なかなか賑やかな街だ。私は商売柄いろいろな土地に行っており、ここよりも大きな都市もいくつも知っている。だが街というものはあまり大きすぎても暮らしにくくなったりすることもある。人が多くなった結果として土地が足りなくなったり道が通りにくくなったりというのは当然として、治安が悪化したりそれに対抗して警察がやたら荒っぽくなったりすることも少なくない。
その点、この街は十分に賑やかで、それでいて混雑と言うほどでもない、ちょうど良いつりあいを保っているように感じる。だが、少しだけ違和感があるのはどうしてだろう。
それはそれとしてこの梨はおいしそうだ。
「お嬢さん、この街は初めてかい」
果物屋の親父さんが気さくそうな身振りで話しかけてきた。
「うむ。今日着いたばかりだが、なぜわかった?」
「一人で歩いておる若い者は珍しいからね」
言われて私は街の違和感に思い当たった。そうだ。この街では若者がかならず複数人で固まって歩いている。もちろんそれが悪いわけではないが、一人で歩いている者がまったくいないというのは、言われてみれば不気味とも言える。
「どういう事だ?」
「いや……街の恥とでも言うかねえ。ちょっと若い者達が隣町の連中と張り合っていてね。いやいや隣町といってもこの通りだって隣町さんと共同で管理してるんだから同じ町みたいなもんなんだが」
親父さんは話し好きなのか、身を乗り出すようにして話しかけてくる。だがこの町の様子を知りたくて出てきた私にしてみればむしろ好都合だ。もっと話を聞こうとした私だが、急にわき上がった怒号に邪魔をされた。
「てめえら、誰に断ってここに来てるんだよ、あぁ!?」
「なんでおめえらの許可がいるんだ、コラァ!」
やれやれまたか、と呟きながらそちらを見る親父さんの視線を追うと、そこには数人の若者達の姿があった。どうやら四人対五人のようだ。最初に喧嘩をふっかけたのが五人の方で、負けじと張り合っているのが四人の方か。
「あれか、張り合っているというのは」
「そうなんだよ。まったく往来であんなコトされるとこっちも困っちゃうんだよね。あ、ありゃウチのどら息子だわ。馬鹿たれめ、家の商売の邪魔をしやがって」
なるほど、よく見ると五人のうちの一人、背の低い若者は目の前の親父さんと眉毛の形がそっくりだ。今は精一杯肩を張って大声を張り上げているが、どうやら全員大した功夫などはなさそうだな。
「余計なお世話かもしれんが、私はああいうのを黙ってみておくのができないんだ」
私は親父さんにそういうと、「へ?」とよくわかっていないらしい親父さんを残して若者達の方に歩いていった。
「そなた達、ここは往来だ。そんな下品な言い争いは他でせぬか」
「あ?なんだアンタは。この街のもんじゃないんだろ、引っ込んでてくれないか」
どうやらクスリなどで飛んでいるわけではないらしい。無関係な人間にも手当たり次第に絡むような輩ではなさそうだ。
しかし、そういうちょっとは理性のありそうな連中がどうしてこんなところで罵声を浴びせ合っているのかの。
「往来の真ん中でそのような言い争いをされると私だけではない、周辺のお店にも迷惑だ。いかなる理由があるかは知らぬが、ここは止めてくれぬかな。でなければ『仲裁』しなくてはならんのだが」
「いいからどっかいってろよ、お嬢ちゃん」
男達の一人がいきなり私の肩に手を伸ばした。
軽く左足を引き、男の手が肩をつかむ寸前に位置をずらす。同時に右手で彼の手首を極め、軽く投げた。
「ぐはっ……」
かなり手加減はしたが、受け身もまともにとれないで倒れたのだから衝撃は結構なものだったはずだ。男はげほげほと咳き込み、立ち上がれない。
「なっ」「てめえ、何者だ」
色めき立つ男達。
「通りすがりの者だ。なんだ、一人の女に大の男が徒党を組んでどうするつもりだ。そなた達がそのような輩ならばこちらもそれなりの対処をするぞ」
「くっ……!」
どうやら彼我の実力差と今の私の言葉に身動きが取れなくなった様子。どうも不思議だ。
さてどうするか。
そう思った時、「おやめなさい!」という声が響いた。
「で、ラティアはその団長さんに気に入られたと」
「そう言う事になるな。変な話だが」
「まあ事情はわかりました」
「……怒ってる?」
「怒ってます」
閃光のような速度でラティアの問いかけに答える
「ラティアさん。あなた、私達がどのような状況にいるのかわかっていますか」
「あ、ああ。私達は追われておるな」
「では極力目立つべきではない、という事は理解できますね」
「うむ。そうすべきであろう」
「それがわかっているなら!!」
爆発した。
「なんでそこで余計な喧嘩の仲裁なんかしてるのよっ!!」
とうとう座っていられなくなったらしい。仁王立ちをして正座をしたラティアを見下ろしている。
「うむ、性分でな。つい」
「ついじゃありませんっ!」
ラティアは日が暮れて夕食時が過ぎてから宿に帰ってきた。「ちょっと周りを見てくる」と言ったわりにはなかなか帰ってこないラティアを
そしてその理由が町で喧嘩を仲裁したら青年団とかいう連中の隊長に気に入られて今まで話をしてきたというからそりゃまあ
俺?俺は心配はしていなかった。ラティアをどうこうできるような輩がそうそういるわけはないし、気になる事があれば人を待たせていてもちゃんと探るのが偵察に出た者の務めだ。まあ正直に言えば腹を減らした俺達の前にしっかりと飯を食って現れたラティアを見た時になんだかこう、殺意に似たものを感じたのは事実だが、まあこれも別に食わなかったのは俺達の勝手であってと……俺は誰に言い訳をしてるんだ。
それにラティアの行動は無駄ではなかった。
聞いてきた話によると、この付近では少々困った事態が起きているらしい。とは言っても別に反乱だとか殺戮だとかいう物騒な話ではない。なんでもこのあたりは大きく分けると相斗町と狭通町という二つの町となるということだ。それぞれの町には『青年団』という若い連中を集めた組織があるとのこと。
これはまあ当たり前の事で、二十代、三十代の体力のある連中が集められていて、いざ火事とか水害という時には警察や火消しの指揮の下に町を守る為に働くわけだ。そういう組織は町や村単位で必ず存在する。
で、組織があればその長がいるわけだが、問題は現在の二つの青年団の長にあった。
狭通町青年団の団長は先代団長の息子である
この二人は幼なじみで、ラティアが聞いてきたところによるとまあその早い話、
「なんだそりゃ。だいたい男らしくないってなんだ。縫い物上手できちんと腕一本で稼げるなら立派な事じゃないか」
「私もそうは思う。が、おそらく問題はそういうところではないのであろ」
つまりだな、とラティアは続けた。
「武術家の一人娘となれば婿を取る事になるだろうが、婿の特技が縫い物では父親も周りも納得すまい。なんとか発奮して欲しいという気持ちが行き過ぎたという事ではないか」
「よくわからん」
「兄様のように鈍感な人にはわからないわよ」
むう。
「まあそれはいいが、その事が青年団の問題とどう関係するんだ。」
「それなのだが」
「それにこれは私の見たところだが、」
相斗町青年団副団長の魏苑という男は
「敵意を持たれたら狭通町の青年団も嬉しくはなかろう。現にいろいろと諍いが起こっているようだ」
「くだらん。結局の所その
「とは言えすでに問題になっている。
まあこれでもあの
「それで
「いや。話を聞いてくれ、と言われただけだ。だが私はなんとかしてやりたいと思う」
「ふむ。で、俺達はどうすべきかな、
「無視しましょう」
「え?しかし」
「ラティア。先ほども言ったけど、私達は逃亡者なの。目立ちたくないの。ここの青年団が引っ込みつかなくなって対立しているのはわかったけど、私達がそれを仲裁する理由はないのよ」
「それはわかるが、困っている状況を見てそのままにしてはおけぬ」
「そのためにあなたは
「う……それは」
理屈としては
「だが……」
ふーむ……。ラティアの性格がだんだんと見えてきた。こやつ、かなりの世話焼きだ。隊長として教育を受けてきた事もあるだろうし、元々の性格もあるんだろうが、どうも困っている人間を見ると放っておけないらしい。まあそうでなければわざわざ
ただ、そういう人間となるとここで
というわけで。
「まあ待て」
俺は
「俺達はしばらくここにいるわけだよな」
「そうね」
「ならば街の者を助けておいて損はあるまい」
「まあそれはそうだけど」
「切った張ったの
「
「ラティアは助けたいから助ける。俺達は助けておくと恩が売れそうだから助ける。どちらにしても彼女にとっては結果は同じだろう」
「結果が同じだから良いという問題ではないぞ。良いか、人の取るべき道とは」
俺は掌をラティアに突き出して演説をさえぎった。
「ラティアの考えは尊重するが、俺達の考えを矯正しようとはしてほしくないぞ」
「……そうだな。すまぬ。説教じみたことをしようとしていたな」
「まあ俺達の思惑なんか彼女には関係ない。要は腹の中はどうあれ、みんなにとって都合の良い結末になればいいわけだ」
ラティアは無言。納得はしていないのだろうが、かといって自分の道徳観を押しつける気もないということだろう。大変結構。
「で、
「そうね。確かに兄様の言う事にも一理あるわ。後は
「わ、私ですかっ?」
そうだな。
「ええ。
「そうですね……」
おろおろとしていた
「私は賛成です。頼られて見捨てるのは義とは言えませんから」
「わかったわ」
「じゃ、どうすればいいか考えましょう」
つ、疲れた……。
僕は這うようにしてあてがわれた部屋に入るとパタリと倒れた。今日は馬車に乗ってきたから身体の疲れはむしろ取れているくらいだけど、その分たっぷりと気疲れしたのだ。なにしろ今日、僕たちは特務警察の後をつけてきたのだから。
「まずラティアの事ですが」
閃様が口を開いた。
「今のところ、いくつかの事がわかっています」
閃様は姫様の兄君だ。「自分は人の上に立つ者ではなく、それを助ける者だ」と考え、姫様の補佐として監察方をまとめている。実際には凄い武術家だし、頭はいいし、人望もあるのだけど。ちなみにすっごく姫様を可愛がっている事でも知られている。
それはともかく。
「一つ。ラティアは無事で、
閃様が右の人差し指を立てて僕たちに告げた。
おお……。
釧銘さんたちも思わず安堵の息を漏らす。
「今朝、街中でラティアと
「どこに行かれたのでしょう」
「それはまだわかりません。そして」
閃様が二本目の指を立てた。
「二つ。ラティアは護衛を雇ったようです。その名は『
「……なんと」
「あの、『
その名前は僕も聞いた事くらいはある。まだ若いけど
「彼とその妹であろう少女がラティア達と共に居たという証言も複数あります。まず間違いないでしょう。
「それは悪い話ではなさそうですね」
「いや待て。姫様がわざわざ
笙錘さんの言葉に壬諷さんの眉がしかめられた。
「そう言えば……」
「三つ。どうやらラティアはすでに特務警察と事を構えたようです。おそらくは
それは大変な事だ。だけどそれならば『
「四つ。すでに特務警察はこの街に来ています」
「なんですと」
「
さらに、と閃様が続けた。
「彼の隣を歩いていた剣士は『白狼』の
僕たちは思わず顔を見合わせる。誰もすぐには言葉が出ない。やがて太甫さんが呟いた。
「……
なんてことだ。
そして『白狼』と言えば、武林では知らない者がいない遣い手だ。なにしろ僕だって知ってるくらいだ。
だが閃様は特に気負ったところもない様子でとんでもないことを言い出した。
「さて、そのような連中が来ているという事を考慮に入れた上で、提案です。彼らを、利用しましょう」
「……ふむ。姫様の行き先は彼らに教えてもらおう、ということですか」
ええっ!?
「はい。彼らは調査にかけては間違いなく腕利きです。おそらく遅くとも明日中にはラティア達の行き先をつかむでしょう。我々はその後を追えばいいというわけです」
「それよりも特務警察よりも先に姫様の行き先をつきとめた方がよくないですか?」
壬諷さんが発言した。僕だってそう思う。だって特務警察の後を追うってことは、彼らよりも先に姫様を見つける事はできないっていうことだ。僕たちは一刻も早く姫様を見つけなくちゃいけないはずじゃないか。
しかし閃様は首を振った。
「行き先がわかればいいのですが、我々が動いても彼らよりも先にそれをつかむのは難しいというのが現実です。それに我々がここに来ているという事に、おそらく彼らは気づいていません。下手に動いて我々の存在を知られるのは得策とは言えませんね」
「……なるほど」
債碩さんが頷いた。
「それよりも、捜索は彼らに任せて僕達は英気を養うべきだと」
「そうです。今、彼らが我々の存在を知れば排除すべしと考えるのは目に見えています。そうなれば不利な戦いを強いられる。その危険を冒してラティア達の行方を調べることの利点はありません」
「そうだなぁ。よし、俺は閃様に賛成だ。お前達はどう思う」
「俺も閃様の考えに従うべきだと思う」
釧銘さんも頷く。であれば僕たちも否やはない。
「それでは二人ずつ、交代で特務警察の監視に当たりましょう。彼らが街を出る時に後を付ける事ができれば良いのですから、無理に近づく必要などありません。とにかく彼らに気づかれないように監視してください」
というわけで、僕たちは翌日の昼前に特務警察の馬車の後を追って
もちろん
いや、僕が緊張したってどうしようもないんだけどね。なにしろ僕は
「おーい、
あ、釧銘さんだ。
「はい!」
僕は立ち上がると部屋を出た。階段の下に釧銘さんを見つける。
「なんですか?」
「悪い、ちょっと馬車から俺の背負い鞄を持ってきてくれないか。あの赤いやつだ。俺は閃様の部屋にいるからそこまで持ってきてくれ。一階の奥から二番目の部屋だ」
「あ、わかりました」
僕はすぐに飯店を出た。裏手に回って馬車の扉の鍵を開ける。目的のものはすぐに見つかった。
早く持って行こう!
駆けだした僕は横手を全然見ていなかった。
どん!
角を曲がった途端、誰かに思いっきりぶつかってしまう。僕よりもかなり背の高い男の人だ。その人はかなり勢いよく僕にぶつかられたのに、まるで大木のようにびくともしなかった。代わりに僕が跳ね返されて転がってしまう。
「おいおい、大丈夫か。悪いな少年」
尻餅をついた僕に男の人が手を差し伸べてくる。
「あ、すみません、僕、前をよく見てなく」
照れ笑いをしながらその手をつかもうとして男の人の顔を見た僕は氷の柱になった。
『白狼』の
身長は軽く百九十厘を越えるだろう。肩は山のように盛り上がり、僕に差し出された腕はまるで丸太のように太かった。もちろん太っているわけじゃない。鉄の縄で編まれたような筋肉がその身体を鎧っていた。
「ん?いやいや怖くないぞ。俺は怪しい者ではない」
頭は真っ白だ。
「ううむ、俺はそんなに怯えられるような顔をしているかなあ」
……はっ!いけない、これじゃ怪しまれるだけじゃないか。僕はただの旅人。だからこの人のことなんて知らない。知らないのが当然だ。
「あのっ、すみませんでした!僕の不注意でした。気を付けます」
即座に気の弱い少年のフリをして(というか本当にそうなんだけど)、とにかく頭を下げる。
「おお、なに気にするな。お互い様だ」
そのまま別れるかと思ってたら、
「少年は土地の者か?」
「いえ、僕は父さんの商売に付き合って各地を回ってます」
まさか「あなたの跡をつけています」とは言えないけど、とっさに嘘をつくような技能は僕にはない。だから一応本当の事を言う事にした。
「父さんが医者で、僕は見習いなんです。父さんが腰の落ち着かない人で……」
旅をしている医者なんてあまりいないから、とってつけたような説明も付け加える。幸い、
「ほう、一所で町医者に甘んじずに各地を巡るか。なかなか気合いの入った医者もいたもんだ。いつか俺も診察してもらう事になるかもな」
「そんな事はない方がいいんですけど」
はははっ、と
それから二、三言他愛のないやりとりをして、僕たちは別れた。
「まずはっきりさせておかなくちゃならないことが一つあるわね」
「その
「うむ」
「なら後は
「だが周りは納得するか?」
そう。問題は二人だけの話じゃないのです。
「
「その
「うむ……
「そうね。ちょっと荒療治だけど」
そういって
「それは……かなり無茶じゃないでしょうか」
「そうだな。そこまで肝の太い男はなかなかおらぬぞ」
ラティアさんも頷きます。同感です。
「それはそうかもしれないけど」
「おい
「なに、兄様」
「俺はなんでそんな役なんだ」
「だって兄様しかできないでしょう。ラティアは
いえ、
「それに
「え」
「別に狭通町青年団に殴り込めとか言ってるわけじゃないわ。ただ、
「あの、私がですか?」
「ええ。多少の時間のずれは兄様とラティアでなんとかしてもらうから、とにかく現場まで連れてきてちょうだい。あとは成り行き任せね」
「……うまく行くでしょうか」
「大丈夫でしょ。町の青年団程度に兄様とやりあえる人間なんかいるわけがないし、その圧倒的な実力差の前には多少の芝居臭さはかき消せるわ」
つまり
「彼が身を投げ出して
「逃げ出したら」
「そんな男、
「鬼だ」
「鬼だな」
「鬼です」
「なに?」
ぎろり、と睨まれました。怖いです。
私、どうして今日初めて会った人にあんなに洗いざらい話してしまったんだろう。自分でも信じられない。いつもの私ならそんな事は絶対にないのに。
でも後悔しているわけじゃない。むしろこのところずっともやもやしていたものがなくなって、驚くくらいすっきりしてる。
ラティアさんという少女は不思議な人だ。私よりもいくつか年下のはずなのに、なんだか頼りがいがあって、ただそこにいるだけで信じてついていきたくなるような空気をもっていた。多分、ただの少女ではないと思う。人を率いること、命令をする事に慣れている。
「うー……でもやはり恥ずかしい……」
思い出すと顔が熱くなる。考えてみれば私は年下のさっき会ったばかりの少女に自分の恋心を棉々と語ったわけだ。別に恥ずかしい事をしたわけではないが、やはり恥ずかしい。
それにしてももう何年になるだろう。
今はその愚かさに気づいている。いるけど、だからといって今さら掌を返したように素直になれはしない。もう私の馬鹿さ加減は習い性となってしみついてしまっている。
でも……ただの思いこみかもしれないけど、もしかしたら……
だって、
私が自分の気持ちに気づく前には私達はとても仲が良かった。どこに行くにも一緒だったし、なんでも話し合った。空き地でよく手を繋いで昼寝をした。
なんで、私はこうなのかな……。
『火の玉の清』なんて言われて、年下の女の子達から懐かれて、調子に乗って青年団団長なんかになって、私はなおさら強く凛々しくなくちゃいけないなんて思いこんだ。私よりも弱い男なんかに興味はない!なんて言い張って、自分で自分を追い込んだ。
結果は見てのとおりだ。父にも友人にも相談できず、初対面の少女にしか本心を言えない愚かな女が一人、暗い部屋の中で膝を抱えているだけだ。なにが『火の玉』だろう。
「清お嬢、おられますか」
聞き慣れた声がした。私は慌てて涙のにじんだ目元をぬぐうと立ち上がる。
「いるわよ、魏苑」
「そろそろ会合の時間ですぜ」
「今行くわ。先に行っていてちょうだい」
「はい」
魏苑が出て行く物音がする。彼の存在も私の気持ちを暗くさせる原因だ。ううん、彼が悪いわけじゃない。彼はただ私に好意を持ってくれているだけだ。好かれて嬉しくないわけがないけれど、私は彼の気持ちには答えられない。今も私の胸を占めているのは
結局、悪いのは全部私だ。
それがわかっていても何も出来ない。私は蟻地獄に落ちた蟻ってこういう気分なのかな、とか馬鹿馬鹿しい事を考えながら、外に出た。
「一緒に行ってくださるんですか!」
「まあ
「ありがとうございます!」
ほとんど抱きつかんばかりに喜ぶ
思わず微笑み返してしまう私の裏側には、
なんて事を笑顔の裏で考えてる私が一番汚れているような気がするわね。
「どうされました?」
「ううん。じゃあ行くわよ」
「はい!」
私達は偵察に行くのだ。偵察目標は
「では兄様、行ってくるわ」
「ああ……やっぱり俺もついて行こうか」
「駄目。万が一顔を見られでもしたら作戦もなにもなくなっちゃうでしょ。別に心配する事はないんだからここで大人しくしてて。昼には帰ってくるから」
私はそういうと、それでもまだ心配そうな顔をしている兄様を後にして、
うーむ。釣れないなあ。
でもなあ……もう少し待っていればかかるかなあ。いやいや釣りは短気が上達の道とも言うし……でもやっぱりもう少し待っていた方がいいかなあ。
お!今、浮きが動いた。よしよし、つついてついばんで、それ、飲み込め!
「あの」
「えっ」
思わず竿を動かしてしまう。途端、グイッと竿が引き込まれた。
「うわわっ、わ、かかった!」
ぐん、と竿がしなる。こりゃ結構大きいぞ!
「ごめん、ちょっと待ってて!」
僕は後ろの女性(だと思う、声からして)に向かって大声で謝ると、まずは目の前の獲物を引き上げようと腕に力を入れた。
「おおっ」
「あ、結構引いてますね」
むむ。二人いるらしい。女の人が二人、僕に用事かな。いやいや今はそれよりも。
僕はグイグイと引き込む魚に合わせて力を調節した。ここはむやみに引き上げようとしてもうまく行かない。ある程度は相手に引かせて、勝負はそれからだ。
「これは大きいかもしれないわね」
「そうですね。
「そりゃあるわよ。
「私、一度もないんです。楽しそうですね」
なんだか後ろで話している声を聞きながら、僕はだんだんと引きが弱くなる魚の様子をうかがった。よし、疲れてきたな……。
じわり、と力を入れる。竿を立てて岸に寄せる。
「あ、大物だわ」
「本当ですね。五十厘くらいありそうですよ!」
「もう少し待っててくださいね、すぐ……」
後ろが気になって、ちょっと振り返ろうとしたのがいけなかった。一瞬力が緩んだ瞬間
「あっ!」
パチン!
思い切り魚が身体を捻り、糸が弾けた。
「わわっ!」
竿から重みが一気に抜け、体重を後ろに掛けていた僕は体勢を崩す。
「うわわわ」
とんとんとん、とたたらを踏み、それでも無理で。
バターン!
僕は後ろにひっくり返った。
「あいたたた」
「……あの、大丈夫ですか?」
心配そうに一人が声を掛けてくれる。
「いや、大丈夫です」
痛いけど我慢する。僕だって多少は意地というものがあるのだ。
「あはは、お恥ずかしい」
そう言いながら僕は後ろの二人の女性を見た。
あれ?
そこにいたのは確かに女性……だったけど、まだ子供だった。ていうか「女の子」だね。十をいくつか出たか出ないかくらいの少女達だ。
一人はふわふわとした金色に近い栗色の髪を肩口まで伸ばした、抜けるように白い肌の女の子。ちょっとこの辺では見る事のないくらいに可愛い子だった。多分、北部の血を引いているのだろうと思う。
もう一人はこれまた負けず劣らずの美少女だ。黒髪を長く伸ばし、前髪は眉の当たりで綺麗に切りそろえている。黒目がちの切れ長の瞳が上品で、まるで人形のように可愛らしい。
「あの、僕に何か用かな?」
座り込んだままとりあえず聞いてみる。こんな子達に知り合いはいないけど。
「あなた、
栗色の髪の子がにっこりと微笑んだ。黒髪の子はその子の腕に寄り添うように立ってこちらを見ている。
「ああ、僕は
「私は翻花。この子は茄紗よ」
「はじめまして、翻花さんに茄紗さん。……それとも、どこかで会ったかな?だとしたらごめんね。僕、忘れてるみたいだ」
「いいえ、初対面だから謝る必要はないわ。実は私達、ちょっと前から千家にお世話になっているの」
「へえ、千家って相斗町の?」
「ええ。父の商売でこの街に来たんだけど、千家の先生と知り合いなので、ちょっと寄らせてもらっているの」
ああ、千のおじさんはあれで顔が広いからなあ。
「じゃあおじさんから僕の事を聞いたのかな」
「町の人からも、ね。でちょっと気になる事を聞いたからお節介かとは思ったけどあなたを見に来たの」
はて。わざわざ僕を?なんだろう。
「あなた、千家の清さんと喧嘩してるんですって?」
「へ?」
いきなり言われて僕は思わず竿を持ったままなことを忘れて手を振り回した。
「きゃっ!」
黒髪の……茄紗ちゃんが竿に当たりそうになってよろめく。
「あっ、ご、ごめんっ!」
僕はあわてて竿を後ろに投げた。
「ちょっ、ちょっと竿!川に落ちたわよ!」
「うわわっ、大変だ!」
父さんの竿が川に落ちて流れていく。僕は後先考えずに川に踏み込むと流れていく竿をつかんだ。つかんだ途端、足を滑らせる。
「わっ!」
バシャーン!
川の中に膝立ちになってずぶ濡れになる僕。うう……なんで僕はこう運動神経が鈍いのかなあ。
「ちょっとあなた、大丈夫?」
「ぬれねずみです……」
「あ、あははは。いや大丈夫。このくらいすぐ乾くから、あははは」
僕はそれでも竿を流さずに済んだ事にほっとしながら川から出た。
「いやー、面目ない。みっともないところばっかり見せて」
「あ、あの、すみません。私が驚かせちゃって」
「とんでもない、僕が悪いんだ。ごめんね、当たったりしなかった?」
「はい。私は大丈夫です」
なにか拭くものはないかと周りをきょろきょろする茄紗ちゃん。翻花ちゃんも困った顔で僕を見ている。
「あー本当に気にしないでいいよ。濡れただけで別になにも問題はないから。それよりも僕が清と喧嘩してるって?」
「あ、ええ。そう聞いたの。色々と聞いた限りじゃ清さんが一方的に喧嘩を売ってるって感じだけど」
「うーん」
僕は頭をかいた。
「清さんは気が強くて意地っ張りだからあなたも迷惑してるんでしょうね」
「それは違う」
僕は姿勢を正した。頭から足先までずぶ濡れで格好付けても仕方ないけど、それはそれとして言っておかなくちゃ。
「清は優しい人だよ。責任感が強くて自分の立場を自覚してるからいつもピシッとしてるから気が強く見えるだけで、本当は誰よりも周りに気を使う人だしね」
「でも、あなたのことを悪く言ってるわ。『腰抜け』とか『貧弱』とか。そんな言い方は良くないと思うわ」
「それは仕方ないよ。本当の事なんだし、彼女は青年団長だ。きっとまとめ役として頑張ろうとして言いたくない事も言っちゃってるんだよ」
「……はあ」
翻花ちゃんは納得いかない、という顔で僕を見ている。対して茄紗ちゃんは「うんうん」と頷いて微笑んでいた。
「清はね、昔からちょっと不器用なんだ。頑張らなくちゃいけないって思うと自分にも他人にも厳しく当たっちゃうんだよ。で、その度に後悔してるんだけど……こればっかりは性格だからね。僕はそう言うところも清の可愛いところだと思うけど」
翻花ちゃんにつつかれて、茄紗ちゃんがおずおずと手をあげた。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なに?」
「
「うん」
僕は迷わず頷いた。別に隠すような事じゃない。
「なら、なんで言ってあげないの?」
「僕は清に恋愛対象とは見られていないからね。彼女は強い男が好きなんだ。僕みたいな弱い男はお呼びじゃないよ」
そう。僕だって自分の事くらいわかっている。腕力はないし、当然武術も知らない。手先がちょっと器用なだけの男なんだ。千家の跡継ぎに釣り合うような男じゃない。
「……やれやれ」
翻花ちゃんは腕組みをして首を左右に振った。
「まあいいけどね。私達がどうこう言う事じゃないし。で、あなたは今の状況をどう思っているの?」
「今の状況って?」
「相斗町と狭通町の青年団が対立してることよ。町の人たちも結構迷惑してるわ」
「あーその事か」
僕は肩をすくめた。
「最近ちょっと困ってる。でもまああまり心配する事はないよ。ウチの父の世代でもいろいろあってね、言ってしまえばこの街の風習みたいなもんなんだ。時々対立して喧嘩して、それからまた仲良くなるんだよ。ほら、雨降って地固まるって言うだろ。時にはぶつかることだってあるさ」
「そんなものかしら」
「うん。そんなものだよ」
僕は頷く。この子達にはわからないかもしれないけど、相斗町と狭通町は隣り合っているから色々と利害のぶつかる事も多い。でも結局は互いに助け合わないと生きていけない。そういう町なんだ。
「まあいいわ。それじゃ私達はこれで失礼するわね。あなたも早く帰って着替えた方がいいわよ」
「ああ、ありがとう」
そう言った時にはもう彼女たちは僕に背を向けて歩き出していた。
「まあ望みはありそうよ」
「確かに強そうな人じゃなかったけど、心はしっかりしてるみたい。兄様を前にしてどのくらい突っ張れるかはわからないけど、悪い人じゃないわね」
ならば私も芝居をする意味はあるということか。
私は目の前で行われている稽古の様子に目を移した。
ここは相斗町青年団の詰め所としても使われている千家の道場だ。十名以上の門人が組み手稽古をしている。武術家ではない町の青年達にしては悪くない腕の者ばかりだ。
清の父親である幣雨とも会ったが、決して凡手ではなさそうだった。筋肉達磨と言っていいような巨漢だったが、動きがしなやかで隙がない男である。なるほど、この男の門人達であればそれなりの腕を持っていよう。
中でも副団長である魏苑という男は出来る。清に気があるということだったが、確かにこれだけの腕ならば清に釣り合うかもしれぬ。
「どうですか?」
「うむ。悪くない。そなたの父上の指導はなかなかだな」
「ありがとうございます。ですが、昨日はラティアさんに手も足も出ませんでした」
昨日、私が投げ飛ばした背の高い男もそこにいる。錐啓多という名前だそうだ。
「率直に言えば、私とは功夫が違いすぎる。しかしそなた達は別に武術で生きていくわけではあるまい。これだけ遣えれば十分だ」
「あの、一つお願いがあるのですが」
「なんだ」
「私に一手御指南願えませんか」
ふむ。
「だが私はそなた達とは流派が違う。組み手稽古にはなるまい」
「わかっています。ですが、自分の力を知っておきたいのです。お願いします」
私は少し考えた。まだ
「いいだろう。私で良ければ」
「お願いします!みんな、申し訳ないのですが私とラティアさんで組み手をしたいので、場所を空けてくれませんか」
「はっ」
門人達は組み手をすぐに止めると、さっと左右に分かれた。のみならず壁際に正座して私達の組み手を見学するつもりらしい。
「別に稽古を止める必要はないぞ」
「いえ!お嬢さんとラティアさんの稽古であればぜひ見学させてください。我らの稽古にもなりますから」
魏苑が真剣な顔で言った。この男、筋もいいが心根も悪くない。
ま、よい。
私は道場の中央に歩み出た。もちろん眼は清から片時も離さない。試合をする、と言った以上、背後から襲われたとしてもそれは卑怯ではない。油断した者が間抜けなだけだ。
だが清はそんな事をするつもりはなさそうだった。
互いに道場の中程に三米ほどの間隔で立つ。
「お願いします」
清が頭を下げた。
「ご指導願います」
私も頭を下げる。そして、自然体で肩の力を抜いた。
清は右手を前に軽く突き出し、左手をみぞおちの上に位置させる正当派の構えだ。
これは殺し合いではなく、試合であり、稽古だ。ならば客である私から手を出すのが礼儀。
「ふ」
私は一気に間合いを詰めた。呼吸一つする間に半米の距離まで詰める。
左の上段。もちろん本気の突きではないが、特に手を抜いたわけでもない突きを、清はかわした。受けはしない。この程度の突きをいちいち受けていては体勢を崩すだけだ。
左の突きを引くと同時に右手で清の右手首を押さえる。くるりと返した掌で清の右拳をくるみ、引く。
もしここで清が空いている左で攻撃してくれば終わりだ。八位掌の『虎岩掌』に嵌める事ができる。だが清はなかなかの功夫だった。
私の引く勢いに逆らわず、さらにそれを利用して右の肘が来る。十分に体重の乗ったその肘を受ければ、例え私が大男でも心臓を強打されて息が止まる。清は本気だった。
だが。
左の足親指を軸に、私はわずかに翻身した。ほんの数厘で電光のような肘撃ちを避け、左の掌で流す。同時に右腕を伸ばしつつ、右掌を清の喉元に添えた。その瞬間には右足首を清の右足に掛けている。
「キャアッ!」
ずいぶんと女の子らしい悲鳴を上げて清が吹っ飛んだ。体重をのせた肘撃ちの勢いをそのまま流されて自分の回転運動に変えられたのだから抵抗する事もできない。清は腕を極められ、受け身も取れないままに頭から道場の床に叩き付けられた。
パタン!
軽い音とともに清が横倒しになる。音が小さいのは寸前に私が清の後頭部を左手で守ったからだ。実戦ならば違うが、試合ならば怪我などさせてはならん。
「失礼した」
私はペタン、と座り込んでいる清から距離を取る。清は「うわー……」と小声で呟くと首をふって、それから立ち上がった。
「とても良いご指導をいただきました。ありがとうございます」
頭を下げる。
「いやこちらこそ。そなたは良い腕だ」
パチパチパチ……!
拍手がわいた。
「見事な試合でした!」
魏苑がひときわ熱のこもった拍手をしている。
「いやー、こりゃ俺も子供扱いされるわー」
錐啓多も目を丸くしてそれでも熱心に拍手してくれている。その他の門人達もまるで私を高名な武術家であるかのように見つめていた。
「そのへんにしときな」
氷のような声がその場の雰囲気を凍らせた。
「くだらねえ。子供だましのお遊戯で和みやがって。これだから腐れた町の道場は嫌なんだ」
「何者かっ!」
魏苑が眉を怒らせて道場の戸口を振り返った。そこに立っていたのはもちろん。
「でもまあ木偶の坊でも数がいれば少しは楽しめるか。看板、もらっていくぜ」
顔の左側に炎の入れ墨。どこで手に入れたのか
「貴様、道場破りか」
「そう言っただろ?一度じゃ理解できねえのか、田舎者」
「テメエ……」
うわー……実はこやつ、これが地なのではないか?やたらと堂に入っているのだが。
「かかってこい、雑魚。そこの女二人は俺が面倒みてやるから、さっさと俺にやられてさっさと死ね」
「たわけがぁっっ!」
錐啓多が壁に立てかけていた棒を取ると、凄まじい勢いで踏み込んだ。長身からのなんの手加減もない打ち込みが
「ぐ」
ほとんど声も立てず、錐啓多がくずおれる。完全に気を失っていた。
「覚悟っ!」
叫びながら次々に門人達が木刀や棒を持って
「馬鹿が」
カカッカカン!
数度、堅い木が撃ち合う音が響く。なにか大型の肉食獣のような動きで襲い来る門人達の間をすり抜ける
私は背筋をなにか熱いものが走り抜けるのを感じていた。
それに……
最後の魏苑が倒れるまでに、わずかに十を数えるほどであった。
「清。私が戦う。そなたは逃げよ」
「……そういうわけには参りません。私は、千家の娘です」
「わかった。しかしまず私が行く」
半分芝居、半分本気だ。私はこの男と戦いたい、という気持ちが溢れるのを止められない。ここは私が負けなくてはいけないのだが、そんな事は無視して全力で戦いたいと思ってしまう。
「無礼者。私が相手だ」
私は長さ四十厘ほどの短い棒を持つと、一歩踏み出した。
「なんだ、戦えるのか、小娘。さきほどは何やら遊戯のような立ち回りをしていたようだが」
「黙れ。かかってこい」
駄目。とても勝てません……。
私は膝の震えを押さえるのに懸命でした。だって、いきなり押し入ってきた剣士は、信じられないような化け物だったのです。
門人達が、あっという間に全員倒されました。それも軽々と。その男が手加減をしているのは明らかだったのに……あまりに腕が違いすぎて、勝負にもなっていません。
なにか無礼な事を言っているようですけど、私にはその言葉を理解するような余裕もありませんでした。
「黙れ。かかってこい」
ラティアさんが短木刀を手に私を守るように男の前に立ちふさがります。さっき、私をまるで子供のようにあしらった少女ですけど……それでも、あの男に勝てるとは思えません。
「参る」
声と同時に、ラティアさんの姿がぶれました。眼がついて行きません。
さっきの試合とは比べものになりませんでした。まさに神速としか言いようのない速度でラティアさんが五米の距離を一瞬で零にします。道場破りの一米はありそうな長木刀が用をなさない間合い。
無駄な声も吐息もありません。ただ電光のようにラティアさんの持つ短木刀が道場破りの胸に突き立ちます。
道場破りはその突きを、身体をわずかに回す事で躱しました。その運動を微塵の無駄もなく間合いを取る動きに変えて。同時に下から跳ね上がる剣。
カン!
ラティアさんが短木刀でその剣を受けました。そのまま短木刀で道場破りの木刀を滑らせるように押さえながら間合いを詰めます。
まるでなにかの舞を見ているようでした。閃光のような交錯、一呼吸する間に生死が入れ替わる凄絶な応酬は私が知っている武術とはまったく次元が違うものです。
これが、本物。
ゾクリと背筋が震えます。今まで私がやってきた事などこの戦いに比べれば確かに児戯に等しい。その意味であの道場破りが言った事は正しいのです。
その後の一瞬の攻防は私にはよくわかりませんでした。ですが後でラティアさんに聞いたところによると次のようなものだったそうです。
まずラティアさんが右手の短木刀で道場破りの木刀を押さえつつ、道場破りの懐に入り込みました。間合いに入った瞬間、左手で道場破りの右手首を押さえて刀を封じ、短木刀を顔面に突きこんだのです。ところが道場破りはその突きを首を振るだけで躱しました。そしてなんと足の指の力だけで半米も後ろに下がったのです。
「体を引く」とラティアさんは言っていました。構えも足の位置も一切変えず、主に足親指の力だけで体の位置を変化させる技だそうです。そして道場破りは右手をラティアさんの左掌に押さえさせたまま左手一本で木刀を持ち、思い切り左後方に引きました。つまりこの時点で道場破りの木刀は完全に自由になったわけです。対してラティアさんの左手は道場破りの右手を押さえており、右手は短木刀を持って突きの為に伸ばしきった状態……。
ここで勝負は決しました。
「ウッ……!」
突き出された木刀にみぞおちを強打されてラティアさんが膝をつきます。彼女はそれでも立ち上がろうとして……横倒しに倒れました。
「まあまあだったな。後はお前だけか」
道場破りがこちらに歩いてきます。私は震える手で棒を握ると構えを取ろうとしました。十人近い門人達をまるで相手にせず、あのラティアさんですら敵わない相手です。私程度がどう戦っても勝てるはずがありません。
「さて……アンタはこの道場の人間か?」
「……はい。千家道場の師範代を務めている当主の娘です」
「なら木刀というのは失礼かなぁ」
道場破りはそう言うと木刀を投げ捨て……そしてなんと腰の刀を抜き放ちました。
おっそろしい。ラティアめ、半分本気でかかってきやがって。
正直、あの顔面への突きは危なかった。躱せたからいいようなものの、当たったら大怪我してるぞ。おかげでこちらも一瞬本気になってしまった。もちろんラティアのみぞおちへの一撃は寸止めしている。ラティアも芝居に付き合って倒れてくれたからいいが……。
俺は足下にわざとらしく倒れたラティアにちらり、と目をやり、その後、道場の奥の方に立ちすくむ
もちろん彼女に勝ち目はない。彼女も門人達もそれなりの腕だが、本職の
そして俺は真剣を抜いた。
これは最後の脅しだ。
「アンタも抜きな。お互い武術家だ、本気で殺りあおうじゃねえか」
俺はせいぜい悪く見えるような台詞を投げると刀を振り上げた。
「あ……」
小さく震えながらも
俺はあまり隙を見せて闇雲に打ちかかられる事がないように威圧しながら間合いを詰めた。いよいよあと二歩で打ち合いの間合いに入ろうかというその時。
「待てぇぇっっ!」
若い男の叫びが響いた。ドタドタとこちらへ走ってくる。そしてその男は俺と
「待て、待ってくれ!」
手を広げ、何も持たずに
「あなたが強いのはわかりました!看板でもお金でも差し上げますからこの人だけは助けてください!」
俺は黙って刀を突き出した。
「どけ。邪魔をするとアンタから斬るぞ」
「そ、それで清を助けてくれるなら、どうぞっ!」
「……なんでその女をかばう。アンタはその女の恋人か」
「僕は、清の友人です!」
「友人をかばって死ぬのか。わからんな。馬鹿な事だぞ」
「馬鹿でも構いません!僕は清が好きなんだ、好きな女をかばってどこが悪い!」
「
「ごめん、清。僕は弱くて、このくらいしか出来ない。ごめん」
涙を流し、震えながらも
「じゃあアンタから死ぬんだな」
俺はまた刀を振り上げた。
「……駄目!」
「清、下がって!」「嫌よ、
「面倒だ、二人まとめて」
「よーし、それまでっ!」
これまた大声が道場に響き渡った。
道場の奥へと続く扉を開いて現れたのは丸々とした体つきの年頃は四十過ぎくらいの男の人でした。太っているわけではなく、はち切れそうな筋肉が体中を鎧っています。
「そこまででいいだろ、
あっさりと正体をばらされて苦笑しながら
「え?え?」「なんなの?」
「まったく我が娘ながら修行が足りんなあ」
男の人はニヤニヤと笑いながら道場に入ってきました。
「その入れ墨、切っ先諸刃の刀、そしてその剣力。これだけ揃えばその御仁の名前くらいわからにゃあならんぞ」
男の人は
「始めまして、
「いや……謝らねばならんのはこちらです。お節介で大変なご迷惑をおかけしました」
「こら
「……というわけでこちらにも色々と事情がありまして」
「わはは、お互い逆らえない人というのはいますなあ」
あっはっは、と笑いあう二人。ラティアさんはなんだかプンプンと怒っている。
「……あ、あの」
「どういう……ことですか?」
無理もありません。道場に入った後の
「ワシから言うよりもラティアさんに解説してもらう方がいいじゃろう。お願いしますぞ」
「うむ」
ラティアさんは腕を組みました。
「まあ言ってしまえば今のはすべて芝居である。この男は
「聞けばそなた達、互いに想いあっておるのにはっきりせず、それがために二つの町の青年団が衝突する事になっているというではないか。そのような状況を見てなにもせぬというのは私の許せる事ではない。それで少々手出しをさせてもらったと言うわけだ」
「ちなみに俺はやりすぎだと思うんだがな」
「どうだ、清。これでも
「い、いいえ。
「幣雨殿。
「いいえ。というよりも、ワシは前から
一瞬、みんなが口をぽかん、と開けました。たっぷり一寸ほども沈黙が続き、そして清さんが我に返ると大声を上げました。
「え、ええっ!?父上、それはどういう事ですかっ!?」
「どういう事というと?」
幣雨さんは「はて」と首をかしげています。
「だ、だって、
「ワシは
「……え、えと……その……」
「ありません……でした」
と小さな声で呟きました。
「ワシは
「おじさん、そうあけすけに言われても」
「なあ
幣雨さんは
「こんな不器用で馬鹿な娘だが、お前は今、命を捨てて守ろうとしてくれたなあ。なかなか出来る事じゃない。だからお前も剣が使えるとか使えないとかいうくだらん事で遠慮するな。言いたい事があればちゃんと言え。そうしたら案外望みは叶ったりするものだぞ」
「……はい!」
「清」
「は、はい」
何を言われるのかわかったのか、
「僕は君が好きだ。知っての通り、僕は刀なんか扱えない。家業だってまだまだ中途半端だ。だけど僕を選んでほしい。ずっと前からそう言いたかったんだ」
「
「私も、ずっと好きだったわ。ごめんなさい、素直になれなかったの。ごめんなさい」
二人はしばらく道場の床に座り込んだまま、抱き合っていました。
人の山田様が見てる
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