第七段 陰謀と和解

丁峰[チンフェン]

「どうにも糸口が見つからないね」

 私はついさっき帰還した調査員から聞き取った話をまとめながらこぼした。

「やはり三人に共通の敵……というかここまでする必要のある人間はいないよ。もしかしたら一人が目的であとの二人はその狙いを隠す為ってことかもしれないけどね」

「その可能性はありますが、考えにくいことです」

 第三調査室付き参謀の一人である曜明が顔を上げた。艶やかな黒髪がさらりと流れ、私は昨夜のことを思い出して胸が高鳴るのをなんとか抑える。彼女は私の部下の一人であり、まあ……なんというか、男の女のつきあいという関係にもあるわけだ。

 それにしてももう三十を過ぎるというのに二十歳くらいにしか見えないというのはどういうことだろう。私にとっては今回の事件以上に謎なことだ。

「三人とも大物です。しかも護衛が多数おりました。単に陽動と言うだけで狙うには危険が大きすぎます」

 そう。この数日、稜曄[ロンファ]では大物が立て続けに三人殺されていた。総兵力一万四千人の第五軍を率いる関雷将軍の経譚殿を手始めに、次の日には馬旋司川、そしてさらに次の日にティーレイ外事次官だ。それもただ殺されただけではない。自宅にいる時に攻め込まれ、護衛、使用人、そして家族に至るまで全員が皆殺しになっているのだ。判明しているだけで死者は五十八人、うち女性が十二名、子供が三名。その残虐さは場数を踏んだ特務警察の者ですら蒼白になるほどだったという。

 そして恐るべきはその襲撃者の腕だ。時に腕利きの護衛が十人以上もいる屋敷に踏み込み、殺戮の限りを尽くしたその刺客はなんとただ一人であった、と報告が入っている。遺体の斬り口や被害者の数名が死ぬ前になんとか残した証言からもそれは間違いなさそうだった。

 おかげで珀皙[ハクシ]殿の最後を報告する為に皇都にやってきた私はそのまま足止めされ、この事件の捜査応援をしなくてはならない状態だ。確かにこのような異常事態が起きたとなれば、棉家の姫一人を追いかけているような場合ではなかった。

「ですが、調べれば調べるほどわからなくなります。関雷将軍は有能な軍人でしたが野心はあまりない方でしたから、政敵と呼べるほどの人はいなかったようです。部下達もよく掌握されており、副将との間に暗闘があったなどという話もまったく伝わってきません」

「馬旋殿は反対に心当たりはありまくるね。あの方は辣腕で知られた方だが、同時に政敵をえげつないやり方で葬る事にも定評があったからね、恨みを買っていても不思議じゃない」

「ですが馬旋殿に恨みを持つ方々は今や殺し屋を雇う財産もなく、あるいは地方に飛ばされてそれどころではない状態です。馬旋殿は復讐を受ける事のないよう、それは用心深く振る舞われていたようです」

「ティーレイ殿を狙うとすればブロノアの刺客ということになるけどね」

 あの方は六年前にブロノアから亡命されてきた。あちらでもなかなかの地位についておられたらしいが、その人柄と能力で燎帝[リアンティ]に信頼された事でもわかるとおり、人に恨みを受けるような方ではなかった。だがブロノアにしてみれば不愉快な人物である事は間違いない。

「だからといってここまで大事にするようなこともないでしょう」

「そうだね。単に帰りがけを刺せばすむことだ。こんな馬鹿げた騒ぎにする必要はないし、したくもあるまい。それに今さらブロノアが刺客を送り込んでくるのは不自然だ」

「結局あの方々を殺して得をする人間というのはあまりいないということですよね。共通する敵もいない、三人がそろって入会していた結社があるわけでもない。むしろお互い会った事もほとんどないような方々です」

「まったく困った話だよ……おかげで私達は人手不足どころの話ではなくなった」

「ですがこれが我々のお仕事ですわ。頑張りましょう」

 にっこりと曜明が笑うと私の茶碗に赤湯を注いでくれた。そしてそっと手を握ってくる。私もその手を握りかえした。

 とんとん

 扉を叩く音がする。曜明はちょっとだけ残念そうな眼をすると、するりと私の指をほどいて元の席に戻った。

「どうぞ」

 また新しい報告が届いたらしい。

菊花[チーファ]

 兄様とラティアの間が軋んでいるわね。正確にはラティアが兄様を避けているというべきかしら。私にとってはむしろ歓迎すべき状況なんだけど、少しでも対応を間違えれば商隊全員が断罪されるというような現状では困りものよ。私達は[リャン]に保護されているといっても間違いのない立場なんだから、その隊長から嫌われているというのは命に関わると言っても過言ではないわ。

「いや、その通りだ。すまん」

 兄様が頭を下げてる。けれど私に頭を下げられても問題の解決にはならないわ。

「頭を下げねばならんのはこちらだよ」

 一番組隊長の椅薙さんが微笑んでくれる。昨日から一番組の馬車である『辺流』に居場所を移している私達になぜかずいぶんと好意的だ。

「俺だって姫様の目の前じゃなけりゃ同じ事をしたからね。剣士なら当然の事さ」

「ならばラティアに兄様と和解するように言ってやって下さい」

「それは無理」

 椅薙さんは私に片手拝みのような手つきをした。

「どうしてですか。[リャン]の姫様には逆らえないってことですか」

 わざと怒らせるような言い方をしたんだけど、椅薙さんはさすがにそんな事はお見通しだったみたい。伊達に[リャン]武装商隊最強の戦闘部隊、一番組を率いているわけじゃないのね。

「姫様が間違っていれば言うべき事は言うし、場合によっては剣を持って言う事を聞かせるよ。でも今回の件に関しては姫様の考えにも意味はあるしね。俺としても間違っている、とまで言う気はない。だから、無理」

「どうしてだ」

 兄様が椅薙さんを見た。

「あの子供達の命を助けただけじゃない。襲ってきた奴らの手当をして路銀を渡し、さらに護衛までつけてやるとはどういう事だ」

 そう。あの盗賊達に死人は出なかった。ラティアの命令に[リャン]の隊員達は律儀に従い、悪くても手を折る程度で制圧してしまったの。それを聞いて私も唖然としたわ。そんな馬鹿げた戦い方をするなんて。一歩間違えれば数の少ないこちらが一方的に殺戮される事になったのに。

 だけど事情がわかってその命令にも意味はあったことは理解出来たわ。あの盗賊達は結局の所、農地も食料も失った農民達に過ぎなかった。制圧後に数えたら十五歳以上の男性が百十二名、ただし上は七十すぎたお爺さんまでいたわね。それに女の人が二十一名、子供が六人。女の人が少ないのは身売りをしたから。子供が少ないのは体力のない子供から先に飢えで死んだから。つまり彼らは万策尽きて破れかぶれで商隊に襲撃を掛けてきたってわけ。

 あの後、ラティアはその人達を手当てして、なんと[シャオ]の街に行くように指示をしたわ。そして路銀をかなり渡し、隊員二名を道案内と統率の為に彼らにつけたの。もちろんその二人だけでは足りないから、途中で保刃[バオレン]を雇う為のお金まで渡していたわね。正直、かなりの大金よ。

「偽善にもほどがあると思ってるだろう。でも違うんだよ」

「なにが違う」

「あれは我らにも利がある事なのさ」

 椅薙さんは微笑んだ。

「彼らが大人しく[シャオ]まで行くかどうかはわからない。途中で裏切って二人を殺し、金を奪ってどこかに逃げるかもしれない」

「それが普通だ」

「だけどもし彼らが姫様の言うとおり[シャオ]に行くことになれば、彼らは[リャン]に忠誠を誓う良民になるだろうね。なにしろ一族、仲間の命を救ってくれたんだ」

「そんな事の為に大金と隊員の命を賭けるのか」

「むしろそのために賭けなくて何に賭けるんだい?」

 椅薙さんは兄様に人差し指を立てた。

「成功すれば百名以上の良民が得られるし、何よりもあの二人が得難い経験を積める」

「経験ですか?」

「彼らは三番、四番隊の副隊長さ。商隊員としての能力に問題はないけど、ここから[シャオ]までたった二人で百名以上の流民を連れて行くなどという難しい任務はこなしたことがない。でもそれが出来るような男であれば今後、単なる隊員以上の役目を任せられるようになるだろうね」

 なるほど……。幹部養成の絶好の機会でもあるというわけね。

「ラティアはそこまで考えていたのかしら」

「それはないと思う」

 椅薙さんは笑って否定した。

「姫様は本当にあの者達を哀れに思っただけだろうね。戦いとなれば怯えたり手加減をしたりする人じゃないけど、妙に情に厚いところがあってね。聳庚[ソンゲン]様のお血筋だなあ」

「だが俺には受け入れがたい」

 兄様は憮然とした表情で窓の外を眺めている。

「そんな甘い隊長の元で戦うなど、正気の沙汰じゃない」

「そうね。現に棉紗[ミアンシャ]を助ける為に商隊を抜け出したんでしょう?よく椅薙さん達はそれを許してるわね」

「俺達はそのくらいで死ぬほど弱くないからね」

 椅薙さんは私を見て、軽く片眼をつぶった。もういい年なのにそういう仕草が似合う人ね。若い頃はずいぶんと女関係でまわりを騒がせたんじゃないかしら。

聳庚[ソンゲン]様に比べれば姫様はずいぶんと常識的だし、隊員のほうこそ滅茶苦茶な奴が多いんだ。隊長が逃げ出したり人助けしたりするくらいどうということはないよ」

 はあ……。

 私と兄様は思わず椅薙さんの顔をしげしげと眺めた。

[リャン]武装商隊ってもっと厳格な規律正しい商隊かと思ってたわ」

「俺もだ」

猷示[ユウシ]、君は俺達が貧しい[シャオ]の街を養う為に必死に大陸を渡っているとか思ってないか」

「違うのか」

「違う、とまでは言わないが。でもそれだけじゃない」

 椅薙さんは馬車の壁にもたれかかると他の隊員を見た。みんな私達を見てる。それは決して敵意や隔意ではなく、椅薙さんと同じ親愛の情を込めた視線だ。

 椅薙さんは「うん」と頷いた。

「俺達は[リャン]武装商隊として大陸を旅する事が楽しいんだ。[シャオ]の街とか商隊の稼ぎなんてはっきり言ってあまり興味はない」

「そんな事が許されるのか」

「俺の親父達の代までは隣町に行く事すらせずに死ぬのが普通だった。外の世界なんて知らなかったし、一生畑を耕して、兎を狩って、年頃になったら親の言うとおりに夫婦になって子供を作ってあとは死ぬだけだ。そんな生活が当たり前だったんだ。けどな、今は違う。聳庚[ソンゲン]様は何も知らなかった俺達に色々な事を教えてくれた。武術、書物、そして自由な考え方って奴だ。俺達は自分で考え、自分で決める事が出来るようになったんだ。これほど幸せな事はないと俺は思う」

 その通りだわ。私達も十年掛けてそれを学んだ。

「今じゃ別に商隊を組んで命がけで大陸を回らなくたって、[シャオ]の街で畑を耕していれば生きてはいける。それでも商隊はなくならないし、商隊員になれるのは五十人に一人だ。なんでだと思う」

「外の世界を見たいからか。楽しいからか」

「そうだよ」

 椅薙さんは笑った。兄様も笑う。そうね、私にもわかったわ。この人達は「やりたいから」商隊をやってるのね。頼まれて、命じられてやってるわけじゃない。生きるのも死ぬのも自分の責任だと思ってる。だから「許される」必要はないのね。

 椅薙さんだって商隊の稼ぎが悪くていいとは思っていないだろうし、実際の所は[シャオ]の街には商隊の稼ぎが必要なんだと思う。だけどこの人達の一番大切な事はそう言う事じゃないのね。

「だからな、[リャン]武装商隊っていうのは相当に自分勝手でやりたい放題したいっていう人間の集まりなんだよ。一応役職とか規律とかはあるけど、いざとなったらそんな事知った事かっていう奴ばっかりなんだぜ」

「いやいや俺達は隊長についていきますぜ。多分」

「その多分、が怪しいんだよ。張明、お前も去年一度脱走した口じゃねえか」

「ありゃあ人生の転機ってやつでしてね。どうしようもなかったんで」

「何が転機だ。商隊の金持ち出して博打打ちに行っただけじゃねえか」

「十倍にして返しましたぜ。聳庚[ソンゲン]様も喜んでおられた。いや、いい事をしたもんだ」

 わはははっ、とみんな笑ってる。私と兄様は唖然とするばかりだわ。

衝武[ヘンウー]殿はともかく、こういうとんでもない隊員は多いんだ。実は俺もな、若い時に女を助ける為に商隊を売り飛ばそうとしたことがある」

「……なんて事を」

 珍しい。兄様が絶句してる。

「さすがにその時は殺されるのは覚悟してたけどな。でも聳庚[ソンゲン]様は俺を殺すかわりに商隊の全力を持って俺とその女を救ってくれたわけだ。この恩は一生もんだよな」

 あっはっは、と椅薙さんが兄様の肩を叩く。兄様は何回か肩を叩かれてやっと声が出るようになったみたい。さすがにびっくりするわよね。

「つまり……[リャン]にとって見ればラティアのやる事など大したことはないってことか」

「そう言う事」

「……なんだか苛ついているのが馬鹿馬鹿しくなってきたな」

 兄様が笑った。

「らしくなかったな。俺はどうやら手前の考えを押しつけようとしすぎてたらしい」

「俺が猷示[ユウシ]を気に入ってるのはそれがあったからさ」

「どういう事だ」

猷示[ユウシ]の噂は聞いてる。腕は立つけど自分に関係ない事にはとことん無関心、冷血な奴だってな。だけどそんな猷示[ユウシ]が姫様には本気で怒ってくれたってことは、真剣に姫様と[リャン]の事を考えてくれたからだろう」

 兄様が黙ってしまう。でも不愉快だからとかじゃないわ。図星だからね。

猷示[ユウシ]の事はまだよく知ってるわけじゃないけどな、俺にとってはその一事で充分だ。皇都まで姫様をよろしく頼むよ」

「努力する。そうだな、まずはラティアに謝ってくる」

「頼むよ」

 椅薙さんも笑った。よかった。少なくとも兄様の方はこれでわだかまりはなくなったかも。ラティアがそれを受け入れるかどうかはわからないけど、兄様の気が晴れただけでもかなりマシだわ。

 でも私にはもう一つ、気になっている事がある。

「ねえ、椅薙さん。その時の女の人はどうしたの?」

「出発前に結婚十五年を祝ったよ。もちろん、俺との、な」

棉紗[ミアンシャ]

 一昨日からラティアさんは機嫌が悪いです。あの雨の日までは明るすぎるくらいだったのですけど、今はむすっとしてあまりお話もしてくれません。

 原因はわかっています。猷示[ユウシ]さんと喧嘩をしたからです。私はラティアさんのおやりになった事は素晴らしい事だと思います。餓死寸前だったあの方々を殺さず、それどころか今後も安心して生きていく事が出来るように[シャオ]の村に受け入れる……これ以上良い判断はありません。あの方々も涙を流して喜んでおられました。

 ですが、猷示[ユウシ]さんはそれを非難されました。そう聞いています。翌日、ラティアさんを気遣って医馬車に移動した私の所にきた壬諷様が、何が起きたのかを話して下さいました。いつもどんな事でも冗談のように話す壬諷様が、珍しく言葉を選んでおられました。

「では壬諷様はどちらが正しいと思われるのですか?」

 私の問いに壬諷様は「どちらも、さ」と答えられました。

「それでは答えになりません」

「助けられるのなら助けるべきだ。例えば今回みたいな時はな。俺達にはその力がある。でもそれは同時に『助けられない者は見捨てる』ってことでもあるわけだ。例えば」

 壬諷様は外を指さされました。

「今だって世界のあちこちで同じような事は起きてる。盗賊だってなりたくてなったわけじゃない、あの連中みたいに食うに困ったから手っ取り早く他人様から奪う事にしただけだ。別に珍しい事じゃないよな」

「そう……ですね」

「今回は姫様の命令があったから俺達も殺さなかったけど、普通なら連中は皆殺しだよな。何しろ先に剣を持って襲ってきたのは奴らなんだし。で、生き残ってる奴がいれば良くて見殺し、悪けりゃ売り飛ばす」

「そんな。あの人達だって仕方なく」

「仕方なければ人を襲っていいのか?」

 私は返す言葉を持ちませんでした。確かに……そのとおりなのです。あの時、あの難民の方々が襲ったのは私達でした。それは双方にとってまだしも幸運な事でしたけど、あの時襲われたのがもっと力のない小さな商隊だったらどうなったでしょう。あの難民の方々はその商隊の人々を皆殺しにして全て奪ったのではないでしょうか。

「もし目の前でそんな現場を見たら、棉紗[ミアンシャ]はどう思う。追いつめられていたのだから仕方がない、そう思うか?難民に袋だたきにあって死にかけている保刃[バオレン]にそう言って許してやるように言えるか?」

「……無理、です」

「だよな。結局今回の事はたまたま、とても幸運だったというだけのことだ。猷示[ユウシ]が噂通り優秀な保刃[バオレン]だとすれば、そんな無茶苦茶な事が許せるはずがない」

「でも[リャン]って無茶苦茶な商隊ですよね」

 臨樹様が本をパタリ、と閉じられました。先ほどから私達の話が気になっておられたようです。

「みんな自分勝手でいつも好きな事ばっかりしてて。いざという時にはまとまるけど、普段はあの有様でしょ。猷示[ユウシ]さんがしっかりした人だというのはわかりますけど、あの人の理屈って[リャン]には通用しないんじゃないですか?」

「それが問題なんだよなあ」

 壬諷様は首をひねられました。

「うちにいる保刃[バオレン]の連中も最初はずいぶんと戸惑ってたもんなあ。党允なんてまだ時々文句を言ってるだろう」

「僕は党允さんの言う事はもっともな事ばかりだと思いますけどね」

「しかし奴も姫様が言えば従うよな。ありゃあ姫様に惚れてるぜ」

「と、党允さんは三十過ぎてますよ?姫様とじゃいくらなんでも」

「いやいや歳なんか関係ないね。姫様はそりゃあ魅力的だからな、男なら誰だって気になるさ」

 そう言われる壬諷様はどうなのでしょうか。

「俺はほら、蓮がいるからさ。姫様から告白されたとしてもちょっとなあ」

「えと、党允さんのことはいいとして。猷示[ユウシ]さんのことはどうします?」

猷示[ユウシ]が姫様に惚れてくれれば解決するんじゃねえか?」

 とんでもないことを言い出されました。

「俺の見たところ猷示[ユウシ]は見かけだけで女に惚れるほど軽い男じゃなさそうだけどな」

 壬諷様は真面目な眼で続けられました。

「姫様はあれで結構人見知りされる方だ。その姫様が猷示[ユウシ]に対してはずいぶんとうち解けておられたように見える。猷示[ユウシ]だって姫様の事を嫌ってるようには思えないしな、どうだ」

「そうですわね……」

 私は短い逃避行の間のことを思い出してみました。言われてみればラティアさんは最初から

猷示[ユウシ]様の事をずいぶんと信じておられました。言葉にこそされませんでしたけど、猷示[ユウシ]様の事をただの保刃[バオレン]に過ぎないとは思っておられない、ということは私にもよくわかりましたわ。

 猷示[ユウシ]様は……よくわかりません。かなりしっかりした方だとは感じましたけれど、ラティアさんの事はどう思われているのでしょうか。

「ま、半分冗談だけどな。なにしろ猷示[ユウシ]は皇都までの臨時雇いの保刃[バオレン]だ。姫様と必要以上に仲良くなられてもこちらも困る」

「はあ」

 いったいどちらなのでしょうか。

「とにかく姫様はご自分ではなんと言われようと、猷示[ユウシ]にきつく言われた事が堪えてるのさ。どうでもいい奴に言われたってなんてことはないだろうけど、姫様は猷示[ユウシ]を評価してる。惚れた腫れたの話じゃなくたって猷示[ユウシ]は確かに超一流の保刃[バオレン]だ、そいつに面と向かって正論で責められりゃ真面目な姫様にはそのまま流すってわけにゃあいくまいよ」

「つまりだ」

 今まで黙って私達の話を聞いておられた臨洞様が重々しい声で壬諷様の話を遮られました。

「わしらには黙って見守るしかできんということだ」

「そう言う事ですかね」

「ああ」

 臨洞様は太い腕を組んでずっしりと頷かれました。

「結局は二人の問題だからな。まあ若い者のことは見ているしかないものだ。そのうち収まるべきところに収まる。外から嘴を突っ込んでもろくな事にならんのだよ」

衝武[ヘンウー]

「武、閃兄。相談がある」

 やっと姫様がそうおっしゃって下さった。一昨日の夜からそうおっしゃって下さるのを待っており申したが、ようやくでござる。鉄盾[ティエジュン]殿、妹御は『辺流』に移られ、棉紗[ミアンシャ]殿は『値可』に行ってしまわれた。ここ、『西吾』にいるのは姫様と不肖、閃殿だけである。

鉄盾[ティエジュン]殿のことでござりますか」

「ああ」

 姫様は憮然とした表情で頷かれた。

「事情はわかっているな。昨日も今日も色々と考えておったのだが、やはり私は間違っていたろうか」

 これは驚いた。不肖はてっきり「猷示[ユウシ]の言う事は非情に過ぎる!」などと考えておられるのかと思っておったが、姫様はしっかりと成長なされてござる。

「私は今でもあの者達を[シャオ]に向かわせたのは悪くはないと思っておる。確かに偽善かもしれぬが、それでも何もしないよりはマシだと思う」

「不肖も同意見でございますぞ。あそこで見殺しにするのは義に反します」

「甘いと言われればそれまでですけどね。爺様でもそうしたでしょう」

 姫様は少し顔をほころばせ、じゃがすぐに眉をしかめられた。

「だが、私の命令が商隊の皆に対して酷なものではなかったかとは思っておる」

「と申されますと」

「殺すな、と命令したであろう。よく考えるとあの状況でその命令は危険すぎるものではなかったかと思うのだ」

「確かにその通りでござる。あの者達は武術もなにも知らぬ農民でありましたゆえ、結果としてさほど苦労はいたしませなんだが」

「ですがもし手練が何人かいた場合、こちらにも手負いや死人が出た可能性は充分にありますね」

「やはり、そうか」

 姫様がますます肩を落とされた。

「ではありますが、姫様」

 不肖は胸を張った。

「その程度の事で姫様が気にされる事はありませんぞ。不肖や部下達も功夫を積んでおり申す。少々危険な命令もなにするものでもござりません」

「それにラティは『なるべく』殺すな、と言ったでしょう。[リャン]の隊員達は敵が手強ければそれなりの対処はします。だからラティの命令は妥当なものだったんです」

 じゃが姫様の本当に相談したい事はその事ではあるまい。

「……そうだ」

 姫様は鉄盾[ティエジュン]殿と二人で本隊からはぐれた際、子供達の襲撃を受けたという。鉄盾[ティエジュン]殿は姫様を護る為に敵が子供と知りつつも斬ろうとし、そして姫様はとっさにそれを止めようと、なんと隠剣を鉄盾[ティエジュン]殿に投げたというのだ。

「これに関しては確かに言い訳のしようもござらぬ」

 どうしようもない。殺す気も傷つける気もなく、ただ動きを止めようと言うだけの投擲だったと姫様はおっしゃるし、事実その通りであろう。鉄盾[ティエジュン]殿にもそれはわかっておられる。だからこそ振り向きざまに斬られても仕方のない事を姫様がされた後も、保刃[バオレン]としてここにおられるのだ。

「だけどラティのやった事は本来なら許される事はないですね」

 閃様が腕を組まれた。

鉄盾[ティエジュン]はラティに謝罪をしたのでしょう。ですがこれでは反対です。謝罪をすべきはラティ、君であって彼ではありませんよ」

「わかっておる」

 姫様は口をとがらせられた。こういうところはまだまだ子供っぽい。

「私とて非常の事とはいえ、悪い事をしたとは思っておる。だがあの者は私の考えを認めてはおらぬのだ。そのような者に素直に謝罪をするのは難しい」

「一つ聞いてよろしいですか」

 不肖は同時にその事に気づかれたらしい閃様に代わって姫様に問う事にした。

「なんだ」

「なぜ、姫様は鉄盾[ティエジュン]殿にそこまで求められるのですか」

「……そこまで、とはどういう事だ」

 姫様は予想もしない事を聞かれた、と言いたげに不肖の顔を見上げられた。なるほど、これは本当にわかられておられないのじゃな。

鉄盾[ティエジュン]殿は確かに姫様の命の恩人ではありますが、所詮は保刃[バオレン]です。それも商隊が雇ったわけでもなく、現在の立場は単なる預かりにすぎませぬ。その彼が内心でなにを思おうと、姫様にも[リャン]にも関係はござりませんぞ。であれば姫様はとっさの事で彼に隠剣を投げたことに対して謝罪する必要こそござりますが、ご自分の判断を彼に納得してもらう必要などござりません。彼はただ姫様の決断に従う義務があるだけでござる」

「そ、それはそうだが……」

 それが本来の衛要[ウェイヤオ]保刃[バオレン]の関係でござる。じゃが姫様がここまで悩まれるという事は、姫様は鉄盾[ティエジュン]殿をそのような通り一遍の関係だとは思っておられない、と言う事でござろう。それがすぐさま色恋沙汰に結びつくと思うほど不肖は若くはござらぬが、なんの関係もないと思うほど無粋なわけでもござらぬ。

 おそらくは共に強敵と戦う事で……また鉄盾[ティエジュン]殿の非凡な剣力を知られた事で、不肖達にはわからぬ絆のようなものを得られたのかもしれぬ。それは悪い事ではござらぬな。

「詳しくは知りませんが」

 閃殿が面白くなさそうな顔をされつつも話だされた。妹君である姫様を溺愛なされておられる閃殿にとって、姫様がここまで悩まれるほどに姫様の中で存在感を増しておられる鉄盾[ティエジュン]殿は不愉快な存在ではあろう。じゃが閃殿はだからといって鉄盾[ティエジュン]殿を誹謗するほど器の小さい方ではござらぬ。

鉄盾[ティエジュン]が一度だけ、仕事を失敗したという話を聞いた事があります。その時彼は子供の暗殺者に情けをかけ、それが原因で衛要[ウェイヤオ]を殺されたと言う事でした。その事もあって今回は激しい反応をしたのかもしれませんね」

「……そうか」

 ありそうな事でござる。子供を暗殺者に仕立てるという外道の所行をする者は未だに多い。それはひとえに効果があるからでござる。なまなかな腕の者では太刀打ち出来ない剣豪であっても、七つか八つの少女が近づいてくれば気も緩もう。その少女の持つ花束に爆薬が仕掛けてあった事を見逃したとて誰がそれを責められよう。また保刃[バオレン]が油断をしなくとも、衛要[ウェイヤオ]が同じように用心するとは限らぬ。十ほどの少年が粗末な衣服で物乞いをすればつい懐の財布を取り出す事もある。その瞬間を短刀で刺されればそれで終わりじゃ。

鉄盾[ティエジュン]殿は厳しい事を言われますが、非情というわけではありますまい。むしろそのような事を警告して殊更に厳しい事を言われたのかもしれませぬ。いわば嫌われ役でござります」

「……私に、用心させる為か」

「それはわかりませんよ。単に自分の経験から必要以上に慎重になっているだけかもしれません。ですが、ラティや[リャン]に悪意を持って責めたのではないでしょうね」

「確かめねばならぬ」

 姫様は立ち上がられた。

猷示[ユウシ]が私の為に怒っておったとなれば、私はただ拗ねておっただけだ。それは恥だ、そうであろ」

「まことにその通りかと存じます」

「次の休憩の時に猷示[ユウシ]を呼んでくれ。その時、誰もここには近づけぬように」

「おおせのままに」

 不肖はやっとホッとして頷いた。閃殿はいよいよ不愉快そうではござったが……。

猷示[ユウシ]

 衝武[ヘンウー]さんから呼び出しを受け、俺はいささか憂鬱な気分で『西吾』に向かった。なんと言い訳をしようと、俺が衛要[ウェイヤオ]に剣を向けたのは事実だ。その前の事情がどうあれ、その一事を取ってみても報酬無しの馘首を言い渡されても文句は言えん。

猷示[ユウシ]だ」

 扉を叩くと、中からラティアの声がした。

「入るがよい」

 まあ今さらなにを繕うでもない。俺は遠慮なく馬車の中に入った。

 そこにはラティアしかいなかった。ふむ、ということは馘首の言い渡しではないのか。そう言う話であれば少なくとも衝武[ヘンウー]さんに閃さんはいるはずだ。

「座るが良いぞ」

「そうさせてもらうか」

 この馬車はかなり大きい。左右に五人がけの長椅子と中央に卓が固定されており、さらに馬車前方の御者席との間に頑丈な壁があり、左側には御者席への扉、そして右側には予定を書いておく黒板がかけてある。その扉と黒板に挟まれるように少し座り心地の良さそうな椅子が置いてあった。そこには今、ラティアが座っている。

 俺は腰から刀を外すと卓の上に置き、ラティアの右側の長椅子に座って足を組んだ。

「さて。話があると聞いたんだが」

「……そうだ。私は話術に乏しいので直接聞くが、良いか」

「言葉が巧みじゃないのはお互い様だ。好きなように話してくれ」

「まずは謝罪を」

 ラティアはおもむろに立ち上がると俺に頭を下げた。

「そなたに隠剣を投げたのはやむを得ぬ事情あっての事ではあるが、それでも言い訳の出来る事ではない。あらためて謝罪する」

 そのまま頭を下げ続けている。なにか言わないとこのまま石地蔵になりそうな風情だったので、俺はとにかく頭を上げさせた。

「謝罪は受け取った。その事に関しては俺は気にしていない。水に流そう」

「感謝する」

 ラティアはやっと頭を上げ、椅子に座りなおした。

「さきほど武達に相談したのだが、私がこの二日、割り切れない気持ちになっていた理由がわかったように思う。それを猷示[ユウシ]に説明したいのだが、その前に聞いて良いか」

「なんなりと聞いてくれ」

「そなた、あの子供達を斬らず、特務や白狼を斬る理由は何だと問うたであろ。あの時、そなたは敵は女子供であっても斬ると言った。その気持ちは変わらぬか」

「変わらんな。俺に剣を向ける者は敵で、敵は斬る。そこに何の例外も認める気はない」

「私の意見も変わらぬ。私はそれなりの技量と覚悟を持って剣を取った者に容赦をする気はないが、年端もいかぬ子供を殺すことはない」

「その点に置いては俺とラティアは互いに譲るところはないってことだな」

「そのようだ」

「ならばどうする」

「違いを認めようと思う」

「……ふむ」

 ラティアの言葉は快く俺の胸に響いた。

「武からも言われたのだが、そなたは結局子供を斬らなかったのだし、そなたに剣を向けた私も斬らなかった。内心ではいろいろとあったかも知れぬが、それは私がどうこう言う事ではない」

「その通りだな」

「ただ、そんな事はわかっていたはずだった。それなのに私はそなたに頭を下げる事ができなかった。それは詰まるところ」

 ラティアは目を上げた。

「私がそなたをただの保刃[バオレン]だとは思っていないからだ」

「どういう意味だ」

 なんだか愛の告白でもされたように感じるが、まさかそれはあるまい。何が言いたいのだろう。

「そなたは何を寝ぼけた事を、と言うかもしれんが聞いてくれ。私はそなたと、それと菊花[チーファ]もだが……そなた達を、友人だと思っている。だから、そなたに自分の考えを否定された時に冷静にそれを受け取れなかったのだと思う。友人に理解されないということは悔しいし、腹が立つ。私はまだまだ未熟だ」

 俺はなんと言おうかと考えていた。うまい言葉が出てこない。そんな俺の表情をなんと受け取ったのか、ラティアは慌てて付け加えた。

「無論それは私の勝手な思いこみだ。私がなんと思おうと、そなたが私の事をなんと思うかはそなたの自由だ。ただ、私はそなたのことを友人と思いたい。それだけだ」

 きっとラティアは自分が冷静な表情で言うべき事を言っている、と思っているのだろう。実際の所は表情こそ平静を保とうとしているけれど、頬は赤く染まり、肩にはガチガチに力が入っている。

 だがそれは俺も多分、同じ事だった。

「……」

 俺はあまりに真っ直ぐなラティアの言葉と、その眼に圧倒されていた。つまり、ラティアは俺と菊花[チーファ]を「仲間」だと言ったのだ。ほんの数日前に会ったばかりで、確かに死線を共にくぐり抜けはしたものの、俺などは噂が多少知られているだけの保刃[バオレン]で素性もろくに知れない馬の骨にすぎないのに。

 それは一方的な友情の押し売りだ。俺からすればラティア達は単なる衛要[ウェイヤオ]にすぎず、[リャン]の連中のように『[リャン]武装商隊』の旗の下に喜んで集ったわけではない。金と契約で繋がっているだけの関係だ。そのはずだ。

「俺は」

 何を言うべきだろう。あくまでも保刃[バオレン]として分をわきまえ、明確な一線を引いて答えるのが正しいのは確かだ。ラティアは俺を使い捨ての出来る剣士として扱うべきで、踏み込んだ仲間意識など持つべきではない。衛要[ウェイヤオ]保刃[バオレン]に必要以上の情を持てば修羅場に不覚を取ることになる。

「ラティアを」

 例えば多数の敵に囲まれた時、ラティアは俺を使い捨てにして時間を稼ぎ、一人で逃げるべきだ。仲間を駒にするのは恥ずべき事だが、保刃[バオレン]を盾に使うのは当然の事なのだ。

「友人だとは」

 ラティアの眼を見た。そこにはまぎれもなく、俺からはねつけられる事への恐れと怯え……そして何よりも自分の言った事の結果をありのままに受け止めようとする決意があった。

「思っていない」

 きゅっ、とラティアの唇が引き締められた。形の良い眉が悲しげに歪みそうになり、それを必死に押さえつけようとしている。ああもう、くそっ、こんな眼をさせるために俺はこいつの保刃[バオレン]になろうとした

「わけがないだろうっ!」

 俺は立ち上がって怒鳴った。ラティアがぽかん、と目と口を開けている。

「謝罪しなくちゃならんのは俺の方だ!いいか、俺だってラティアの事を単なる衛要[ウェイヤオ]だなんて思ってない。俺とラティアが初めて会った時のこと、覚えてるか」

「もちろんだ」

「あの時、ラティアは俺に『逃げろ』と言った。もし俺が逃げていたらラティアは斬られていたはずだ、そんな事はわかってただろう。それでも俺を巻き込まないようにしようとしたラティアを俺は助けたい、と思ったんだ」

猷示[ユウシ]

「……でもちょっとばかり本気になりすぎたな」

 俺はまたぺたり、と席に座った。今、猛烈に恥ずかしい。だが……ここまで言ってしまった以上、誤魔化しても仕方ない。言いたい事は言ってしまえ。

「『鉄盾[ティエジュン]』とか呼ばれるようになってから……俺は出来る限り衛要[ウェイヤオ]に入れ込まないようにしてたんだ。人にはそれぞれ事情も思想もあるし、俺から見てそれが間違っているように思えても、それは所詮俺の勝手な見方だからな。実際それでうまく行ってたわけだし。けどラティアに出会ってから、それがどうもおかしくなってしまったらしい。何というか……俺は……その」

 俺はラティアの顔を正面から見た。頬を染めたラティアがとても魅力的だ。

「つまり、俺は分不相応にも『俺がラティアを守る』とか思ってたらしい……というのも誤魔化しだな。はっきり言おう。俺はラティアを守りたい。死なせたくないんだ。言っておくが衛要[ウェイヤオ]だから、じゃないぞ。友人だと思っているからだ」

 本当にそうだろうか。友人……?俺はこの娘を確かにただの衛要[ウェイヤオ]だとは思っていないが、この感情は友人に対するそれだろうか。もしかしたら俺は自分でも気づかないうちにこの自分勝手で我が儘でそれでいてお人好しな少女に、友情以上のものを感じて……。

 だがそれは言うべき事じゃない。俺は人殺し以外に能のない剣士に過ぎず、この娘になんら釣り合うものはない。ラティアが俺のことを『仲間』だと思ってくれているのなら、それだけでも望外のことだ。

「まあ俺が言いたいのはそう言う事だ。だから自分勝手な感情を押しつけていたのは俺の方だ。すまなかった」

猷示[ユウシ]、その……私は」

「はいはい、それまで!」

 私はついに我慢出来ずに武さんの手を振り払うと馬車に飛び込みました。

「ラティも鉄盾[ティエジュン]も、言いたい事は言いましたか?二人とも他に言う事はありませんか?」

 二人とも赤い顔をして見つめ合い、同時に目をそらしました。いけません、いけませんよラティ!

「……聞いていたのか」

 ラティが私を睨みました。

「ええ聞いていましたとも。何しろ話し合いの相手は鉄盾[ティエジュン]なのですからね。こじれでもしたら大変ですから」

 私は言外に鉄盾[ティエジュン]に対する牽制を込めました。この男は信用なりません。いえ、保刃[バオレン]としては信用していますが、可愛い妹に必要以上に近づいているように思えます。

 ですが、鉄盾[ティエジュン]はむしろほっとした表情でした。

「いや、問題は解決した。すまんな、保刃[バオレン]の立場で出過ぎた事を言った」

 立ち上がり、刀を腰に差すと馬車を出て行きます。私はその後を追いました。

「お待ちなさい。私からも話があります」

「なんだ。すぐにすむ話か」

「そうであってほしいのですけどね」

 私と鉄盾[ティエジュン]は十台の馬車を円形に停めている平地から少し離れた木陰に向かいました。

 商隊は今、十三刻からの半刻休憩中です。見張り当番の者以外は自由行動という時間ですね。外に出て身体を動かす者、昼寝を楽しむ者、時間を惜しんで勉強する者など、休憩の使い方はさまざまです。

 今日も空は良く晴れています。薄い雲がひとひら、ふたひら見えますね。一方、東に向かうに連れて空気は少し湿りを含んできているようです。だんだんと皇都に近づいているということですね。

「で、何の話だ」

 鉄盾[ティエジュン]は平静な表情に戻っていました。ラティと話していた時にはずいぶんと表情豊かな男でしたが、おそらく普段はこのような仏頂面の男なのでしょう。よく見ると目鼻立ちは悪くないのですが、その左頬をおおう炎の入れ墨はあまり気持ちの良いものではありませんね。

 それはともかく。私は鉄盾[ティエジュン]と二米ほどの間隔を開けて向かい合いました。互いに座ろうとはしません。別にこれから友情を語り合おうというわけではないのです。

「まず、私はあなたの事を保刃[バオレン]としては評価しています。あなたがいなければラティアは今頃斬られていたでしょうし、一昨日もあなたはラティアを守ろうとして最善の行動を取ってくれました。その事に関しては私は感謝しています」

「そうか。保刃[バオレン]としてこれ以上ない言葉だ。ありがとう」

「いえ」

 そのあなたにこんな事を言わなくてはならないのはさすがの私もどうかとは思うのですが、やはりここは[リャン]の幹部として……そしてラティの兄として、言っておかねばなりません。

「あなたに言っておきたい事があるのです」

「ラティアの事か」

「もちろん。いいですか、ラティとは必要以上に親しくしないで欲しいのです。ラティはあの通り優しい子ですからあなた達の事を仲間だと思っているようですが、あなたは妙な誤解をしないように。言っていることはわかりますか」

「わかる。俺は今回の件が片づくまで[リャン]の庇護下にあるだけであって、[リャン]にとっては部外者だ。ラティアがなんと言おうと[リャン]にとっては仲間なんかじゃない。そこの所をわきまえて節度ある態度をとれ、と言う事だろう」

「その通りです。無礼な事を求めているのはわかっていますが、私の言う事を聞いてもらえませんか」

「わかった」

 てっきり強硬な反発を受けると思っていたのですが、鉄盾[ティエジュン]はあっさりと頷きました。

「……いいのですか?」

「あんたが言い出したことだろう。いいも悪いもあるか。だいたい俺だって衛要[ウェイヤオ]に必要以上に入れ込むのはまずいって事くらいわかってる。ラティアが俺達の事を友人だと思ってくれてるからってそれに甘えて保刃[バオレン]の分を越えるつもりはない。だから安心してくれ」

 ずいぶんと物わかりの良い事です。

「それにしては先ほどはずいぶんとラティに肩入れするような事を言っていたようですが。聞いていたら愛を告白しているような気がしましたよ」

「そんな気はなかった。俺は流れの保刃[バオレン]にすぎないわけで、あんたの妹姫に保刃[バオレン]として雇われただけでも分不相応なんだ。それ以上を望むようなお調子者になったつもりはないよ」

「そうですか。まあわかってくれているのならそれで良いです。戻りましょうか」

 私は鉄盾[ティエジュン]に背を向けました。

 商隊は休憩を終えて再び動き出しました。『緒史』の窓から右前方を行く『西吾』が見えます。閉めきっているとさすがに暑くなってきたのでどの馬車も窓はほとんど開けており、その中の様子もよくわかります。

 『西吾』には鉄盾[ティエジュン]とその妹君、棉紗[ミアンシャ]、そしてなぜか小樹[シャオシュ]まで乗っていますがまあそれは良しとしましょう。ラティはいつもの席に座って武となにやら話しており、鉄盾[ティエジュン]は屋根に登って見張り役ですね。棉紗[ミアンシャ]達も仲直りしたラティと鉄盾[ティエジュン]にほっとしているようです。

 私はふと考えました。鉄盾[ティエジュン][リャン]の一員になれば都合のいい事があるのではないか、と。

 ラティは[リャン]の隊長ですが、同時に一人の少女です。いつかは恋をして子供を産むでしょう。正直なところその相手の男が誰であっても私は気に入らないでしょうけれど、それが鉄盾[ティエジュン]であっても──感情的な問題は別として──彼の人となりに問題があるとは思いません。少なくとも私の父よりは彼は真っ当な人間ですし、剣士としての腕は超一流、ラティの為に命を張ってくれた事も確かです。あの『白狼』と戦うなど、単なる見栄や欲で出来る事ではありません。

 ラティも鉄盾[ティエジュン]の事を気に入っています。あの子は今まで恋愛をしたことがありませんから、自分の今の気持ちを理解出来ていないのでしょう。しかし見たところラティは鉄盾[ティエジュン]に友情以上の興味を持っているように見えます。その気持ちは育っていけばいずれは恋愛になるものなのかもしれません。

 今は鉄盾[ティエジュン][リャン]保刃[バオレン]ではなく、この件が片づけば別れることになる男です。ですから立場をわきまえて行動してくれ、と釘を刺したわけですが、もし彼がラティに本気になってくれたのなら……。

 いえ、やめておきましょう。私が考えても仕方のない事です。

「まったく兄というのはどうしようもない役ですね」

「ふふ、まあ若い二人の事は見守ってあげていればいいんですよ。なるようになる、そう出来ているんですから」

 萄希[タオシ]さんはそう言って含み笑いを私に向けました。

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