うる星やつら

紹介

 私の心のバイブル、『うる星やつら』のアニメ版です。

 不幸の星の元に生まれついた諸星あたる。とにかく運が悪く、何かするたびにろくな事にならない彼でしたが、そんなことにめげるほどあたるは弱くはありません。馬鹿でわがままで浮気性。かわいい女の子と見れば飛びつき、うまい食い物と見ればかぶりつき、楽なことは何でもしたいというろくでもない男だったのです。

 その彼に惚れてしまったのが宇宙人のラム。あたるとラムを中心に、友引町は今日もスラップスティックのまっただ中です。

レビュー

 私は基本的に原作派で他メディア(アニメや小説)になったものは別作品としてみますが、『うる星やつら』に関してはちょっと曖昧です。というのもテレビ版、劇場版ともにうる星やつららしいものも全くの別物も一緒に混じっているので一概に言い切れないのです。特にテレビ版の前半は押井守さんの色が強く、うる星やつらとは言いにくい作品が混じっているようです。

 また、うる星やつらのテレビ版は若手の実験場となっていた側面もあるようで、かなりハチャメチャな感じです。もちろんそれもいいのですが、『うる星やつら』として評価するとなると話は別でして・・・。

テレビ版『うる星やつら』

 全218話という大シリーズとなったテレビ版『うる星やつら』。押井守さんが初めて独り立ちして監督をとった作品でもあり、現在活躍している多数のアニメーター、演出家、監督の方々が関った作品でもあります。こうしてふり返ってみると『うる星やつら』というのは様々な意味で非常に重要な作品だったのですね。ここら辺の内輪の話はプロデューサーを務められていた落合茂一さんの『僕のプロデューサーかけだし日誌』(トライアングル・1987年)に詳しいです。

 是非全巻セットLDが欲しかったのですが、発売時に三十何万しましたからね・・・。とても買えませんでした。今ではケーブルのおかげもあってだいたいそろっています。

劇場版1 『オンリー・ユー』

 あたるがまだ子供のころ、可愛い女の子と影踏みをしたことがありました。その頃から女の子が大好きだったあたるはその子の気を引くために踏んでいない影を踏んだ、と言ってしまったのです。ところがその子は宇宙人で、その子の星では影を踏んだら婚約をしたという意味になってしまうのでした。

 それから11年後、そんなことはすっかり忘れているあたるでしたが、友引町に突然巨大な宇宙船が襲来し、「婿を迎えに来た」と告げます。現れたのは輝くばかりの美少女、エルでした。一も二もなくついていこうとするあたると何としても阻止しようとするラム。ラムはついに宇宙艦隊を使ってあたるを自分の星につれていこうとしますが、途中でエルの迎撃と腕利き工作員のロゼの活躍によってあたるを奪われてしまいます。ラムはあたるがエルと結婚するまえにあたるを奪い返すことができるのでしょうか!?

 金春智子さんが初めて劇場作品の脚本を書き、押井守さんが監督をした作品です。どうも押井さんの嫌なところ、たとえばエルが美形を冷凍保存しているところなどがあってうる星やつらの感覚ではない描写もありますが、全体的にテンポが良く、観ていて楽しい作品です。映画版うる星やつらとしてはまあ最高レベルといえるのではないでしょうか。

 余談ですがうる星やつらという作品は長期間の人気を保ち、様々な演出家、監督を得たにも関らず、最高のパートナーを得ていない、そんな感じがします。押井さんは実力は文句なしですがいかんせん感覚が高橋留美子さんと違いすぎます。やまざきさんは演出に走りすぎて・・・というか自分のイメージにこだわりすぎて肝心の話を曲げてしまう傾向があるように思いますし、他の人も今一つうる星やつらという作品をとらえきれていないのではないでしょうか。うまくとらえたと思ったらまだ実力不足でうまくそれを生かせないということになりますし。思えば不幸な作品といえるかもしれません。

劇場版2 『ビューティフル・ドリーマー』

 えー、最初に申し上げておきますとこれは『うる星やつら』ではありません。『うる星やつら』のキャラクターを使用した押井さんの独自作品というべきでしょう。

 映画としての完成度は非常に高いと思います。何度も観ましたがうる星やつらの劇場版作品ではこれが一番映画としては面白いです。しかし話といいキャラクターの演出といいこれは高橋留美子さんの感覚とは全くの別物でしょう。例えば温泉マークたち、消えた人々が石像になって友引町を支えているところとか

 もし私が原作者ならこの作品を見せられた途端泣き出すかもしれません。高橋さんは「原作と映画は違うものだと思いますから」「原作は原作です。映画は映画として、原作とはまた別の価値を持つものでしょうし、私の原作とはいえそれを消化してスタッフが映画を作るものでしょうから私はそういうつもりで観ておりました」と落ち着いた感想を述べられたそうです。

 物語は友引高校の学園祭の前夜から始まります。毎日毎日あたる達は学校に泊まり込み、いつから泊まり込んでいるのやら覚えていません。しかし明日は学園祭当日。あたる達も最後の準備におおわらわですが、ラムはそんなみんなでわいわいやるのが楽しくて仕方がない、という感じです。

 そしてまた朝が来て・・・準備が始まります。学園祭は始まりません。永遠のお祭り。そしてそれに誰も気づかない。しかし友引高校教師、温泉マークはふと思いました。「後一日、後一日で学園祭初日ですからな」という校長のせりふ、前にも聞いたような・・・。保険医にして霊能力者のサクラさんは「疲れておるのじゃ」と片づけますが、温泉マークはこう言います。「・・・さっきから思い出そうとしとるのですがどうしても思いだせんのです。今はいったい何月の何日でしょうね。それにこんなものを着とるとすれば(冬服を着ています)冬なのかもしれませんがではさっきから聞こえるこれは・・・これも幻聴なんでしょうか」耳を圧するようなセミの声が響く喫茶店で二人は青ざめた顔を見合わせました。

 この後のストーリーはテンポよく、シャキシャキと進んでいきます。本当に映画としては面白いのです。しかしこれを『うる星やつら』と勘違いしてはならない、そういう作品です。

劇場版3 『リメンバー・マイ・ラブ』

 前作で真っ白に燃え尽きた押井さんにかわってやまざきかずおさんが監督をとられました。脚本は金春智子さん。やまざきさんは押井さんと違って脚本を大幅にいじることもなく穏やかな作りをされるそうですが、作画監督だったこともあるのか絵にこだわりますね。あと幻想的なものがお好きなようで、こういうことを言っては何ですが幻想的な雰囲気にこだわりすぎて『うる星やつら』の良さを生かしきれていない、というよりもとらえそこなっているように感じます。

 とはいえあまり原作にこだわっては何のための監督か、ということになり、作家としてのオリジナリティに関わる難しい問題になるわけです。やはり原作ものは難しいですね。

 物語は簡単に言えばラムが寂しがりやの異世界の少年にさらわれ、あたる達の記憶は消され、ラムはあたるの助けを待つ、というものです。一年後、何か大事なものを忘れているような気分の中で過ごすあたるは・・・。となるのですが、この作品も何とも評価しがたいものですね・・・。

 作画監督は土器手司さん、総作監はもりやまゆうじさんと絵的なクオリティは高いですし、やまざきさんの得意なファンタスティックな演出は見事だと思いますが、それが『うる星やつら』としての完成度に繋がっているか、と言われると難しいものがあります。端的に言ってラムが一年も助けを待つとかということは、他の作品ではいざしらず『うる星やつら』ではあり得ないと思うんですよね。ラムならあたるが来なければ様々な手を使って脱出を図るでしょうし、もし原作でこのような話があれば弁天かお雪さんあたりが地球に来てあたる達の記憶を取り戻させるでしょう。

 結局駄作とまでは言わないまでも佳作ではないと思います。

劇場版4 『ラム・ザ・フォーエバー』

 さて・・・うる星やつら劇場版中もっとも意味不明の作品、『ラム・ザ・フォーエバー』です。監督は前作と同様やまざきかずおさん、脚本はやまざきさんと井上敏樹さん、作監は土器手司さんです。

 物語は老朽化著しい面堂家の桜を切り倒す際に、その伝説に因んで映画撮影をしよう、という話から始まります。鬼姫伝説といわれるそれは・・・なんだったっけ。まあ桜の木がなんか封じていてそれを倒しちゃったから代わりにラムが取りこまれちゃってそれを取り戻すためにメガネたちは戦争をしてあたるは走る、というとにかくなんかわからん話でした。

 プロデューサーの落合さんによると「やまざきくんは『ブレードランナー』にすっかり感じてあれで『うる星やつら』を作ろうとしたんじゃないか」「やまざきくんの『うる星やつら』を作ろうとしていた」ということですが、まーあ何というかこれもうる星やつらじゃないっすね。絵のクオリティは高いけど、物語はわからないし演出もあってないし、ま、言ってしまえば失敗作でしょう。今までの四作中最低の作品だと思います。

劇場版5 『完結編 ボーイ・ミーツ・ガール』

 原作の最終巻、34巻の一巻まるまるを使って展開された感動の最終話、『ボーイミーツガール』の映画化です。最初はまったく別の話をやる予定で絵コンテまであがっていたそうですが、その頃やっていた原作の最終話にどうしても勝てそうもない。そこで大決断をして製作を三鷹スタジオに変え、原作の最終話の映画化を進めたそうです。

 ところが三鷹スタジオと落合さんの求める『うる星やつら』のコンセプトがどうしても合わなかったそうです。『うる星やつら』の立ち上げからの中心であった落合さんは「今度こそ高橋うる星を作ろう」と決意されていたようです。「押井うる星でもやまざきうる星でもない、本来の『うる星やつら』を」という意気込みですね。しかし三鷹ではどうしてもそれを理解してもらえなかったのです。落合さんいわく、「うる星やつらをキャラクタードラマだと思ってくれていない。ドラマがキャラクターを動かすんじゃなくてキャラクターがドラマを作るんだ」ということです。ちなみにこれは私もうる星やつらの、そして高橋留美子作品の神髄だと思います。まずキャラクターありき。私も自分の作品を作る時はこれを忘れないようにしています。

 そしてまたまたスタッフは変わり、マジックバスに移りました。もうこの時点で時間的余裕はなく、取捨選択の自由はなかったようですが。さて、いろいろあったようですがこの選択はベストとは言わないまでも悪くはなかったと思います。マジックバスは作画はともかく演出が今一つ硬くて、仕上がった映画もちょっと繋がりの悪いところが散見されましたが、いたずらに原作をいじらず基本に忠実に作ったという点では評価できます。欲を言えばただ原作をなぞるだけではなくて動画だからできる演出みたいなものを付け加えてほしかったような気もしますが。

 そうはいってもラストは良かったです。私は原作34巻は家宝としていますがこの最後は本当に泣けます。そして映画のほうも多少演出はくささがあったものの感動的なものでした。劇場版第五作にして初めて『うる星やつら』らしい作品になったといえましょう。思えば長い道のりでした。

劇場版6 『いつだってマイ・ダーリン』

 『ボーイ・ミーツ・ガール』が最終作かと思っていたらこの第六作が登場しました。

 ある星のお姫様が幼なじみの豆腐売りに恋をしました。けれどももうすぐやってくる誕生日までには結婚相手を決めなくてはならないのですが、肝心の豆腐売りは何の反応も示しません。しびれを切らしたお姫様は宇宙一の惚れ薬というものを求めるのですが、それがあるところは宇宙一の煩悩を持つものしかたどり着けないのです。当然というか何というか我らが諸星あたるに白羽の矢を立てるお姫様。祭りの会場から連れ去られたあたるを追っていくラムですが、「惚れ薬」と聞いた途端に「ダーリンに飲ませるっちゃ!」と争奪戦を開始します。

 激しい争奪戦のすえにラムは首尾よく惚れ薬を入手、早速あたるに飲ませたのですが、その効力を発揮する瞬間にお姫様が乱入、あたるはお姫様に一目惚れしてしまいます。その有り様を見て「惚れ薬なんかで人の心を操ろうとするなんてうちはなんてことを考えたっちゃ……」と後悔するラム。

 そしてお姫様が結婚すると聞いて下町の酒場でやけ酒を飲んでいた豆腐売りは、酔いの力を借りて地球まで「自転車で」やってきます!はたしてこの二組の恋人たちの恋の行方は?あたるの惚れ薬の効力は醒めるのか?

 なかなか面白い作品です。正直劇場でするほどのパワーがあったかどうかはいまひとつ……かも知れませんが、良作であると思います。「蛇足」という評価もよくされていますし、それはわかるんですがね。

人の山田様が見てる

凉武装商隊 since 1998/5/19 (counter set:2004/4/18)