第十一段 皇座の間

ラティア

 皇宮の門はそれほど長い間は保たなかった。元々最初の襲撃で破壊されていた門に間に合わせで板を張り付け、後ろに石や荷車を重しに置いただけの代物だ。本格的な軍隊の攻撃にはなんの障害にもならない。

 皇宮を再占領した私達の戦術は単純だった。とにかく内宮に篭もり、ひたすらに守る。

 内宮は皇宮の中にあり、さらに厳重に守られた一角だ。深さ三米、幅五米の濠がまわりを取り囲み、さらにその内側に高さ五米、厚さ一米もある石造りの塀がある。入り口は正面の石造りの橋のみ。そして塀の中に囲まれた屋敷は一見瀟洒なたたずまいだが、その実、要塞並みに頑丈だった。

 私達がその周りを包囲していた敵兵達を撃退した時、中から扉が開いた。駆け込んだ私達の前には数百名の女性、老人、子供、そしてわずか三十名ほどに減ってしまった兵がいた。

 彼らは反乱勃発からの二刻をひたすらに耐えたのだという。その奮戦ぶりは屋敷の壁に突き立つ矢の数、塀を抉る弾痕の数ではっきりと示されていた。

「敵が砲を持っていなかった為になんとか持ちこたえましたが、今回ばかりは無理ですかな」

 老人の一人が煙草をくゆらせながら真剣みのない声で皇帝に話しかけた。

「どうやら今度の敵には砲兵もいるようで」

 屋敷の大広間に全員が集まっていた。時には数百名の貴人を招いて宴会を催すという大広間なので、広さは充分だ。特務の三人が厨房の方へ向かったのはみんなに飲み物でも出すつもりだろうか。そんな暇があるとは思えないが。

「行部大臣、あんな小さな砲でここの壁がどうこうなると思ってるのか。一昼夜も撃たれ続けりゃどうかわからんが、あと一刻二刻じゃどうにもならんよ」

 猷示[ユウシ]に守られながら外をうかがっていた菊花[チーファ]が声を上げた。

「敵だってそんな事はわかってるわよ。連中、門の正面に砲を据える気だわ」

「だろうな」

 皇帝は落ち着いている。だが門は砲の直撃には耐えられまい。そして門が吹き飛べば兵が突入してくる。

「だがあの距離に砲を据えたのが間違いだ。百米もない。これなら銃が届く」

 そういうと皇帝は厨房から出てきた特務の三人を見た。腕に何かを抱えている。

「銃?」

 それは小銃だった。だが私が知っている銃の形とは少し違う。当り金と燧石のあるあたりには長い金属の棒が生えていて、滑り方式の蓋のようなものがついている。またその下の部分には箱形のものが差し込まれていた。

「口外無用だぜ。うちの最新兵器だからな」

 皇帝はそう言うと私にその銃を一丁手渡した。

「銃を使ったことは」

「ある。だがこの銃はなんだ」

「薬筒を使う新型だよ」

 幾つかの円筒形のものを渡される。丸い金属製の筒だ。直径は一厘足らず、長さは十厘程度。先端には丸い弾丸が詰められていて、その反対側は木材で作られた詰め物をされていた。

「これが薬筒だ」

 特務の隊長が同じ銃と薬筒とやらを猷示[ユウシ]にも手渡し、そして残りの警備兵や一緒に突入した警官達にも配っている。四十丁くらいしかなかったので全員には行き渡らない。

 皇帝は銃の持ち主が決まった事を見て取ると自分も一丁持って説明を始めた。

「ここを引いて」

 金属の棒を後ろに引くと滑り扉がシュッと下がり、銃の中に金属の筒が見えた。

「薬室に薬筒を入れる。向きは判るな?木の部分が後ろになるように詰めろよ」

 そして金属の棒を押して蓋を閉じる。一杯に押したところで下に押し下げると、かちりと音がして蓋が固定された。

「後は狙って撃つだけだ。撃ち終わったら同じように装填把を引けば薬筒が出てくる。不発の時も同じようにして発火しなかった薬筒を捨てろ。また別のを装填すれば撃てる。わかったか」

 全員が頷いた。

「弾は一人当たり五十発。二人一組で行動しろ。一人が倒れたらその銃を使って攻撃だ。いいか、狙いは砲兵だ。余計な者を狙わず、とにかく砲を使えないようにしろ。行け!」

 警備兵が妙に嬉しそうに銃を抱えてあちこちに走っていく。すでに外の敵兵から弓や銃での援護射撃が始まっていたが、それをものともせずに塀際まで走っていって銃を構えていた。数人が倒れるが、僚友が銃を拾って塀際までたどり着く。

 私と猷示[ユウシ]は屋敷の三階へと上がった。なにも危険な塀際まで行かなくともこの屋敷はそのまま要塞なのだ。

 菊花[チーファ]と、そして棉紗[ミアンシャ]までついてきていた。

「お前達、危ないから下にいろ」

「いやよ。それに危ないと言えばあの人達と一緒にいるほうがよっぽど危ないわ」

 なるほど、道理だ。それはそれとして……私は皇帝から渡された奇妙な銃を眺めた。

「変わった銃だな。役に立つのか、これは」

「ラティア、その銃って幾らするか知ってる?」

「いや。百矧くらいか」

 私は商隊にある銃の価格の二倍程度の額を口にしてみた。菊花[チーファ]はにっこり微笑むと

「一丁が十元よ」

「……な、なんだとっ!?」

 取り落としそうになった。十元といえば五人家族が三年暮らしていける額だ。銃は確かに高価なものだが、それでは装甲馬車二台分ではないか。

「で、その薬筒が一つ三矧。黄鋭[ファンルイ]衛士にしか持つ事を許されていない代物よ」

 それで警備兵が張り切っていたわけだ。いきなり黄鋭[ファンルイ]と同等の武装を渡されたのだから。

 ドォン!

 砲声が響いた。グワン、と鉄の玉が石にめり込む音が地面を揺らす。

「いかん、砲が配置についた。我等も撃つぞ」

 すでに警備兵達は銃撃を開始している。私と猷示[ユウシ]はそれに負けじと銃を構えた。

那崑[ナコン]

 なんだこれは。

 敵の火力は予想外だった。あの中にいるのは老人や女子供を除けばせいぜい数十名の兵がいるだけのはず。しかも今までは銃などほとんど撃ってきていなかったと報告が入っている。いったいどこからこれだけの銃と銃兵をかき集めた!?

 なにしろその銃撃は優に銃隊二個樹隊に相当する。間断なく撃ち込まれる銃撃は次々に我が方の砲兵をなぎ倒していった。

 こちらの銃隊も弓隊も反撃するが、物陰から撃ってくる敵にはあまり効果はない。再装填の隙を狙おうにも一体何丁の銃があるのか、同じ場所から数果に一発という間隔で弾が飛んでくるのだ。

 銃というものは装填に手間がかかる。銃口から火薬を入れ、つき固めてさらに弾を入れ、またつき固める。燧石のついた打ち金を引き起こし、狙って撃つ。熟練した兵でも三十果はかかる作業であり、戦闘中はさらに困難になる。物陰に隠れていてはほとんど不可能な作業だった。

 だが現実に銃撃は止まらない。

 砲は八門あったが、すでにそのうちの三門の砲手は死ぬか重傷を負って操作不能になっていた。残りの砲手も猛射撃にさらされて僅か百米先の内宮正門を撃ち抜けない。

 ドン!ドン!

 続けざまに放たれた砲弾は一発が地面に当たって跳ね返り、正門の五米左にめり込んだ。もう一発は塀を飛び越え、背後の屋敷に直撃した。

 だが屋敷に直撃してもしかたない。それでは皇帝の生死がわからない。どうしても正門を破壊して兵を中に入れ、直接皇帝を殺さなくてはならない。

 パパン!パパパン!

 銃声が響き、また砲手達が倒れた。

宋典[ソンテァン]

 賭には負けたか。

 俺は自分でも驚くくらい淡々とその事実を受け入れた。

 時間切れだ。すでに物見から第一重杜集隊が各門の封鎖を突破して皇都に突入したという知らせが来ている。あと一尺もせぬうちにここに先遣隊がつくだろう。俺達が反乱軍であると言う事に対して言い繕う余地はない。

 自決するか、それとも最後まで戦うか。

 ここまでくれば逃げる、という選択肢はない。その可能性もない。ならば仮にも将軍などと呼ばれた身としては見苦しい真似だけはできなかった。それは自分の誇りを汚す事になるからだけではない。この俺を信じてついてきてくれた那崑[ナコン]を始めとする士官達、そして命令のままに戦った兵達への裏切りになるからだ。

「ヌーガ」

 俺は常に側についていた護衛に声を掛けた。

「はい」

 珍しくヌーガは声を出して答えた。

「すまんな。夢は破れた」

「いいのです。ボクは宋典[ソンテァン]様のおそばに最後までいる事が出来れば満足です」

 俺はその強く正直な視線を受け止めた。次は息子だ。

「希。お前だけでも逃がしたいが」

「それ以上はおっしゃらないでください、父上。私も宋家の男、最後は心得ています」

「あの世に行ったら珊によろしくな。俺は一緒の所に行けるかどうかわからんから、頼むぞ」

「はい。また親子三人で暮らせるとよいですね」

 希も覚悟を決めた顔で笑った。これで別れは済んだ。

那崑[ナコン]。士官を集めろ。兵は中庭に集合させ武装解除の後、降伏させろ」

「残念です、将軍。力及ばず申し訳ありません」

「お前達はその全てを振り絞ってくれた。何も至らなかった事などない。ただ敵の方が最後の最後で俺達を上回った、それだけだ」

 計画自体は完璧だった。落成式で皇帝が生き延びることなどできるわけがなかった。あの正体不明の第三勢力が割って入ってこなければ。

 そういえばあいつらは何だったんだ。

 今さらながらに不思議だが、それももうどうでもいいことだ。

 俺は生き残りの士官を集めると、皇宮の奥へと進んでいった。

菊花[チーファ]

 砲撃が止んだ。こわごわと窓の外を覗くと、敵の兵が次々に内宮の周りから去っていく。砲は放置したまま、戦友達の死体だけは担いでどこかへと駆けていく。

「生き延びた、かな」

 兄様が銃から弾を抜くと床に置いた。ラティアもそれにならう。

 下に降りるとみんなぐったりと座り込んでいた。

「……どうしたの」

「いやいや」

 扉のすぐ傍の椅子に腰掛けた老人が微笑んだ。服がずいぶん豪華なところを見ると大臣か何かかしら。

「久しぶりに戦場に身を置くと疲れるわい。若い頃はこれでも銃火の下を飛び回ったもんじゃがなあ」

「しばらく身体が痛くなるわい。まったく老骨にはこたえるて」

 ハッハッハ、と老人達が笑う。

「よし、それじゃあ後始末に行くか。宋典[ソンテァン]は格好つけだから逃げはせんだろ。士官だけで最後の戦いでも挑むつもりだろうから、付き合ってやらんとな」

 皇帝が歩き出した。慌てて宮廷女官の人達とか大臣の人達が後を追う。どやどやと広い廊下を集団で歩き、正面の扉を開けた。

 そこにはすでに警備兵や警官達が整列していた。一斉に敬礼をする。皇帝はいったん止まって背筋を伸ばし、それからゆっくりと敬礼を返した。

「正門を開けろ。外に出る」

「陛下、まだ危険です。敵がどこにいるか」

「心配ない。すでに呟尹が来ている」

 警備兵達が正門の閂を外し、押し開いた。

 そこには青い軍団が整列していた。

「陛下、ご無事で何よりです。呟尹以下、第一重杜集隊、遅ればせながら参上いたしました」

「呟尹、状況を報告しろ」

 青い鎧に青い兜、そして青い直垂をつけた逞しい将軍が進み出た。兜を取ると……あら、この人、頭がつるつるだわ。

「は。皇都は完全に奪回いたしました。各門の封鎖は解除、二個杜集隊にて住民の保護と救助に当たっております。敵兵は武装解除して整列しております。ただし敵士官数十名と宋典[ソンテァン]は皇座の間にて抵抗中であります」

「そうか」

 皇帝は私達の方へと振り向いた。

「聞いての通りだ。後は宋典[ソンテァン]とその一味を始末すれば終わりだから、任せておけばいいだろう。さてお前達との話をしておかないと」

「陛下!」

 一人の女の人が走ってきた。見覚えがある。確か落成式の時に皇帝の前に立って戦ってた人だわ。

紬袙安[チュウバツアン]様が、斬られました!」

猷示[ユウシ]

 紬袙安[チュウバツアン]が、斬られた?

 黄鋭[ファンルイ]衛士十二番、斬山剣の紬袙安[チュウバツアン]が、か。

「どこで、誰にだ」

 燎帝[リアンティ]の声も硬い。

宋典[ソンテァン]の護衛剣士と戦われ、斬られました。また琢坦、唐頓の両名も同じ剣士に斬られております。この両名は軽傷ですが、紬殿は重傷です」

 ほう、死にはしなかったらしい。だが……黄鋭[ファンルイ]が三人も斬られたということか。敵の剣士は凄まじい遣い手と見える。

「皇宮警護隊の損害も二十名を越えました。銃の使用許可をお願いいたします」

 燎帝[リアンティ]は黙ってひざまずく女剣士を見ていた。やがて首を振る。

「それはできん」

「陛下!」

「奴らは銃を使ったのか」

 女衛士がはっと顔を上げる。

「……いいえ。剣のみで応戦しております。すでに残りは十名を切りましたが、皇座の間に立てこもり、入ってきた者に片端から斬りかかっております」

「敵ながらなかなかのもんだ、そう思わんか」

 燎帝[リアンティ]は拳を握りしめた。

「これが袙安が斬られる前ならまだ銃で薙ぎ倒せ、とも言えたんだがな。ここで銃を持ち出せば『黄鋭[ファンルイ]は剣で敵わなかったので銃を使った』などと言われるぞ。黄鋭[ファンルイ]衛士の評判は地に落ちるな。それが許せると思うか」

「……恥じるべき事を申しました。我等黄鋭[ファンルイ]衛士の誇りにかけて、あの剣士を斬ってまいります」

 女衛士は立ち上がった。

「おい、勝てるのか」

 俺はその後ろ姿に聞いた。

紬袙安[チュウバツアン]は相当な遣い手だったろう。悪いがアンタはそれよりも強いようには見えないが」

「確かに私は紬殿には遠く及びません。はっきり言えば紬殿は今、皇都にいる衛士の中でも最高の剣士です。しかし私とて衛士、むざむざ斬られはしません」

 仕方ないか。

燎帝[リアンティ]、一つ提案がある」

「ほう、なんだ」

 燎帝[リアンティ]は面白そうに俺を見た。まさか俺から話しかけられるとは思っていなかったのだろう。

「俺が行こう。そこの姉さんよりは確実だ」

「お前になんでそんな事をする理由がある?それにこれは黄鋭[ファンルイ]の仕事だ、鉄盾[ティエジュン]とはいえ流れの保刃[バオレン]風情が出しゃばるところじゃないぞ」

「何というかな。ちょっと手みやげが足りんかな、と思ってな」

 俺は強張った表情でラティアの横に立っている棉紗[ミアンシャ]を見た。

[リャン]はアンタの命を助けた。その褒美に何を要求しているかはだいたいわかってるな」

「そこの棉家の娘の命、そしてここ数日の反逆姿勢の免罪だな。他でもない、俺の命を救ったんだ。たいがいの事は聞くぞ」

「そうか。だがあの時の手助けだけで釣り合うか?」

 燎帝[リアンティ]はぽん、と右手を左の手の平に軽く打ち付けた。

「ふん、確かに不足だな。棉家の娘を匿っただけならともかく、俺の衛士を二人も斬ったことはそう簡単に許すわけにはいかん」

「そこで俺が最低でも二人以上の衛士の命を救ってやろうというんだ。そこの姉さん程度じゃ十人単位でかかっても討ち取れるかどうかわからんぞ」

「……貴様、我等を愚弄するか」

 剣の柄に手を掛ける女衛士。確かに凡手ではないが、珀皙[ハクシ]に比べれば二段も三段も落ちる。あの紬袙安[チュウバツアン]を斬るほどの剣士が相手では勝ち目はない。

 燎帝[リアンティ]はその女衛士に片手を向けた。女衛士は悔しそうな顔をしながらも二歩下がる。

「やはり認められん。助太刀を借りたなどと言われては黄鋭[ファンルイ]の評判はさらに落ちるからな」

「手柄などいらんから黄鋭[ファンルイ]の誰かが斬った事にしておけ。俺はアンタに借りを作りたくないだけだ。アンタは反乱を終結させ、黄鋭[ファンルイ]は面目を保ち、俺達は免罪を獲得する。誰も損しない、いい取引だぞ」

「だがそれでも不足だな。ああ、こうしよう。お前の妹、菊花[チーファ]と言ったな。あの子を皇国によこせ。鍛えれば相当の軍師になる」

「……ふ」

「ふざけないで!」

 燎帝[リアンティ]を一喝したのは俺ではなく、菊花[チーファ]だった。

「私は兄様の軍師、そう言ったわよね。それに手みやげ?あなた、ついさっき皇都で逃げ回ったことをもう忘れたの?ラティアの上着を」

「よしわかった!」

 燎帝[リアンティ]は慌てて菊花[チーファ]の言葉を遮った。

「そうだな、ここは鉄盾[ティエジュン]、お前に任す。その狂犬を斬ったら無論珀皙[ハクシ]達の事は水に流すし、まあお前が斬られても妹君のことは心配するな。悪いようにはせん」

 何を慌てているかよくわからんが、とにかく燎帝[リアンティ]は態度を改める事にしたらしい。

「案内してくれ」

 俺は女衛士を促すと皇宮の中へと入っていった。

佯漣[ヨウレン]

 鉄盾[ティエジュン]という保刃[バオレン]の事は前から知っていた。頬に炎の入れ墨をした天軌流の剣士、若き剣豪。その剣力はつい先日珀皙[ハクシ]殿を斬った事で示され、そしてつい先ほど私の目の前で手練の槍使いをこともなげに倒した事で疑うべくもなくなっていた。

 だが、陛下の前で恥をかかされた事は忘れん。

「あー、さっきの事、気にしてるか」

 とんとん、と妹から脇をつつかれていた鉄盾[ティエジュン]が実に面倒そうに私に声を掛けてきた。無視してやりたいがそうもいかん。私は鉄盾[ティエジュン]の方は見ずに返事をしてやった。

「……当たり前だ。我ながらよく我慢していると思っている」

「まあ本当の事だ。気にするな」

「気にするに決まっているだろう……!」

「そうか、まあいい」

 睨みつけるがどうでも良くなったのか、鉄盾[ティエジュン]は私に興味を示さなくなった。この男、相当な変人だ。妹や[リャン]の娘と話す時は真っ当な人間のふりをしているが、実際には他人に何の興味もないな。いや、正確には自分の好きな人間以外はどうなってもいいという手合いだろう。

「あの」

 鉄盾[ティエジュン]の妹が申し訳なさそうに私に謝った。

「兄が失礼しました。その、口の利き方を知らないもので。兄に代わって謝罪します」

 なかなか良くできた妹だ。変人の兄をなんとか助けているのだろう。私もそのような健気な娘に八つ当たりするほど外道ではない。

「君も苦労するな」

 少女は黒髪を揺らして微笑んだ。

 皇座の間は皇宮の中央部にある三十米四方の広間だ。東側の壁に皇座が設えられ、その前に三つの巨大な卓が皇座を取り巻くように並べられている。大臣や高官達がここに座り、陛下と国政を動かしていく。

 床には一面に複雑な模様を刺繍された絨毯が敷き詰められ、壁はすべてこれも刺繍を施された壁布で覆われている。天井は十米を越し、いくつもの巨大な玻璃製の飾り照明が吊り下がっていた。いつもはその広大な広間は何人もの女官と文書係、筆係などの役人達、そして大臣達で賑やかなのだが……。

 今は血の匂いに満ちていた。

 いや、実際に床はあちこちが血に染まっている。何人もの男達が無惨な死に顔を晒して転がっている。巨大な卓には生き残っている十人ほどの士官が、そして陛下だけが座る事を許された皇座には、端整な顔立ちに笑みを浮かべた宋典[ソンテァン]が腰掛けていた。

「そろそろ銃を持ってくる気になったか?」

 宋典[ソンテァン]が笑みを消さずに皇座の間に踏み込んだ私達に話しかけてきた。皇座の横には息子だろう、二十代半ばと見える男が立っている。

 そしてその二人の前に黒い肌の男があぐらをかいていた。傍らには抜き身の剣を無造作に転がしている。この男が紬殿を斬った恐るべき遣い手だった。最初の突入時にこの男に五人の剣士が瞬く間に斬られ、次の突入では紬殿と二人の黄鋭[ファンルイ]が斬られた。その様を見せつけられた警備兵達は彼らを遠巻きにするだけで近づけない。情けない事だが、私もその一人だった。

 宋典[ソンテァン]があざ笑う。

黄鋭[ファンルイ]も噂ほどではないな。ヌーガに手も足も出んか」

「ヌーガというのか、その剣士は」

 鉄盾[ティエジュン]が進み出た。

「ちょっと手合わせをしてもらえるかな」

「なんだ、お前は。黄鋭[ファンルイ]か?」

「まあな。他の連中は忙しいんでお呼びがかかった。どれ、紬袙安[チュウバツアン]を寄せ付けなかった腕を見せてもらおうか」

「……腕に覚えがありそうだな、若造。だが斬られてからでは後悔はできんぞ」

「ご託はいいからさっさとやろうぜ。俺も暇じゃねえんだ」

「ヌーガ」

 黒い男が体重を感じさせない動きで立ち上がった。剣を左手に持ち、するすると歩いてくる。

 鉄盾[ティエジュン]はそれ以上はなにも言わず、間合いを詰めながら芦葉刀を抜いた。歩きながらあれほど長く重い刀を抜くというのは簡単な事ではない。だが鉄盾[ティエジュン]の腰はぴたりと座り、その後ろ姿からは微塵の隙も感じられなかった。もし仮に私が今、後ろから斬りつけたとしても斬られるのは私だろう。確かにこの男は私とは格が違う。

 しかしそれは鉄盾[ティエジュン]と対峙しているヌーガという男も同じだ。無表情なまま特に鉄盾[ティエジュン]に興味を持った素振りもないが、左手に提げた剣は微動だにしていない。

 鉄盾[ティエジュン]が立ち止まった。するすると刀があがり、右肩から天に向かって伸びる。八双と呼ばれる構えだ。

 ヌーガも同時に立ち止まった。剣に右手を添え、鉄盾[ティエジュン]とは対照的に下段に構える。双方の距離は六米ほど。

 そのまま二人の動きが止まった。いや、よく見るとじりじりと詰まっている。二人とも構えはそのままに、わずかづつ距離を縮めていく。

 皇座の間にいる誰もが呼吸すら忘れたように彼ら二人に注目していた。

ラティア

 猷示[ユウシ]が動いた。身につけた鎖子と甲の重みなどまったく感じさせないあの凄まじい速度で踏み込む。高く掲げられた刀は僅かなひねりと共にヌーガの肩口に振り下ろされた。

 下段から跳ね上がったヌーガの剣がその一撃を振り払った。猷示[ユウシ]の一撃の軌跡を外し、軽やかに反転するその剣が、猷示[ユウシ]の首筋に迫る。

 竜尾の剣。敵の一撃をすりあげ弾き、その隙に撃ち込まれる後の先、必勝の形だ。

 猷示[ユウシ]の刀はしかしその軌跡をいきなり変えると真横からヌーガの一刀を撃った。竜尾の剣の裏を取る、後の先のそのまた先。

 鎖子で覆われたその身体が一回り大きくなったように感じる。凄まじい速度で払うその刀をなんと振り抜かずに途中で止めた猷示[ユウシ]は、防御手段の無くなったヌーガの胸板に電光のような突きを撃ち込んだ。

「ヒュウ!」

 鋭い吐息と共にヌーガが後ろに跳ぶ。その跳躍力は常人のものではない。ほとんど目にもとまらぬ速度の猷示[ユウシ]の突き、それよりもさらに速くヌーガは三米も後ろに跳んだ。

 瞬時に躱された事を悟った猷示[ユウシ]が次の攻撃に向けて踏み込みつつ、刀を引く。だがそれが隙となった。

 飛んで、そして跳ぶ。

 後ろに下がったヌーガはまるで引き絞られた弓から放たれた矢のごとく、その倍ほどの速度で前進した。先ほどの猷示[ユウシ]の踏み込みがまるで亀のように感じられる、まさに神速。

 ヌーガが天軌流を知っているのかどうかはわからぬが、あれほどの剣士だ、猷示[ユウシ]が鎖子、手甲に身を固めている事など即座にわかったのだろう。その攻撃は恐ろしいほどに装甲のないところを狙っていた。

 だが天軌流はもとよりそのような敵の動きを望む。その装甲は敵の攻め手を著しく制限する。特にヌーガのように速度と切れ味を最大限に活用する剣士には有効だった。

 だが、それも程度問題だ。敵の速度が速くなれば天軌流の強みはそのまま弱みとなる。装甲の重みは動きを遅くし、取りうる姿勢を制限する。そうなれば敵がどこを狙ってきているかわかったとしても避ける事が出来なくなる。

 猷示[ユウシ]珀皙[ハクシ]と戦ったあの時、珀皙[ハクシ]の放った五段突きの前に猷示[ユウシ]は無様に転がった。もしあの時に珀皙[ハクシ]が追撃を掛けていたならば猷示[ユウシ]が対応出来たかどうか。天軌流は確かに立っている間は無敵といえるが、一度体勢を崩すとその重みゆえに一転して苦境に立つ傾向があると私は見ていた。

 そしてヌーガの突きは光の槍のごとく、まっすぐに猷示[ユウシ]の喉を狙う。鎧に守られず、貫かれれば即死はまぬがれないまさに急所。そして猷示[ユウシ]の刀は中途半端に右肩に引き寄せられ、斬り込みも守りも出来ぬ!

「オオ!」

 猷示[ユウシ]が吠えた。刀を大きく引く。だが遅い。そこからの斬撃はヌーガの突きに遠く及ばない。

 しかしその瞬間、どうやっても猷示[ユウシ]の死は間違いないと思われたその瞬間に、私は猷示[ユウシ]の勝ちを確信していた。猷示[ユウシ]が次にどういう行動を取るのかわかっていたわけではない。だが、私には猷示[ユウシ]がヌーガに敗れるところなど想像が出来なかった。

猷示[ユウシ]

 なにも出来なかった。どう動く事もできない体勢の俺にヌーガが突きこんでくる。落成式の槍遣いなど及びもつかず、あの珀皙[ハクシ]の突きよりもさらに捷い、雷光の突き。

 俺は無意識のうちに吠えていた。その声と共に首筋から背骨に気を通す。左肩に顎を強く圧しつけ、おもいきり頭を下げた。

 凄まじい衝撃が頭を貫いた。

ラティア

 猷示[ユウシ]の額に、ヌーガの剣が突き立っていた。

「あ……」

 いや。

 違う。

 十厘ほども短くなったヌーガの剣。だがその切っ先は猷示[ユウシ]の額に埋まっているのではない。

 カキィィン

 猷示[ユウシ]の鉢金に食い込み、その額を薄く割り、そして折れ飛んだ切っ先は、澄んだ音と共に皇座の間の天井からつり下げられた豪華な玻璃照明の一つを砕いていた。

 砕けた色玻璃が細かい破片となって降りそそぐ。大きく取られた窓から差し込む午後の陽光が反射し、七色にそれを染める。雪のように散る玻璃の中で、二人の剣士が動く。

 ヌーガは今まで無表情だった顔に初めて動揺を浮かべ、猷示[ユウシ]は反対にただ淡々と。

 右から左へと大きく振り抜かれた芦葉刀が、ヌーガの胸を大きく斬り割った。

紬袙安[チュウバツアン]

 それから後はまるで儀式のように粛々と事は進んだ。生き残りの敵士官達はヌーガという剣士が鉄盾[ティエジュン]の前に膝をついた事を確認すると、一斉に剣を抜いて我等に斬りかかった。だがその時には皇都内に散っていた黄鋭[ファンルイ]衛士達が到着しており、敵士官達はその剣の前に次々と斬られていった。

 宋典[ソンテァン]とその息子も最後まで戦った。宋典[ソンテァン]を斬ったのは佯漣[ヨウレン]だ。宋典[ソンテァン]もかなりの遣い手だったが、佯漣[ヨウレン]も奮戦し、ついに宋典[ソンテァン]を討ち取った。

 息子は「ヌーガ殿の仇!」と叫びながら、額から血を流す鉄盾[ティエジュン]に斬りかかった。そして鉄盾[ティエジュン]を守るように前に出た[リャン]の娘に胸を刺されて倒れた。

 こうやってここ数年で最大の反乱事件、『皇座の変』は終わった。

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