が彼らを護る番だ」

「そりゃありがたいお言葉だけどよ」

 兄様が軽く手をあげた。

「遅かれ早かれ黄鋭[ファンルイ]は本気でかかってくるぞ。アンタ達が遣い手揃いなのは知ってるが、それでも一商隊程度で戦える相手じゃない。俺を餌にして逃げ出す方が利口じゃないか」

「我々は皇都へ向かいます」

 閃さんはこの場の誰一人想像もしていなかった事を言い出した。ラティアも兄様も、そして私も唖然として閃さんを見つめる。棉紗[ミアンシャ]小樹[シャオシュ]は自分達には口出しできない話だと判断したらしく、先ほどから馬車の隅で黙っていたけど、さすがに今の閃さんの言葉には驚いたみたいね。ぽかん、と口を開けている。

「どういう事だ、閃兄!」

 ラティアが『隊長』の口調を忘れて閃さんに詰め寄った。

「まさか詫びを入れて棉紗[ミアンシャ]を引き渡すなどと言うわけではあるまいな!」

「まさか」

 閃さんは何を言っているのですか、という目でラティアを見た。

「そんな事であの皇帝が私達を許すとでも思っているのですか。あり得ません」

「ではどうするのですか?皇都に行ってもただ捕らえられるだけかと思いますけど」

「直訴ですよ」

 閃さんは私に微笑んだ。この人、微笑みもいやになるくらい格好いいわね。

「事は棉家の姫、そして黄鋭[ファンルイ]の数持ちにも関わっているのです。稜曄[ロンファ]に対する謀反、特務の剣士と皇帝親衛隊二人が斬られた件。これに対して許すだの許さないだのという事を言えるのは皇帝ただ一人です」

「……直訴?」

 ラティアが首を捻る。

燎帝[リアンティ]と言う人がどういう人か知っていますか」

 そんなラティアを横目で見て、閃さんが兄様に聞いた。

「知略雄大、政治と軍事に長け、才能を極端に重視する。愛憎の振れ幅が極端に大きく、冷酷にして慈愛の人だと言うな」

「確かにその通り」

 閃さんは妙に大げさな仕草で頷いた。

「そして同時に芝居じみた事が大好きな人でもあるのですよ」

小樹[シャオシュ]

 僕はふわふわとした足取りで医馬車に帰ってきた。ろくに発軌もないガタガタ揺れる馬車で二刻も揺られてきたからじゃない。

 あの娘がこれからもしばらく僕たちと一緒にいる事になったからだ。

 もちろん僕はあの娘に想いを伝えようとか思ってるわけじゃない。ただ、少し仲良くなれればいいな、とは思うよ。だって[リャン]には僕と同じくらいの歳の人はいない。友達……とは言わないけど、同年代の話が出来る知り合いがたまには欲しくなるんだ。

 棉紗[ミアンシャ]も去年よりもずっと綺麗になってた。前はもっと子供だったんだけど、一年でずいぶんと大人っぽくなってる。僕の事も覚えててくれて、丁寧な挨拶をしてくれたのは嬉しかったな。でもずっと頼りにしてた護衛の人が殺されちゃって時々辛そうにしていた。僕なんかじゃ助けになれないかもしれないけど、精一杯大事にしようと思う。

「今戻ったよ」

 僕は奥の寝床に向かって声を掛けた。返事はないとは思わない。父さんは例え熟睡していても自分の馬車に入ってこられてそのまま寝ているほど鈍くはない。

「おう、お帰り」

 でも声はやっぱり眠そうだった。

「僕もすぐ寝るから。おやすみ」

「そうか。話は明日聞こう」

「うん」

 父さんは安心したようにまた寝息を立て始めた。

 闇の中でもはっきりわかるくらいに大きな体を僕はなんとなく見つめた。父さんは立派な医者だ。様々な病気、怪我に対応できるし、度胸も責任感もすごく強い。武術家としても一流で、人生の先輩としてもとても頼りになる。僕の憧れだ。

 こんな人になれたらあの娘も僕のことを見てくれるだろうか。

 なんて馬鹿な事を考えながら、僕はもう一つの寝床にもぐりこんだ。

 私は『緒史』の窓から目だけを出すと、『西吾』の後部座席に座る青年に目を走らせました。そこには顔の左側に炎の入れ墨をした逞しい青年が座っています。身長は百七十厘を越えているからかなりの長身と言えるでしょうね。特に危険のない今でも、鎖子と手甲・脚甲に鉢金で身を固め、腰にはかなり長い芦葉刀を挿しています。油断はいついかなる時もしない、ということでしょう。

 『鉄盾[ティエジュン]猷示[ユウシ]。私の位付けでもかなり上位に入る保刃[バオレン]です。剣の腕という視点でならば稜曄[ロンファ]保刃[バオレン]の中でも十指に入るほどの男ですね。

 単独で飛び出したラティがこの男と出会ったのは幸運でした。ラティ一人では最初の特務と黄鋭[ファンルイ]の合同部隊にあっさりと殺されていたでしょうから。まったく今思ってもぞっとします。

 ですが同時にこの男を信用しすぎるわけにはいきません。私の知る限り鉄盾[ティエジュン]は女性に無体を働くような男ではなく、また雇い主を裏切った事もないのですが、なにしろラティはあのとおり可愛らしいのです。鉄盾[ティエジュン]といえど油断はなりません。

 私は内心かなり心配しながら鉄盾[ティエジュン]と楽しげに話している妹を見つめました。

 ラティと私は父が違います。私の父は祖父殿の門人であり、母の初恋の人でもあった人です。温厚で武術の腕も相当な人であったということですが、私はほとんど覚えていません。父は私が三歳の時に、この武装商隊に参加していて戦死しました。

 その後十年独身を続けた母が再婚を決意したのがラティの父です。はっきり言えば私はあの人が苦手です。今では嫌っているわけではありませんが、なかなかに厄介な人ですしねえ。まあ以前のように命を狙ったりはしていませんが、まだ「父さん」と呼んだことはないのです。

 しかしその娘であり、私の妹でもあるラティは、まさしく私の宝です。思えば義父に反発し、命さえ狙っていたあの頃ですら、私はラティには大甘でした。まわらぬ舌で「にいたま」と甘えてくるラティをどうして嫌えたでしょう。義父の血を引く褐色の肌もラティの肌と思えばむしろ愛しく、どうして自分の肌が白いのかと悩んだくらいです。この子が大きくなれば自分と兄の肌の色が明らかに違う事に気がつくでしょう。それは同時に自分達が完全な兄妹ではないのだと知る事につながります。その時この子が受ける衝撃はさぞや大きかろうと思うと私は夜も眠れないほどでした。

 まあそんな心配は無用ではあったのですが。

 結局の所、私はラティの兄であり、父が違おうと肌の色が多少異なろうと大した問題ではないのだ、と気づいてからは私はさらにラティが愛しくてたまらなくなり、義父から「俺の娘を取るな」と苦言を呈されるくらいでした。

 その大事な妹が高名とはいえ流れの保刃[バオレン]と話しているというのはあまり嬉しい光景ではありません。嫉妬がないとは言いませんが、それよりも心配が先に立ちます。

 今のところ両名とも特に色恋に発展しそうな気配はありませんが、なにしろラティも年頃です。気の迷いということもありえます。

「ご心配ですね」

 萄希[タオシ]さんがニヤニヤと笑いながら私の隣に座りました。

「まあラティちゃんも十七歳。猷示[ユウシ]君みたいな男の子が傍にいたら気になるお年頃ですよ」

「別に心配はしていません」

 私は嘘をつきました。もちろん萄希[タオシ]さんに通用するはずがないのですが。

「ラティはしっかりした娘です。鉄盾[ティエジュン]もあれで硬い男ですし、特に問題はないはず」

「でもラティちゃん、最近またずいぶんと綺麗になりましたよね。猷示[ユウシ]君の盾もいつまで保つかしら」

 ……なかなか厳しいところを突いてこられる。萄希[タオシ]さんも昔はこんな話ができる人ではなかったのだけど、結婚して子供を産まれてからはずいぶんと遠慮がなくなりました。

「そりゃ女も成長しますよ。この年になれば見えてくるものもあります。ラティちゃんは確かに今のところは猷示[ユウシ]君に恋愛感情は持ってないみたいですけど、先の事はわかりませんよ」

「あまり私を苛めないでください。私は爺様や義父のように図太くはないのですから」

「嘘ばっかり」

 萄希[タオシ]さんはフフッ、と可愛らしく笑いました。ああ、そういう笑い方をすると昔の萄希[タオシ]さんが思い出されます。

萄希[タオシ]さんは鉄盾[ティエジュン]をどう思われますか」

「そうね……まだよくわからないんですけど」

 右手の人差し指を顎に当ててなんとなく天井を見るいつもの姿勢ですね。

「まず、かなり自分の腕に自信がありますわね。あと割り切りもいい。それに卑怯者じゃないと思いますよ」

 そうですね。そうでなくてはラティと棉紗[ミアンシャ]を助けるわけがありません。ラティから聞いた話だと彼は逃げろ、というラティの言葉を無視して契約を結んだとのこと。自分の剣力に自信がないと出来ない事です。それに普通なら自分の命を考えれば敵が黄鋭[ファンルイ]だとわかった時点で逃げているはず。しかし鉄盾[ティエジュン]はラティに責任を押しつけて逃げるようなことはしませんでした。

「何でラティちゃんに手を貸したのかは本当のところはわかりませんけどね。でもラティちゃんが可愛いからといって手助けするような男にも見えないわ」

 それも同感です。私が聞いた範囲では鉄盾[ティエジュン]は相手の容姿や懐具合によって敵味方を決めるような男ではないという話でした。彼が護衛する対象を決める規準はただ一つ、護衛される理由が彼の好みに合うか合わないか、それだけとのこと。だからこそあれだけの実力を持ちながら大保刃[バオレン]団に入らず、流れの保刃[バオレン]などということをやっているわけですね。

「確かなのはまず凄まじい剣力の持ち主だってこと、悪い男じゃないってこと、そして」

 萄希[タオシ]さんは腕を組みました。

稜曄[ロンファ]……いや、皇帝に恨みを持ってるってことですね」

「そうですね」

 私は頷きました。そうでなければあの黄鋭[ファンルイ]を二人も斬るということが出来るわけがありません。無論それは鉄盾[ティエジュン]の才能と剣力の凄まじさあってのことですが、彼が皇帝に恨みを持っていなければ黄鋭[ファンルイ]を斬ろうなどと考えるわけがありません。それも二人、うち一人は『数持ち』と知りながら斬ったのです。それは自分で死刑執行書に署名するということと同義なのですから。

「閃様は猷示[ユウシ]君がなんで皇帝に恨みを持っているのかご存じですか?」

「いいえ。彼の名前は聞いた事がありましたが、その過去に何があったかまではさすがに。しかしこうなったら調べておいた方がいいでしょうね」

「ええ。ラティちゃんが本気にならないうちに」

萄希[タオシ]さん……」

 私は我ながら情けない声を出しながら苦笑した。

棉紗[ミアンシャ]

 私は青く染められた『西吾』の屋根にあがって手すりに肘を乗せ、あたりを見渡しました。

 空はちょっと雲が多いですけど、雨の気配はありません。このあたりは今の季節、滅多に雨が降る事はないそうです。午後の太陽の光が柔らかくさえぎられていて、むしろ過ごしやすいと言えます。

 馬車の後方を見ると、そこには九台の装甲馬車が五米ほどの間隔を置いて一列に並んでいます。私達の乗る『西吾』に続くのは屋根を黄色に塗られた『緒史』です。まっすぐ後ろに並んでいるわけでなく、ちょうど馬車一台分くらい左に寄せているので、開いた窓から閃様が少し険しい目つきで『西吾』の方を見ているのがわかりました。

 多分、閃様は猷示[ユウシ]さんを見ているのだと思います。閃様はとてもラティアさんを大切にしておられますから、猷示[ユウシ]さんとは言え男の方がラティアさんとお話ししているのを気にされているのでしょう。

 それにしても私が今、ここにこうしているのはまるで夢のようです。雷と共に街に潜み山道をさまよった時には「いつまで生きていられるのか」としか思いませんでしたのに、私は大陸でも最強と言われる武装商隊に護られ、そしてこれからも怯えずに生きていく為に皇都に向かおうとしているのです。

 ですが私はこの人達に助けて頂けるような何者でもありません。今や一族が滅び去った謀反人の生き残りに過ぎないのです。

「それは違いますぞ」

 衝武[ヘンウー]様は私を叱るようにそう言われました。

「あなたは姫様のご友人じゃ。そして[リャン]の皆も棉紗[ミアンシャ]殿を友人であり、戦友でもあると思っておりもうす。我々はあなたが棉家の姫だから助けるのではないのですぞ」

 それは涙が出るほど嬉しい言葉でした。ですが、そのために[リャン]の人々が皇国と戦う事になるかもしれないのです。もしそうなれば私は自分を許すわけにはいきません。

「もちろん我々もそのような美しい心意気だけであなたを助けるわけではござらぬ」

 姫様は別かと思われますが、と衝武[ヘンウー]様は言われました。

「我々がこの場であなたを見捨てて皇国に引き渡したといたしましょう。世の人々は[リャン]武装商隊を蔑むでありましょうな。表だっては『無理もない。当然の事をした』と言うでしょうが、心の中では『子供を売って商売に精を出した卑怯者』と吐き捨てまする。そうなれば[リャン]は終わりでござる。いわば我々はあなたを助ける以外に選ぶ道はないのでござる」

 ますます申し訳ありません。いっそ私はここで自害するべきではないのか、と思った時です。

「ですが、あなたを助けられれば我々の評判はさらに高まるのでござる。それに直訴、という手段で皇帝につながりを付けられれば、稜曄[ロンファ]における商売に得になりこそすれ損にはなりませぬ」

 つまり、と衝武[ヘンウー]様は私の手を握られました。

「これはあなたと我々の取引でもあるのでござる。棉紗[ミアンシャ]殿は皇国から免罪を勝ち取り、我々は評判と人脈を得ますゆえ、危険を冒すに足る報酬でござりますぞ」

 聞きようによってはとても冷たい、打算的な言葉です。ですけど私は衝武[ヘンウー]様が私の気を楽にする為にそう言って下さっている事を知っています。これが取引、そしてどちらにも危険を計算に入れてもありあまる利益がある、と言えば私が罪の意識に囚われる事はないと思いやられての事でしょう。

 そこまで私の事を思って下さっているのです。ならば私はその気持ちに答える義務があります。ですから出来る限りの事をします。雷も、きっとそれを喜んでくれるでしょう。

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