俺は事切れた
天軌流での戦った相手に対する礼だ。戦場ではともかく、果たし合いでは死者には礼を尽くさねばならない。
俺は懐紙で刀身の血を拭うと鞘に収めた。あの剛剣を受け止めた七代実克は曲がりも歪みもせず、吸い込まれるように鞘に収まった。
一息つき、それから俺は十米ほど先で静かに立っている男達に声を掛けた。
「
「……」
二人の特務剣士は真っ直ぐに俺を見つめた。
「
「では
「わかった。我らは町へ戻る。お前達への追撃は隊長殿にご報告した後に再検討するということになろう」
「そうだな」
俺はそう言いながらも
「
「まだ来るな。二人を頼む」
俺はラティア達に背中を向けたまま指示をする。彼らが立ち去るまでは油断はできない。
やがて彼らは
「兄様」
「肩は大丈夫ですか」
「ふむ。筋や腱には異常はないようだな。これならすぐ治るだろう」
ラティアが肩の傷をじっとみてから、
「問題はこちらの方だな」
左の肩胛骨の下、
「かなり痣になっておる。痛むか」
「そうだな。正直かなり痛む。左腕が上がらなくなってきた」
戦いの時には無理も利くが、終わると次第に痛みが響いてくる。肋骨にヒビが入っているかもしれない。
「後で
「では急ごう。特務の連中が帰ってこないうちに
俺は肌胴衣、鎖子、胴衣を全て元通りに身につけた。もちろん隠剣なども仕込んでおく。
「さて
歩き出して数寸、言い出そうか言い出すまいか迷っていたらしいラティアが、ついに我慢できなくなったらしく話しかけてきた。
「こういう事を聞くのは礼儀知らずだとわかっておるが尋ねたい」
「さっきの技か」
「そうだ」
だが俺は勝った。圧倒的な力に対抗するのは技。それもあの場面、絶体絶命と言って良い場面で使い逆転するほどの技だ。つまりは奥義という事になる。それを護る対象とはいえ、他人にペラペラしゃべるような事はあり得ない。護衛対象がいつ敵になるかもしれず、奥義を知られている事は弱点にこそなれ、利点には絶対にならないのだ。
実戦ではあれこれと多彩な技を身につける事にはあまり意味はない。それよりも「絶対に勝てる」技を一つだけ磨き抜く方がはるかに役に立つ。何しろ実戦では二度目はまずないのだ。逆に言えばその必殺技を見られた場合、生かして返してはならない。
「見当はついているんだろう」
だが俺はそうしなかった。理由は……よくわからん。
「折ったな」
「そうだ」
「だがそなたの刀はそのような特殊な形はしていない。確かに素晴らしい刀だが、あれほどの剣を枯れ枝のように折るなどできるはずもない」
「それができるから、技なのさ」
俺は柄を軽く叩いた。
「これ以上は話せんぞ」
「……そうだな。すまぬ、無礼な事をした」
そう言いながらもラティアは嬉しそうに微笑んだ。
私達は十八刻をいくらか過ぎた時刻に
長身白皙の美青年、ただし服の趣味は最悪というのがラティアのお兄さんで、
右眼を眼帯で覆った渋めの男の人が釧銘さん。槍使いだという事だけど、町の中に槍を持っては入れないから、今は棒をもっている。兄様によると相当な遣い手だということだったわ。性格は頼りがいのある常識人って感じだったけど。
一見
背の低い、穏やかな顔つきの人が太甫さん。笙錘さんよりもいくつか若いように見えるわね。誰に対しても丁寧な口調で、実際に性格も優しいらしい。とは言っても戦いとなれば相当の遣い手だそうだ。
腰も頭も軽そうな青年は壬諷さん。だけどちょっと話してみたら確かに口が軽くて落ち着きのないところはあるけれど、頭の回転はかなり速いみたい。知識もかなりのものだし、決してただ軽いだけの人じゃないみたいだ。
あまり喋らないどっしりした青年が債碩さん。今までの団員の中では一番若い。体つきは細いんだけど、印象が重いわね。でもよく見ていると、きちんと考えて必要な事をちゃんと言うようにしているからそんな印象があるみたい。壬諷さんみたいに目から鼻に抜けるって感じじゃないけれど、言う事は的確だわ。
どう見ても二十代の前半、下手すると十代後半にも見えるのに実は……という女の人が
で、なぜか一人だけ子供がいた。
「あの、臨樹といいます。父が
そういえば旅館でもこの子、他の剣士達の後ろに立っていたような気がするわ。考えてみればあの場にこんな子がいることを不審に思わなかったのはどうしてかしら。いくら存在感がないにしても軍師たるもの、細部にまで目が届かなくてはならないのに。
「さっそくですけど、
「……大丈夫なの?」
私はちょっと難色を示した。だってこの子、私とあまり歳が違わないように見えるわ。
「その点は問題ないぞ。
ラティアがそう言うならまあそうなんだろうけど。
兄様は
「さて、君達の今後ですが」
どこから手に入れたのか、閃さん達は馬車を一台引いてきていた。荷車に幌を付けただけ、というような馬車だけど、おかげで私達は馬の背に揺られる事もなく、これ以上歩く必要もない。正直言ってもうクタクタだったのよ。
私と兄様、ラティアに
「何か特別に希望がありますか」
「いや。俺達は
「では
「聞こう」
「彼らをこのまま雇いましょう。というよりも雇わなければなりません」
「どういうことだ」
「彼らを解雇する事は死ね、ということと同義だからです」
それは穏やかではないわね。
「まず現実問題として、隊長達はこの数日で二人の
「
「彼らにその理屈は通用しません」
閃さんは首を振った。
「もちろん我々もこのまま見逃されるわけはありませんが、『
「
私は閃さんに問うた。確かに閃さんの言うとおりだけど、だからといって
閃さんはそんな私の懸念を否定した。
「
「立派な心がけですけど、相手は
「例え全滅してもです。それができずして誰が
ごく当たり前のことを言う口調で閃さんは私に答えた。なるほどね。確かにそう言われればそうだ。ここで私達を売って
「わかった。
「そりゃありがたいお言葉だけどよ」
兄様が軽く手をあげた。
「遅かれ早かれ
「我々は皇都へ向かいます」
閃さんはこの場の誰一人想像もしていなかった事を言い出した。ラティアも兄様も、そして私も唖然として閃さんを見つめる。
「どういう事だ、閃兄!」
ラティアが『隊長』の口調を忘れて閃さんに詰め寄った。
「まさか詫びを入れて
「まさか」
閃さんは何を言っているのですか、という目でラティアを見た。
「そんな事であの皇帝が私達を許すとでも思っているのですか。あり得ません」
「ではどうするのですか?皇都に行ってもただ捕らえられるだけかと思いますけど」
「直訴ですよ」
閃さんは私に微笑んだ。この人、微笑みもいやになるくらい格好いいわね。
「事は棉家の姫、そして
「……直訴?」
ラティアが首を捻る。
「
そんなラティアを横目で見て、閃さんが兄様に聞いた。
「知略雄大、政治と軍事に長け、才能を極端に重視する。愛憎の振れ幅が極端に大きく、冷酷にして慈愛の人だと言うな」
「確かにその通り」
閃さんは妙に大げさな仕草で頷いた。
「そして同時に芝居じみた事が大好きな人でもあるのですよ」
僕はふわふわとした足取りで医馬車に帰ってきた。ろくに発軌もないガタガタ揺れる馬車で二刻も揺られてきたからじゃない。
あの娘がこれからもしばらく僕たちと一緒にいる事になったからだ。
もちろん僕はあの娘に想いを伝えようとか思ってるわけじゃない。ただ、少し仲良くなれればいいな、とは思うよ。だって
「今戻ったよ」
僕は奥の寝床に向かって声を掛けた。返事はないとは思わない。父さんは例え熟睡していても自分の馬車に入ってこられてそのまま寝ているほど鈍くはない。
「おう、お帰り」
でも声はやっぱり眠そうだった。
「僕もすぐ寝るから。おやすみ」
「そうか。話は明日聞こう」
「うん」
父さんは安心したようにまた寝息を立て始めた。
闇の中でもはっきりわかるくらいに大きな体を僕はなんとなく見つめた。父さんは立派な医者だ。様々な病気、怪我に対応できるし、度胸も責任感もすごく強い。武術家としても一流で、人生の先輩としてもとても頼りになる。僕の憧れだ。
こんな人になれたらあの娘も僕のことを見てくれるだろうか。
なんて馬鹿な事を考えながら、僕はもう一つの寝床にもぐりこんだ。
私は『緒史』の窓から目だけを出すと、『西吾』の後部座席に座る青年に目を走らせました。そこには顔の左側に炎の入れ墨をした逞しい青年が座っています。身長は百七十厘を越えているからかなりの長身と言えるでしょうね。特に危険のない今でも、鎖子と手甲・脚甲に鉢金で身を固め、腰にはかなり長い芦葉刀を挿しています。油断はいついかなる時もしない、ということでしょう。
『
単独で飛び出したラティがこの男と出会ったのは幸運でした。ラティ一人では最初の特務と
ですが同時にこの男を信用しすぎるわけにはいきません。私の知る限り
私は内心かなり心配しながら
ラティと私は父が違います。私の父は祖父殿の門人であり、母の初恋の人でもあった人です。温厚で武術の腕も相当な人であったということですが、私はほとんど覚えていません。父は私が三歳の時に、この武装商隊に参加していて戦死しました。
その後十年独身を続けた母が再婚を決意したのがラティの父です。はっきり言えば私はあの人が苦手です。今では嫌っているわけではありませんが、なかなかに厄介な人ですしねえ。まあ以前のように命を狙ったりはしていませんが、まだ「父さん」と呼んだことはないのです。
しかしその娘であり、私の妹でもあるラティは、まさしく私の宝です。思えば義父に反発し、命さえ狙っていたあの頃ですら、私はラティには大甘でした。まわらぬ舌で「にいたま」と甘えてくるラティをどうして嫌えたでしょう。義父の血を引く褐色の肌もラティの肌と思えばむしろ愛しく、どうして自分の肌が白いのかと悩んだくらいです。この子が大きくなれば自分と兄の肌の色が明らかに違う事に気がつくでしょう。それは同時に自分達が完全な兄妹ではないのだと知る事につながります。その時この子が受ける衝撃はさぞや大きかろうと思うと私は夜も眠れないほどでした。
まあそんな心配は無用ではあったのですが。
結局の所、私はラティの兄であり、父が違おうと肌の色が多少異なろうと大した問題ではないのだ、と気づいてからは私はさらにラティが愛しくてたまらなくなり、義父から「俺の娘を取るな」と苦言を呈されるくらいでした。
その大事な妹が高名とはいえ流れの
今のところ両名とも特に色恋に発展しそうな気配はありませんが、なにしろラティも年頃です。気の迷いということもありえます。
「ご心配ですね」
「まあラティちゃんも十七歳。
「別に心配はしていません」
私は嘘をつきました。もちろん
「ラティはしっかりした娘です。
「でもラティちゃん、最近またずいぶんと綺麗になりましたよね。
……なかなか厳しいところを突いてこられる。
「そりゃ女も成長しますよ。この年になれば見えてくるものもあります。ラティちゃんは確かに今のところは
「あまり私を苛めないでください。私は爺様や義父のように図太くはないのですから」
「嘘ばっかり」
「
「そうね……まだよくわからないんですけど」
右手の人差し指を顎に当ててなんとなく天井を見るいつもの姿勢ですね。
「まず、かなり自分の腕に自信がありますわね。あと割り切りもいい。それに卑怯者じゃないと思いますよ」
そうですね。そうでなくてはラティと
「何でラティちゃんに手を貸したのかは本当のところはわかりませんけどね。でもラティちゃんが可愛いからといって手助けするような男にも見えないわ」
それも同感です。私が聞いた範囲では
「確かなのはまず凄まじい剣力の持ち主だってこと、悪い男じゃないってこと、そして」
「
「そうですね」
私は頷きました。そうでなければあの
「閃様は
「いいえ。彼の名前は聞いた事がありましたが、その過去に何があったかまではさすがに。しかしこうなったら調べておいた方がいいでしょうね」
「ええ。ラティちゃんが本気にならないうちに」
「
私は我ながら情けない声を出しながら苦笑した。
私は青く染められた『西吾』の屋根にあがって手すりに肘を乗せ、あたりを見渡しました。
空はちょっと雲が多いですけど、雨の気配はありません。このあたりは今の季節、滅多に雨が降る事はないそうです。午後の太陽の光が柔らかくさえぎられていて、むしろ過ごしやすいと言えます。
馬車の後方を見ると、そこには九台の装甲馬車が五米ほどの間隔を置いて一列に並んでいます。私達の乗る『西吾』に続くのは屋根を黄色に塗られた『緒史』です。まっすぐ後ろに並んでいるわけでなく、ちょうど馬車一台分くらい左に寄せているので、開いた窓から閃様が少し険しい目つきで『西吾』の方を見ているのがわかりました。
多分、閃様は
それにしても私が今、ここにこうしているのはまるで夢のようです。雷と共に街に潜み山道をさまよった時には「いつまで生きていられるのか」としか思いませんでしたのに、私は大陸でも最強と言われる武装商隊に護られ、そしてこれからも怯えずに生きていく為に皇都に向かおうとしているのです。
ですが私はこの人達に助けて頂けるような何者でもありません。今や一族が滅び去った謀反人の生き残りに過ぎないのです。
「それは違いますぞ」
「あなたは姫様のご友人じゃ。そして
それは涙が出るほど嬉しい言葉でした。ですが、そのために
「もちろん我々もそのような美しい心意気だけであなたを助けるわけではござらぬ」
姫様は別かと思われますが、と
「我々がこの場であなたを見捨てて皇国に引き渡したといたしましょう。世の人々は
ますます申し訳ありません。いっそ私はここで自害するべきではないのか、と思った時です。
「ですが、あなたを助けられれば我々の評判はさらに高まるのでござる。それに直訴、という手段で皇帝につながりを付けられれば、
つまり、と
「これはあなたと我々の取引でもあるのでござる。
聞きようによってはとても冷たい、打算的な言葉です。ですけど私は
そこまで私の事を思って下さっているのです。ならば私はその気持ちに答える義務があります。ですから出来る限りの事をします。雷も、きっとそれを喜んでくれるでしょう。
人の山田様が見てる
凉武装商隊 since 1998/5/19 (counter set:2004/4/18)